四日目・朝~



 海岸沿いの道から雑木林に繋がる脇道に入ったケイは、そこからぱっと見では分かり難い獣道に分け入った。姿勢を低く取りながら、足音を立てないようにそっと進む。

 そうして少し奥まった場所にある開けた空間の手前までやって来ると、愛美と清二の会話が聞こえて来た。


「ヤナセに聞いたんだろ?」

「聞いたって、何を?」


 清二は何かを確認するように問い質し、愛美は困惑した様子で何の事かと聞き返している。ケイは腰のスタンガンに触れて確認しつつ、息を潜めて二人のやり取りに耳をそばだてた。


「トボけんなよ! 輪姦まわされたってチクッたんだろ!」

「マワ――? なに、言ってんの……?」


 声を荒げる清二が焦りを募らせているのとは対照的に、愛美はますます困惑を深めているようだ。


「先輩の事……ポリにチクられるとマジヤベーんだよ」

「ちょっと、どういう事よ? お姉ちゃんと何があったの?」


 愛美は、自分が知っている情報の擦り合わせをするので、始めからきちんと全部話すよう清二に要求している。直ぐ近くに潜んで二人の様子を覗っているケイは、今のは良い誘導だと頷いた。

 彼女の手がさり気なく上着の胸元に触れたのは、恐らく内ポケットに哲郎のボイスレコーダーが入っているのだろうとケイは推察する。

 ちゃんと起動させていれば、ここでの会話が記録されているはずだ。



 そうして清二から語られた内容は、愛美を絶句させるものだった。彼女の姉、柳瀬絵梨香が自殺した原因は、清二に弄ばれて捨てられたという、失恋によるショックなどではなかった。

 当時、柳瀬絵梨香と付き合っていた清二は、自分の住むアパートを訪れた素行の悪い先輩から、無理難題を要求された。


『お前の女抱かせろや』

『フーゾクで働いてんなら別にいいだろ?』


 清二はこれを断れず、絵梨香を呼び出した。何も知らずにアパートにやって来た彼女は、清二の見ている前で襲われた。その二人は部屋を去る際――


『なかなかええ具合やったわ。二千円でええやろ?』

『また溜まったら頼むで』


 これにへらへらと頭を下げながら金を受け取る清二の姿を見た絵梨香は、強姦された挙句恋人に裏切られた事に絶望して、自殺に至ったのだ。



 清二は、絵梨香に妹が居る事は聞いていたが、顔は知らなかった。『梨絵』の荷物から定期入れとその中の写真を見つけて、梨絵が愛美である事、そして絵梨香の妹だという事に気付いた。

 愛美が絵梨香から事情を聞いていると思っていた清二は、それで先輩達の情報を探りに来たのではと疑ったらしい。


 勿論、愛美はそんな事があったなど全く知らなかった。姉が受けた仕打ち、自殺した本当の理由を知ってショックを受けた愛美は、清二を厳しく批難した。


「あんた、彼氏の癖に何してたのよ! 何でお姉ちゃん守らなかったのよっ!」

「しょーがねーだろっ! あの人ら、マジでキレてんだぞ! 逆らったら殺される!」


「……っ! こんな、根性無しの男の為に……――最っ低!!」


 遣る瀬無さに憤る愛美が、吐き捨てるように罵倒する。しかし保身に走る清二は、事件が周囲に露見して先輩に睨まれる事ばかり気にしていた。


「なあ、他の人に言うなよ? お前の親とか、あの店でも喋るなよ? 先輩にバレたらマジでヤバいからな」


 そんな清二の言葉を聞いた愛美の顔から、表情が消えた。これはマズいと判断したケイは、ここで茂みから立ち上がる。この後の展開は容易に想像出来る。恐らく前回は、ここで警察に訴えると言い出した愛美に、焦った清二が保身と隠蔽目的で殺害に至ったのだろう。

