四周目

三日目・深夜過ぎ~四日目の朝



 梨絵にはもう少し突っ込んだ事情を聴く必要がある。

 そう判断したケイは、私物の回収を済ませた梨絵を一旦201号室に招き、荷物を置かせてから大事な話があると言ってもう一度外へと連れ出した。

 今度はしっかり防寒対策で上着も羽織って、ある意味安全な丘の上まで戻って来る。


「なんでまたここに……大事な話って何?」


 わざわざこんな場所まで連れて来られて困惑気味な梨絵は、若干不審そうに問う。ケイは真剣な面持ちで梨絵に向き直ると、おもむろに訊ねた。


藍澤あいざわ愛美あいみ絵梨香えりかという名に心当たりは?」

「っ!? な、なんであんたが」


 目を見開いて驚く梨絵。

 現時点で自分が知っているはずの無い情報を出して踏み込んで行くやり方は、相手に不審感を抱かせるリスクも大きいので悪手寄りだ。

 しかし、ここは少々怪しまれてでも、梨絵のプライベートに突っ込んで事情を把握しておく必要があると判断した。

 単に清二と接触させないようにして、殺傷事を回避するだけではダメだ。このままでは、旅行が終わった後も、梨絵は清二に命を狙われ続ける可能性がある。


「あと、"ヤナセ"について何を知っているのかも聞いておきたい」

「……」


 清二が梨絵を連れ出せたキーワード。

 梨絵が部屋を飛び出した事を切っ掛けに、彼女の私物を漁った清二は、何かを見つけてそれを懐に入れた。梨絵が荷物から無くなっていると言っていた物。

 恐らくそれが、清二が梨絵を殺害する切っ掛けに結びついていると思われる。


 加奈達から聞いた、梨絵が連れ出された時の状況を察するに、清二は梨絵の荷物に見つけた物から、彼女が"ヤナセの〇〇"の関係者だと考え、問い質した。

 そして身に覚えがあった梨絵は、彼の連れ出しに応じたのだろう。

 今の時点で、清二は梨絵の荷物の一部を手に入れて、彼女が"ヤナセの〇〇"に関わっている人物であると認識している。

 事件は既に始まっているのだ。

 清二が梨絵を殺害するにまで至った動機、彼が抱える問題を明らかにして処理してしまわなければ、この事件は終わらない。


「あんた……本当に何者なの?」

「今はまだ言えない。教えてもいいけど、多分、荒唐無稽な話としか思えないだろうから」


 ケイの答えに、梨絵は眉を顰めながら胡乱げな目を向けて沈黙する。しばらくそのまま見つめ合っていたが、やがて小さく溜め息を吐いた梨絵が、視線を逸らしつつ口を開いた。


「……『あいみ』じゃなくて『あみ』」

「え?」

藍澤あいざわ愛美あみは、あたしの名前。柳瀬やなせ絵梨香えりかはあたしのお姉ちゃん」


 牧野まきの梨絵りえ――本名・藍澤あいざわ愛美あみから聞いた話はこうだ。彼女には柳瀬やなせ絵梨香えりかという一つ年上の姉がいた。

 性が違うのは、彼女達姉妹の両親が離婚したから。原因は、母親の浮気だったらしい。


(つまり、加奈が聞いた『お前、ヤナセの――か?』は、『お前、柳瀬の妹か?』って事か)


 当時、高校三年生だった愛美は父方に引き取られ、これまでと同じく父の家で暮らしていたが、母方に引き取られた絵梨香は、母の再婚相手と折り合いが悪く、間もなく家を出た。


