record_002 slight sleep(1)

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「サーティス!」


 己の愛称を呼ぶ女の声で、EZ136は意識を取り戻した。

 気が付けば眼前には、己に飛び掛かるひとりの市民エージェント。白服の女型フィメールタイプだ。白目を剥いて泡を吹きながら咆哮を立てている様子を見るに、とても正気ではない。咄嗟にその女の顎に肘鉄を打ち込み、よろけたところを後ろから回り込んで地に叩き付けて動きを封じる。

 その頸のプラグ穴には、既にプラグが接続され、それを繋いでいたケーブルが引き千切られている。どう見ても只事ではない。EZ136は女を押さえ付けながらも当惑した。――己は何をしていたのだったのか、記憶が混濁して思い出されない。

 突として視界の左端にウィンドウが開き、ひとりの女型の市民を映し出した。

「サーティス、大丈夫?」

 柔らかで甘やかな声だ。ボブ・ヘアにした白髪で顔を覆い、シルバーのゴーグル(ヘッドセット型支援装置ユニット〈ネイバー〉の一部だ)の下で大きな白銀の眼をくりくりとさせている。纏っているのは詰め襟の黒い制服。襟元には剣と盾を模した襟元をしている。

 彼女はEZイーゼッド110イレブンゼロ。同じ保安局セキュリティの局員で、監視官オブザーバーの役割を担う市民エージェントだ。そして――EZ136の数少ない友人のひとりである。愛らしい友人の姿にEZ136は目を瞬かせ、ふと周囲を見渡した。

 白服に羽根ペンを模した胸章を施した数人の市民エージェントたちが遠巻きにEZ136たちを不安そうに見物している。その多くは頭部から白髪を流し、後頭部から白銀の眼を〈ネイバー〉で覆っていた。

 さらに遠くへ意識を移すと、何処までも同じ形をした白いビルが連なり、所々の宙に電子掲示板が映し出されている。その向こうには、空間を分断するように無骨な区間昇降機エレベーターが貫いているのが見える。

 視線をEZ110の映るウィンドウへ戻すと、EZ136はようやく口を開いた。

「ねえイレブン。何をしていたんだっけ?」

「え?どうしたの、サーティス。本当に大丈夫?」

 EZ110は不安げに画面の向こうにいるであろうEZ136を見詰めている。EZ136は片手で下敷きにしている女を離さぬようにしたまま、もう片手で額を押さえやんわりと間延びした声を鳴らす。

「え、あ、うん。何だろう。永い夢を視ていたような、そんな気がするのだけれど」

 だが、具体的な記憶は思い起こされない。思い出そうとしても意識が絡まり、輪郭かたちの片鱗すら見出せない。何度試みても靄掛かり、無理に突き通せば酷い頭痛が伴われる。小さく呻くEZ136を前に、EZ110は気遣わしげにことばを掛ける。

「……本当に大丈夫?今日はやけに忙しいから」

 それすらも分からない。EZ136は眉間を抑えて「そうだっけ?」と尋ね返す。EZ110は嘆息すると、新たなウィンドウを幾つか開き、提示する。それらは支援要請だ。そのすべてには「3023/11/24」という日付と「AM09:05」、「AM10:15」と連続した時間が記されている。ちなみに、現在はPM05:32だ。EZ110はウィンドウを閉じると、嘆くような語調で続ける。 

「朝からずっと各支部地区からの要請を引き受けて回ってたじゃない。新型のウイルス感染者がいやに多くて……その市民エージェントなんて、拘置所から逃げ出して追跡大変だったんだから」

 そこで突然に、EZ136は微睡みから覚めたような気分になった。そうだ。今朝はやけに緊急要請が多く、その上が酷く暴れ回って苦労したのだ。だのに、完了報告書の作成は待ってはくれず、今もせっせと報告書を書き上げては指定フォルダに投じている。

 EZ136は深く息を落とすと、長いおさげを手で払った。

「あー、そうだった。上限までスレッド立てて並行処理してるから、混乱してたのかも。やんなる」

「ひええ……」

 思考・判断機能の複製と並行処理は一部例外があれど、女型の市民の特権と言ってよい。これは実に有用で、効率的だ。だが自我の複製は許可されていないため、それらの処理は実質ひとりが監視している。故に、数が増えれば混乱はしなくとも目が回る。

 EZ136は暴れ回る「処分対象者」を押さえ直し、腰元から回転式リボルバー銃型の「刑執行装置ユニット」〈スイレン〉を抜き出した。この銃には対象の全処理に停止命令と自己破壊命令を出す弾丸が籠められている。

 〈スイレン〉の安全装置セーフティを外すと、EZ136の視界に照準線レティクルが表示される。それは円の大きさを広げたり縮めたりと目標をなかなかに定めない。EZ136は視線を女の首元にあるプラグ穴へ集中させると、ようやく照準線レティクルが定まり、視界が赤く染め上げられる。これは刑執行が可能になったことを示している。EZ136は低く声を鳴らし、実行コマンドを云い放った。

「刑執行モード起動。対象者ターゲットの処分許可、承認確認。対象者ターゲットの排除を実行」

 敢えてそういう仕様にされているのだろう。引き金を引くと同時に、激しい銃声が鳴り響く。弾丸は眼下のプラグ穴を貫いた。同時に女は仰け反り、甲高く絶叫し――そのまま崩れ落ちて沈黙を下ろした。

 ふう、と息を吐くと、EZ136はやおら立ち上がる。周囲を見渡すと、見物していた白い人人は畏怖のまなこを向けて様子を伺っている。視線を視界の左端れ移すと、EZ110は視線を下ろしていそいそと端末を操作している。彼女は手を止めると、にっこりとEZ136へ微笑を浮かべて云う。

対象者ターゲットの完全停止を確認。お疲れ様、サーティス」

「これで最後?」

「今のところは。本部に戻って大丈夫よ」

 同時に、EZ136の並行処理が完了する。後はついさっき終えた報告書を作成して提出するのみ。而も、時間はPM05:55。もう間もなく交代時刻である。〈スイレン〉を腰元のホルダーに戻し、EZ136は大きく伸びをした。はっと我に返ったのか、周囲の見物者たちもそそくさとその場を離れ、持ち場へと戻ってゆく。彼らを意に留めることなく、EZ136は晴れ晴れとした声を鳴らした。

「はあ……これでやっと休息やすめるのね」

「あー……、その」

 だが返ってきたのは気不味げなEZ110の声。その怖ず怖ずとした友人の様子に、EZ136は顔を顰めた。

「どうしたのよ、急に」

「えっとね、サーティス。お疲れのところとっても、とっても言いづらいのだけれどね」

「……あ、通信遮断ってもいい?」

 厭な予感に、思わずEZ136は声を上げる。だが、それを予測していたかのように新たなウィンドウが開かれた。それは一通の通知だ。そこには一言。


「今直ぐ戻って緊急会議に参加せよ」


 それは保安局局長から発信された指令である。必須参加者の中に、EZ110やEZ136の名もある。それに加え、この通知には特殊機能が搭載されており、目にすれば既読の確認が取れてしまうという代物だ。即ち、見なかった振りは叶わない。

 EZ136は膝を付いてがっくりと項垂れた。時刻はPM6時。残業確定である。

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