 愛美が何かを言う前に、ケイは二人の前に姿を見せた。


「お、お、おまっ! なんでっ 今の、聞いて……っ! リエお前、こいつにっ」


 ケイが現れた事に目を剥いて驚いた清二は、かなり動揺した様子で意味不明な言葉を喚く。


「まあまあ、落ち着いてください。二人ともとりあえず旅館に戻りましょう」


 人の多い場所に移ってしまえば滅多な事は出来まいと考えたケイは、清二より語られた衝撃的な話からひとまず愛美の意識を外すべく、双方を宥めに掛かった。

 愛美は何か言いたそうに、訴えかけるような表情を向けて来る。ケイはその目を見つめ返しながら、もう一度ゆっくり諭す。


「みんな、心配してますよ」


 この場所は良くない。今ここで清二を追い詰めるべきではない。そういう気持ちを込めたケイの眼差しが伝わったのか、愛美は少し眉尻を下げた。

 彼女が胸中の憤りをひとまず収めたのが分かり、ホッとしたのも束の間。清二の様子を見やると、彼は気忙しげに手を彷徨わせながら、周囲や足元に視線を這わしている。

 その動きにピンと来たケイは、そっと自分の腰裏に手を回してスタンガンのホルスターカバーを外した。あれは、『武器を探している』のだ。


 やがてソフトボール大の石塊を見つけた清二が、それを拾い上げる。同時に、ケイはスタンガンを抜いた。

 ケイが突然黒っぽいテレビのリモコンのような物を手にした事に、愛美はきょとんとした表情を浮かべたが、ケイがじっと見つめている視線の先、清二を振り返って息を呑む。


「っ……!?」


 血走った目をした清二が、大きな石塊を手に、にじり寄ろうとしていた。思わず後退る愛美。

 その時、カカカカッという乾いた音が響き渡り、閃光が瞬いた。ケイがスタンガンのスイッチを押して電極に放電を発生させ、威嚇したのだ。

 ケイのスタンガンを見た清二が動きを止める。不穏な空気が漂い、緊張が高まる中、ケイは清二と正面から向かい合った状態のまま、愛美に旅館へ戻るよう促す。

 臨戦態勢の男二人が無言で睨み合う間に立つ愛美は、交互に視線を向けて戸惑いながらも、ケイの指示に従いこの場から離れて行った。


 愛美の姿が完全に見えなくなるまでの間、清二は今にも襲い掛かって来そうな雰囲気を醸し出していた。

 恐らくその内心では、自殺した元恋人の妹が正体を隠して自分に近づいて来た事に対する不安と、それに動揺するあまり余計な部分まで喋ってしまった後悔や、焦りに苛まれていたのだろう。

 清二は、愛美の口から先輩達の所業が公に曝され、それによって自分が先輩達に報復される事を恐れている。ケイはそう推察した。


(ここは説得して収めるか)


 ケイは、清二の不安を和らげる事で落ち着かせようと試みる。今の清二は、追い詰められて切羽詰まった興奮状態にある。基本的に小心者であるが故の暴走。

 一度冷めてしまえば、愛美を殺害して口封じなどという短絡的な選択は取れなくなるはずと見ていた。

 特に、第三者であるケイに詳しい事情を知られたという現状は、清二の心理に大きく影響する。これにより、旅行が終わった後も愛美が命を狙われ続ける可能性は低くなった。

 愛美に何かあれば、ケイが動くという図式が出来たからだ。


「とりあえず、少し話をしましょうか。まずはその石を捨ててください」

「お、お前のソレも捨てろや!」


「これは借り物なので」


 清二の動揺から来る反論にもなっていない戯言は流しつつ、ケイは諭すように語りかける。


「不安なのはわかりますが、状況を悪化させない方がいい。今なら過去の事で済ませられる」


 ケイは、状況的に警察は動かないであろう事を挙げ、しかし今ここで傷害などの事件を起こせば、原因となった過去の出来事にも捜査が及び、芋づる式にその先輩達もあぶり出されると示唆する。


「今回のケースの場合、告訴した側が柳瀬さんの自殺の原因との因果関係を証明しなければならないので、立件は難しいでしょう。愛美さんは簡単には納得しないでしょうけど、説得は出来ます。ただ、柳瀬さんのご両親の耳に入ればどう動くかは未知数です。その先輩方に何らかの社会的制裁が下される事を望まれるかもしれません。戸羽さんは、その先輩達とは縁を切れないんですか?」


「え、え? 縁切るつっても、オレん家知られてるし……電話番号も……」


 ケイの唐突な理詰め質問攻めに怯む清二。ケイは特別難しい事を言っている訳ではないのだが、清二にとっては専門用語満載で捲し立てられているかのような圧力を感じていた。――それを狙っての長口上であった。


「繰り返しますが、まずは状況を悪化させない事です。とりあえず一度、旅館に戻りましょう」


 愛美ともきちんと話し合い、今後の身の振り方を考える事で自分の身の安全も計れると促すケイに、清二はみるみる闘争心を萎ませる。

 清二の手に握られていた石が、ポトリと地面に転がった。



 ケイが旅館に戻って来ると、玄関ホールのところに愛美と哲郎、それに加奈と恵美利も集まっていた。ケイの姿を見るなり皆が駆け寄って来る。


「ケイ君っ 大丈夫だった?」

「ああ、問題無いよ」


 恵美利がケイの後ろにいる清二を気にしながらも声を掛けて来たので、ケイは特に大事には至らなかったと答えて皆を宥める。

 ふと愛美の様子を見ると、胸元に組まれた手の中に哲郎のボイスレコーダーがあった。恐らく、先程の雑木林でのやり取りを皆に聞かせていたのかもしれない。

 ケイは愛美と清二に、奥の休憩所に向かうよう促した。


「一度しっかり話し合って、双方の考えを纏めておこう。他の皆は……」

「……一緒でいいよ」


 哲郎や加奈、恵美利の顔を見渡しながらどうするべきかと考えるケイに、愛美は他の三人も同席させるよう訴えた。


「巻き込んじゃって、悪いけど……」


 そう呟く愛美に、三人は揃って了承の頷きで答える。どうやらケイが清二と対峙している間に、愛美達の方でも話が進んでいたようだ。彼女に協力する意向で結束が固められているらしい。

 味方が多いのは結構な事だが、それが『強気』を招いて話を拗らせる要因になっても困る。清二は事情を知る者が一気に増えて、かなり居心地が悪そうだ。


(なるべく穏やかな対話になるよう心掛けるか)


 ケイは皆と奥の休憩所に向かいながら、この問題を如何に軟着陸させるかを考え始めていた。


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