record_012 encounter(4)


 EZ998_S22_r999a1。その市民エージェントの頸にはそう記されていた。識別チップの埋め込まれた辺りに、市民ならば必ず印字されているIDだ。そのIDは彼がr999a1区の分析官インベスティゲーターであることを示していた。

「r999a1区……て」

 EZ136はようやく我に返った。r999a1区。それはCW073局長が調査すら諦めた危険地区だ。街頭センサーでは動作している市民エージェントがひとりたりとも確認されなかった、死滅した区域。EZ333は連れてきていた〈助けるぞう君〉にEZ998をスキャンさせた。

 

「ア、イタ」


 これはEZ136らを診断した結果の可能性がある。その後に続けられる語をEZ136は祈るような気持ちで待つ。


「キュウジョタイショウ、ハッケン」


 それはこの地区に来て初めて聞いた言葉である。EZ136とEZ333は茫然として互いに見合い、抱き合った。それは即ち、この幼馴染の市民エージェントは治療を施してよいということになる。

 安堵の息を再び落とすと、EZ333は腰元にあったボディ・バッグを下ろした。分析官のボディ・バッグと異なり、鉄製の無骨なものではない。中には救急キットが収められており、傷口を塞ぐジェルや関節の部品パーツやそれを取り替えるための簡易医療器具が仕舞われている。

「とはいえ、ここだと治療も難しいな」

「早く支部に戻らないと……そう言えばなんかさっき〈キャリアー〉って聞こえたんだけど」

 EZ136は汗を袖で拭いながら、EZ333を見る。EZ998のことで驚き、すっかり聞き損ねていたが聞き逃してはいない。EZ333はEZ998の汚れた顔を布巾で拭いながら応じた。

「ああ。流石のお前らも、〈キャリアー〉で跳ねれば少しは打撃を与えられるかと思って」

「随分と乱暴な手立てを考えたわね……私も同じこと、実は考えてたけど」

 だが、その程度では機能停止まではしない。執行官とはそういうものだ。EZ333は手を止めると、EZ136を見据えて静かな声を鳴らす。

 

「兎に角、簡易的な治療ならここでもできる。お前も見せろ。擦りむいたところとか。ジェルで裂け目を塞ぐ」

 

「そんな深い怪我してないわよ」

「嘘つけ。さっき走る時、妙な走り方してたの見逃してないぞ」

「……はい」

 実を言えば、戦闘時、相手の攻撃を交わす際に足を挫いていた。その上急所は躱しているゆえ、死に至る傷はひとつもないが、腕には軽い切り傷が無数にある。EZ136は黒色の深靴ブーツを脱ぎ、足首を見せた。右の足首は赤く腫れている。

「これは、部品パーツを交換したほうがいいな」

「えー……」

「大声出すなよ。あの執行官にこの場所を見付けられたくない」

「はい」

 EZ136は泣きそうになりながらも堪えた。EZ333は数本の医療器具を手に持つと、足首の皮膚に軽くすーっと刀を通し、止める。そのを捲り、その奥に除いた足を留める部品パーツに器具を押し込み、力いっぱい回す。鋭い痛みでEZ136は涙目になる。心の臓が止まるほどの痛みではないが、全力で抓られるような痛みで地味に痛いのだ。EZ333はネジ型の部品パーツを外すと、戦闘用に頑丈に設計された予備部品パーツを差し込みまた医療器具を回す。

 

「いったたた!」

 

 最大限に小音にした声で叫ぶ。個人差はあるが外すより、付けるほうが痛いのだ。EZ136は目を瞑り、ひたすらに終わるのを待った。故に、EZ333の声は神の声のように思えた。

「ほら、終わったぞ。不具合ないか」

 いつの間にか、皮膚同士も縫合してくれていたらしい。傍目にはすっかり元通りになった足が其処にある。EZ136 は大きく息を吐き、足を数回曲げて回し、立ち上がって軽く跳躍もしてみた。うん。問題なし。EZ136が満足げな面持ちをすると、EZ333は彼女の応えを汲み取ったらしく今度は腕を差し出せと手を差し出す。

 渋々と特殊防護スーツのファスナーを下ろし、上着も腰元まで下ろす。日常ふだん着用しているボディ・スーツもそうだが、上から下まで繋がっているゆえ、上着だけ脱ぐということができない。

 EZ136は靭やかな上体を露わにすると、引き締まった傷だらけの腕をぐいと押し付けた。最早、何処から手を付けたらよいのか不明なほどに薄い刀傷まみれである。EZ333は眉根を寄せながらも、ジェルを手に取り、片端から塗布して回った。これがまた染みるので、EZ136は今にも逃げ出したい気分になった。

 せめて気を紛らわせようと横たえられているEZ998へ視線を移し、何となしに言葉を落とす。

 

「それにしても、どうやってr999a1区から逃げてきたのかしら……」

 

「考えられるのはあの執行官が途中まで護っていた、ということだな」

「〈スイレン〉の稼働音したものね。寸前まで意識があったのかも。立派ね……」

 だが不思議な点は幾らでも残される。EZ998はr999a1区「専任」の分析官だ。統括区所属でない市民エージェントには許可なく区間昇降機エレベーターを利用できない。では、どうやってr996a1区まで辿り着いたのか。それは全くもって不明である。

 そして次に緊急搬送用の昇降機エレベーター。あれも誰が作動させたのか。状況的に考えればあの執行官が使用したと思われるが、どうやって作動させたのか。そして何故、執行官だけが生き残り続けていたのか。何もかもが不明瞭である。EZ136は苦し紛れに云ってみる。

「統括区の誰かが関与している……とか?統括区所属の医務官。これなら、区間昇降機エレベーターも緊急搬送用の昇降機エレベーターも使えるわ」

「まあ、休暇で偶々てやつか。妥当ではあるが……それも該当者がいるかどうか」

「行方不明者、洗い出している最中だものね……明瞭はっきりとは言えないわよね」

 EZ136は深く嘆息する。それと同時に、すべての傷口を塞ぎ終えた。EZ136は「ありがと」と云って防護スーツを着直した。EZ998の治療は戻ってからだ。軽微なウイルス感染をしている可能性はあるゆえ、器具のしっかり揃っている医務室での治療が望ましいのだ。

 矢庭に、激しい轟音が鳴り響いた。ガリガリと地面を削るような音だ。両人は顔を見合わせた。

 

「――なんの音?」

 

 そろりと両人はビルの外部そとへ顔を出し、様子を伺った。そして、その光景に顔を引き攣らせた。〈キャリアー〉が到着したわけだが、その車体の前方には無骨な鉄板が取り付けられている。〈キャリアー〉はその鉄板で市民エージェントを跳ね飛ばしながら、猛速度スピードでかっ飛ばしていたのだ。

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