record_011 encounter(3)


 それは、錆びれた鎖に繋がれた白銀の小さなキューブだ。路に転がるキューブの備え付けられているランプがチカチカと点滅している。拾い上げてみれば、その側面にある小さな電子パネルには「NOAH」と表示されていた。

 

「誰か、私の声を――……」


 そこでふつり、と音が止んだ。EZ136はそのキューブに見覚えがあるような気がした。だが、それがいつ何処だったのか思い起こされない。

 だが突如、EZ333の呼び声で我に返った。


「サーティス、後ろだ!」

 

 EZ136はほぼ反射で〈カムイ〉を振るっていた。金属の当たるような音が響かれ、視線を向ければ燃えるような赤い髪が白煙の中に現れる。赤いボディ・スーツを身に着けた男型メールタイプ――執行官エグゼキューショナーだ。彼の手にある獲物もEZ136の持つ簡易刑執行装置ユニットと同型の大刀型。おそらく、〈カムイ〉だ。脚を怪我しているらしく、奇妙な姿勢で立っている。そして、その眼の焦点は何処にも定められていない。

「感染……してる?」

 すっと胸の奥底が冷える感触がした。おそらく彼はこの区の担当執行官だ。だがそれは正気な様相をしていない。未だ処置をすれば間に合うのか?それとも――EZ136が迷ってただただ応戦するに留めていると、路端にいたEZ333が声を張る。

「サーティス、そいつは最早もう手遅れだ!」

 然りげ無く持参していたらしい。彼の足元には〈助けるぞう君〉がおり、「イナイ、イナイ」と喧しく声を鳴らしている。手遅れ、とはそういうことだ。

 EZ136は唇を噛み締めると〈カムイ〉を握り直し、相手の執行官を往なして後退した。流石に相手が同職では分が悪過ぎる。せめて通常の刑執行装置ユニット〈スイレン〉が使用できれば。奥歯を噛み締め体勢を立直し、弱気な思考を掻き消す。逃げるにしろ、今はこの暴走者をどうにかせねばならない。

「やんなるわね……」

 EZ136は悪態付くと、勢い良く飛び出す。隙を見せぬように脇を締め、可能な限り彼の死角に這入り攻撃する。ウイルス感染したとしても、身體に染み付いた動きは消去されないらしい。執行官の男は実に見事な身の熟しをしてみせた。手足の長さリーチもあちらに分があり、女型のEZ136は躱す一方になりつつある。

 遠目に幼馴染の苦戦を目の当たりにしていたEZ333はきょろきょろと周囲を見た。何かしなければ。今の装備では、彼女は敵わないかもしれない。

(くそ。これなら〈キャリアー〉で来ればよかったな)

 EZ333は〈ネイバー〉を操作した。間に合うか分からないが、流石に〈キャリアー〉には執行官も無事ではいられない。早く、早く繋がれ。長く鳴らされる通信音にEZ333は苛立った。

 ようやく通信が接続されるとEZ333は声を荒げて叫んだ。

 

「誰でもいい!早く誰か地点8869に〈キャリアー〉を回せ!最大速度でだ!」

 

 出たのはEHbb0だったらしい。珍しいEZ333の怒声に驚いていた様子だが短く「了解」と云って通信を切断した。何か良くないことが起きているに違いない、と感じだったのだろう。

 再びEZ136の方角へ視線を向けると、彼女は辛うじて相手の猛攻を躱し時おり反撃をしてみせていた。彼女は優秀だ。だが小柄な彼女には、身體の大きさや腕力で物を言わせる戦術は向いていない。

(〈キャリアー〉を最大速度で飛ばしても、数分はかかる。その間に何とかしないと)

 せめて、一時的にでも何処かに隠れられれば。しかしそうするにしても、何かで注意を引き付けねばならない。EZ333は周囲を注意深く見回し、友の妨げにならぬよう忍び足で路へ出る。そのかんも激しく金属の打つかり合う音や骨や肉を砕き、断つようや音が響き渡り、EZ136は咆哮を上げる。

「こんの、大人しくしやがれっての!」

 だが、その刃は外され、腹を割くに留まる。EZ333は気が急いた。何か、何かと。ふとその時、EZ333は何かを蹴飛ばした。その足元にあるものにEZ333は瞠目した。暫し茫然としたが、もうひとつ路に転がっていたものに意識を留めた。それは、小型爆弾型の簡易刑執行器具ツールだ。目眩まし程度にしか使用されないが、いざというときに執行官が使用するもので、オフライン機器だ。

 EZ333はそれを拾い上げると、街中に響かせる勢いで声を張った。

 

「サーティス、こっちに来い!」

 

 緑髪の男がいつの間にか其処にあることに一瞬、EZ136は目を見開いたが、その手に持たれていた機器ツールで直ぐに理解した。EZ136は力いっぱい相手の執行官を蹴飛ばして退くと、一心にEZ333の元へ駆け寄った。EZ333は小型爆弾型の刑執行機器ツールを手渡すと、早口に告げる。

「これ、お前なら使えるだろう?兎に角、一旦何処かへ引くぞ」

了解ラジャー!」

 EZ136 は相手の男がよろけているのを認めるや、小型爆弾型の刑執行機器ツールの起動させて放った。それと同時に両人はそばにある議会コングレスのビルに向かって走る。「con_us34857」と記されたビルだ。一般ビルは保安局のものと比較くらべてセキュリティが薄い。逃げ込むなら、一般ビルだ。

 爆発音が轟き、爆風が周囲を薙ぎ倒していくと、一層白煙が濃くなる。その中を吹き飛ばされぬように脚を踏ん張らせながら、目的のビルへ飛び込んだ。

 爆音と爆風が止み、周囲に静寂が呼び戻された頃、EZ136はようやく息を付いた。

「助かったわ、トリプル……。でもこのあと、どうしよう」

 暴走者は誰かひとりに集中することはないが、捉えた者を手当たり次第に襲う習性がある。加えて、監視官の感覚系は他の市民エージェントと比較べようもないほどに鋭く設定されている。あの暴走する男型に気付かれぬように逃れきることは可能か。EZ136の横で、EZ333が〈ネイバー〉を操作し、短く伝えていた。

「誰が〈キャリアー〉を操作しているがわからんが、地点8898のcon_us34857ビルまで来てくれ」

 EZ333は即座に通信を切断し深く息を吐いて何かを床に下ろす。EZ136はそこでようやく、彼が何かを背負っていたことに心付いた。よくよく見れば、黒服の市民エージェントだ。EZ136は蒼白になりながら忍び声で叫んだ。

「ちょっ。何拾って来てるのよ!?感染者だったら……」

 だが、その語は途中で遮断ざされる。それは長い白髪を流した、小柄な市民だ。おそらく女型だが身體の凹凸はない。だが問題はそこではない。その頸に印字された市民IDだ。その見覚えのあるIDに、EZ136は眼を見開いた。

 

「ナイン……エイト?」

 

 ナインエイト。それは、五人目の同期の愛称である。

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