「その内、生活難で夜の店に勤めるようになってね……あたしは時々会ってたんだけど」


 その姉が熱を上げていた男が戸羽清二。姉が働く店の常連客だったらしい。この時点では愛美と清二に面識は無かった。

 そんな姉は、ある日、住んでいたアパートで首を吊った。


「ようは、弄ばれて捨てられたっていう、よくある話よ」


 愛美は、姉の荷物整理をしている時に見つけた携帯のメールを読んで、失恋が自殺の原因らしいと思ったそうだ。

 姉が単にそういった経験に乏しかった為、深いショックを受けたのかとも考えていたが、姉が勤めていた店に挨拶に行った際、携帯画面で見た清二の姿を見掛けた。

 その時の清二は、店の女の子を侍らせながら、「遊びの女に飽きたから捨てたら自殺した」と、笑いながら吹聴していた。


 あの男は姉を侮辱した。苦しい境遇の中、少女のような笑顔で彼氏の事を惚気ていた姉の、最期の姿が、愛美の中でフラッシュバックする。


『あの男、許さない』


 そうして復讐を決意した愛美は、清二が好みそうな軽い女を演じて近づいた。


 始めこそ殺意を秘めていた愛美だったが、話してみると気さくな人柄で、粗暴なところもあるが小心者。一生懸命見栄を張ろうとしているのが分かってしまい、あの時のあの態度も、姉の自殺にショックを受けているがゆえの空威張りだったのでは? と思うようになった。

 姉の事を聞いてみたいとも思ったが、復讐目的で近づいている身である以上、今さら姉の妹だと名乗り出るのも何だか憚られた。

 流石に身体の関係にまでなるつもりは無かったので、求められた時は本当に困ったそうだ。


「――で、今に至るってわけ」

「ふむ……なるほどね。色々話し辛い事まで言わせちゃってごめん」

「……まあ、いいけど……」


 真摯に謝罪するケイに、梨絵――愛美は、視線を逸らしながらそれを受け入れた。



 旅館に戻って来たケイ達は、201号室に直行して夜明けまでの時間を過ごす。前回同様、愛美はソファーを借りて仮眠に入った。

 前回よりは少し睡眠時間が短くなるが、概ね同じ流れを辿っている。現状をそう推測するケイは、この後の展開も出来るだけ前回と同じ流れにするよう考えていた。

 少し危険だが、清二があの現場で何を話したのか知る必要がある。愛美を殺害するに至った理由。


(タイムスケジュールで変更する箇所は、哲郎が起きてからと、朝食後の風呂のところからだな)


 やがて珍しく早起きな哲郎が目覚めると、自殺云々の話や梨絵=愛美という部分は伏せつつ事情を話し、協力を取り付ける。愛美には、もうしばらく偽名である『牧野梨絵』でいて貰う。


「ところで哲郎、ボイスレコーダーとか持ってないか?」

「あ、持ってる」

「おお、流石」


 無ければ携帯の録音機能でも使おうと思っていたケイだったが、哲郎は写真つき旅行ブログなど開設しているだけに、カメラの他にもそういった小道具を一通り揃えているようだ。


 そうこうしている内に愛美も目を覚ましたので、哲郎のボイスレコーダーを渡しておく。


「常に持ち歩くようにして、もし戸羽さんと二人きりになりそうな時は起動させるように」

「……これ、どうやって使うの?」


 愛美は、寝起きでボーっとしているところによく分からない機械を渡されて呻く。


「哲郎、出番だ」

「え」


 ボイスレコーダーの使い方レクチャーを哲郎に丸投げしたケイは、そろそろ加奈達が部屋を出て来る頃だと廊下に向かう。

 ふと振り返れば、操作法を教わる愛美は哲郎の隣に身を寄せ、手取り足取りの指導になっており、哲郎が緊張しまくっていた。


「じ、自動録音の時は、う上のスイッチをすすスライドさせて――」

「ここ?」


(テンパってる、テンパってる)


 ケイはそんな平穏な光景に和みつつも、この後に来る修羅場に備えて、気持ちを引き締めながら廊下に出た。

 そこからは、加奈と恵美利を部屋に呼び込んで協力を取り付け、食堂で杵島と城崎に根回しを行い、食事中にやって来た清二とのイザコザと顛末まで前回と同じ流れが展開された。

