彼女はきつねが学校にいると言う
転入してきたはじめこそクラスのみんなはわたしに興味を持って話しかけてくれたものの、元から構築されていた友達同士のかたまりのなかに自ら入ろうとするのはなかなかに難しいことだったらしい。数日経っても、がんばって話しかけてきた努力も虚しくどのグループにも入りきれないわたしが残った。
「それ、みんなで持ってるのなに?」
ランドセルに揃ってぬいぐるみをぶら下げている子たちがいたので気になって聞いてみると、クラスメイトたちは話を中断してぱっとわたしを見た。
「めぐるちゃんこれ知らないの? いま流行ってるじゃん」
「誕生月によって色が違うから色違いでお揃いにできるんだよ」
「へえ…………」
めぐるちゃんも買ったら、と勧められてぜったい今日のうちに買いに行こうと心に決める。
同じものを着けて学校に来れば、きっと明日も話しかけられる。
席に着くと隣では相変わらずタマコが図書館で借りたらしい本を読んでいる。
「おはよう。今日はなに読んでるの」聞くとまた表紙を見せてくれる。今は朝の自由な時間だからか、身体ごとわたしの方を向いて表紙と裏表紙をわたしの正面に向けてくれた。
「これは何?」
「どれ?」
「この、ポロポロ光ってるやつ」
「それ星だね」
「ほしか…………」
綺麗な表紙の本ばかり読むなあ。視覚的に惹かれてるのだろうか。
「面白いの?」
「まあね」
読書中、話しかけられるのは嫌ではないらしい。集中しているから、ほとんど字を見つめ続けているのに変わりはないけれど。
と、タマコが本の上から両目を覗かせてわたしを見た。
「どうしたの」
「べつに…………」
首を傾げて視線の意図を問うと、タマコは目を逸らしてくるりと身体の向きを正面に戻した。
「きつねが学校にいたらどうする?」
……なぞなぞのように唱えられた言葉。それをわたしは数秒反芻してから聞き返す。
「きつねって動物の狐ってこと?」
「なんでもいいよ」
わたしはまた首を傾げる。するとタマコは本を開いたまま膝の上に置き、無言で黒板を指差す。
タイミング悪くチャイムが鳴って、朝会が始まってしまった。
唐突に不思議な質問をされても動じなくなってきたとは思う。けれどタマコの見ている世界観がどの様なものなのか未だに見えずにいる。
そんな彼女がみんなからどう見られているのか、わたしは考えが至らなかったのだ。
暗いところから響く、ひそやかに話す先生の声に立ち止まって見ると階段の下のスペースでタマコが先生と向き合っているのに気付いた。
「どうして変なことばかりいうの。どうして先生を困らせるの?」
先生は先生らしい口調で、優しく教え諭すように、けれど苛立ちを抑えきれない声でタマコに言う。
「タマコちゃん、この問題はどうやって解いたらいいかな?」
「まずワニの歯を抜いてくるでしょ……」
こんなふうに授業中に当てられて発言する時だって彼女にしか分からない言葉遣いで話をするから、休み時間に呼び出されてしまったのだ。
そりゃ、きっとはじめは、彼女の作り話を大人たちも笑って聞いていたのだと思う。想像力豊かなこどもの可能性を見守ってくれていたのだ。けれどいつまでもタマコが幻想じみたことを言い続けるものだから、いよいよ直さなければいけないと、きっと大人は焦り始めているのだ。……そんな先生の様子を感じ取って、クラスの子たちの態度もまた変わってしまったようだった。
「あっ、またおこられてる」
彼女と大人のやりとりは人が通らない廊下の隅での出来事だったが、小さな空間の中で過ごしている子どもは目ざとく小さな異変を感じ取る。担任の先生とタマコがこっそり話をしているのを、クラスメイトたちはくすくすと笑いながら通り過ぎて行く。
タマコやクラスメイトたちが慣れた様子で受け止めているのをみるときっと彼女が先生にこうして呼び出されるのは日常茶飯なのだろう。それにしたって職員室とか、みんなの見えないところでやってくれる方がいいんじゃないかと思うのだけれど、先生はそれに思い至ってないのかもしれない。
「算数にワニは関係なかったでしょ? 先生は勉強に集中してほしいの。いい、みんなに嘘をついたり困らせたりしても面白くなんてないからね」
タマコはしばらく唇を結んで黙っていたが、先生の言葉が途切れたタイミングで助走のようにぱくりと口を開けてから発言した。
「ぼくが話すことをいちいち気にするから、嘘を吐かれたって思うんじゃないの」
「タマコちゃん……」
先生は眼鏡ごしにこめかみを押さえて。隠そうとしているけれど、うんざりしているのがわたしにも感じ取れる。
「もういいわ。先生が言ったこと、考えておいてね」
先生の説教から解放されてもしばらく階段下に佇んでうわばきで砂っぽい床を撫でている。その何を考えてるのか分からない横顔にわたしはそっと声をかけてみる。
「……タマコちゃん?」
「めぐるかあ」
経験を積んだ大人のようなそぶりでそれらしく頭を掻きながら息を吐く。
「最近気付いたら近くにいるよね、君は。そんなにきつねばっかり追いかけてたら嫌われるよ」
「え?」
タマコはくすっと音を立てて笑う。愉快そうかというとそうでもなくて、ただ少しわたしに対して苦笑しているような色があった。どう返したらいいのか分からないまま、声をかけたくせに立ち尽くすわたしに彼女がそっと歩み寄る。
「魔女に話しかけるなんて変だね、めぐる。みんなと友達になりたいんだったら、魔女からは離れてないとだめだよ」
わたしよりピンポン玉ひとつ分目線の高い少女が、首をすくめてわたしに重々しく忠告する。
「……タマコちゃんは魔女じゃないでしょ」
「それは誰にも分からない。本当にそうかもしれないよ?」
タマコは変わらずに言い続ける。
それからふとつまらなそうに目を伏せた。
「君もそうやって言うんだね。そっか」
「…………?」
彼女の意図がわからなくて、まだ何かを言いたげな様子のタマコの、次の言葉を待つ。すると少女は小さく溜め息を吐いた。
「気にしなくていいよ。別に、ぼくがいうことなんて無視してくれていい」
諦めたような顔をして言うから、わたしは首を振って彼女に一歩近付いた。
「……無視なんかしないよ」
わたしはタマコと友達になりたい。
もっと君の話が聞きたい。
その絵の具を塗りつぶしたような黒の瞳を正面に見つめて。けれどタマコは瞬きと共に顔を背けると、わたしの横を通り過ぎて教室へ戻って行ってしまった。
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