 愛美を加奈と恵美利の部屋に泊めて貰うという話も纏まり、愛美の荷物から物が無くなっている事が明らかになるところまで事態が進んだ。


「それじゃあ一旦解散しよう。俺達は下の風呂に入って来るから、後でまた集合って事で」

「うん、分かった」


 いよいよ、大きく流れを変えるポイントが訪れる。現在ケイは、哲郎と連れ立って大浴場に向かうべく、入浴道具を持って部屋を出たところだ。


「哲郎、ちょっと用事があるから先に行っててくれ」

「ん? いいけど、相変わらず忙しいな、相棒は」


 哲郎はそう言いながら「荷物を一緒に運んでおくよ」と申し出たので、ケイは自分の入浴道具を預けて走り出した。

 今の時点で、愛美は加奈、恵美利達と共に203号室に居るのが確認出来ている。この後に愛美は清二に連れ出されるはずなので、そのタイミングを見越して手を打っておくのだ。

 広場の祠までダッシュしたケイは、石神様に念じて現在の状態を記録した。


(これでよし、次に何かあったらここからだ)


 石神様が響いたのを確認すると、予定通り大浴場へ向かった。



(ん……?)


 大浴場の入り口まで来たケイは、周囲を注意深く観察していてそれ・・に気付いた。

 廊下の奥の休憩所、加奈と恵美利の和解をセッティングした場所に、清二らしき人影が見えた。壁の向こうからこちらの様子を覗っている姿が、奥の窓に映っていたのだ。


(なるほど、この時に俺達の動きを見張ってたのか)


 ケイは気付かぬふりをして、そのまま大浴場へ入って行く。


「おー、来たか相棒」

「またせた」


 一応、手早く湯をかぶって汗を流すも、湯船に浸かる間もなく直ぐに出る。時間にして約五分。まさに『カラスの行水』であった。


「早いよ相棒!」

「悪い、実はまだ用事の途中なんだ。哲郎はゆっくり入っててくれ」


 ケイはそう言って詫びると、急いで着替えを済ませて大浴場を後にした。連れ出される愛美達と鉢合わせにならないよう、慎重に客室へ向かう。

 客室の並ぶ廊下までやって来たケイは、非常階段の出入り口前に立つ加奈と恵美利を見つけた。


「あっ、ケイ君! 加奈、ケイ君が戻って来たよっ」


 恵美利がこちらに気付き、出入り口から顔だけ外に出していた加奈の背中をぽんぽん叩く。二人はケイに、愛美が連れ出された事を訴えた。

 どうやら清二は、ケイが大浴場に入るのを見届けてから直ぐに行動したらしい。


「今、海岸沿いの道を歩いてます」


 加奈がそう言って、非常階段の出入り口から外を指差す。見れば、遠くに愛美と清二の姿を確認出来た。走れば直ぐに追いつける距離だ。


「加奈ちゃん、君のスタンガンを貸してくれ」

「え!? あ、は、はいっ!」


 加奈と恵美利は、一瞬驚いた様子を見せるも、何か納得した表情を浮かべた。部屋に駆け戻った加奈が例のスタンガンをホルスターごと持って来る。


「どうぞ。充電はしてあります」

「ありがと」


 ケイは短く礼を言ってそれを受け取ると、ベルトの後ろに装着しながら旅館の玄関に向かった。場所は分かっているので、愛美が殺される前に割って入れるはずだ。


(失敗したら出来るだけ情報を聞き出して、自殺でやりなおしだな)


 ケイとしては、自殺して時間を遡る方法は、正直なところあまり使いたくはない。

 しかし今回は愛美が危険な目に合うと分かっていて、情報収集の為に流れを変えなかったので、自分もその責任を負う覚悟でこの問題に臨む。


(愛美を、ちゃんと生かして返すようにしないと)


 旅館を出たケイは、砂浜海岸を左手に見ながら海岸沿いの道を駆け抜けていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る