三周目
初日
三回目となるツアー初日。ケイは予定通り旅館側のミスで哲郎と相部屋になると、201号室に向かいながらこれから取るべき行動を思案していた。
今回のツアーは、思った以上に訳ありの人々が集まってしまった、ややこしい状況なのかもしれない。
(前回、前々回の流れではダメだ)
恵美利、加奈の二人とはもっと親しくなって、彼女達の間に潜む問題を探り出す。同時に、不良カップルとも接触の機会を増やし、特に"リエ"についての詳しい情報が必要だ。歳の差カップルの事情も知っておかなければならないだろう。
社交的な参加者を装い、全員と最低一回の会話を試みる。帳簿から名前なども把握しておき、覚えている限りの情報を参考に、効率よく接触して周る。
そうして各人の行動に思い切った干渉をする事で、違う流れを作り出す。
(とりあえず、この方針で行くか)
ケイの記憶と経験の上では、既に六日余りが経過する。すっかり通いなれた201号室の扉を開けながら、まずは初対面の
「おおー、PCで旅の日記ですか。良いカメラお持ちですね、高そうだ」
「え、ええまあ……一応、二十万クラスです」
最初からフレンドリーに話しかけ、ネット環境をネタに会話を繋ぎ、デスクトップの壁紙を褒めて好感度アップ。手早く哲郎との親睦を深めていく。
ふと窓の外に視線を向けると、砂浜海岸へ向かう道に歳の差カップルを見つけた。夕方までにはまだ時間がある。
(初日で会える人には全員に会っておくか)
ケイは「ちょっと他のツアー客と親睦を深めて来るぜー」と言って部屋を出る。哲郎は「行動派だなー」と面白がっていた。
砂浜海岸に下りる土手までやって来ると、歳の差カップルの言い争うような声が聞こえてきた。ケイは土手を挟んだ向かい側に潜んで、そっと耳を欹てる。そこでは男女の修羅場が繰り広げられていた。
「来る前にちゃんと約束したじゃないか」
「別れたくない」
「だから、ちゃんと話しただろう?」
「別れるのはイヤ」
彼等のそんなやり取りから、ケイは大体の事情を推察した。どうやら、この旅行を最後に別れる約束をしていたが、女性側がそれを反故にしようとしているらしい。
女性、
「奥さんと別れればいいじゃない!」
「だから、それは出来ないと言ってるじゃないかっ」
前々回から不倫旅行疑惑はあったが、これで確定した。
(なるほど。この二人は、初日から
食堂に見る彼等の奇妙な様子や、三日目に起きる心中という結末の裏事情に納得する。二人の噛み合わないやり取りにしばらく耳を傾けていたケイは、会話が途切れて沈黙したのを見計らい、ぶらりと歩み出た。
件の二人は、人が来た事でさっきまでの痴情のもつれ感を取り
「ツアーの方ですか?」
「え? ああ」
男性は急に話し掛けられて戸惑いながらも会話に応じ、女性は『誰だろう?』といった雰囲気の視線で様子を窺っている。
「そうですか。俺、今日の昼に到着したんですよ。ここは静かで良い所ですねー。何もないですけど――」
適当にまくし立てるように喋って二人の気を引いたケイは、去り際に自分を印象付けるべくネタを仕込んでいく。
「それじゃあ杵島さん、俺は先に戻りますんで」
「え? どうして僕の名前を……」
「おっと、ふふ」
「……っ!?」
ニヤリと笑みを返したケイに、杵島は『まさか!』という表情を浮かべて動揺した。城崎はそんな杵島を見て小首を傾げている。
(この反応から察するに、杵島さんは俺を興信所とか探偵の関係者と思った可能性があるな)
ケイは目標の人物に対して、何でも良いから自分に注意が向くようにする事で、接触の機会を増やそうと考えていた。
最初の広場でのやり取りで恵美利には『怪しい』と思われているが、加奈には『社交的』という印象を植え付けた。哲郎には『行動派』のイメージを持たせている。
歳の差カップルには、今後『興信所関係者?』を匂わせる言動で気を引く事になりそうだ。
(不倫関係の知識がもう少し必要だな)
旅館に戻ったケイは、他に声を掛けられそうな相手は居ないかと玄関ホールを見渡した。
(不良カップルはうろついてないな)
"リエ"と"セイジ"との接触は夕食時とそれ以降になりそうだ。階段前までやって来ると、恵美利が廊下の自販機でジュースを買っていた。これ幸いと、ケイは早速アプローチする。
「やあ」
「……」
軽く声を掛けるも、あからさまに無視された。今はまだ『怪しい人』と思われているので、恵美利の態度は想定内。まずは彼女の気を引く一言を放って反応を見る。
「初心者の引率、お疲れさん」
「!?」
恵美利は、無視をするために繕っていた無表情を崩すと、『えっ?』という驚いた顔で振り返った。前回、恵美利と加奈から聞いた台詞――
『こういうツアーには以前から興味はあったんですけどね。私、一人で旅行とかしたことなくて』
『……加奈が、熱心にパンフレット見てたから。あたしに出来る事をしてあげたいなって、思ったのよ』
――あの言葉を参考にしたケイの一言は、恵美利がこのツアーに参加した経緯をピンポイントで突くものだった。思いのほか良い反応が得られたので、ケイは固まっている恵美利に謎の『余裕の笑み』を返して食堂へと向かった。
恐らく恵美利の頭の中では、ケイの言葉の意味について疑問が渦巻いている筈だ。自分と加奈の姿は、傍から見れば旅行初心者の加奈を自分が引率しているように見えるのか。あるいは、自分が知らない間に加奈とケイに話す機会があって、加奈から何か聞いていたのか。
もしくは、実はケイは以前から自分達を観察していたストーカーで、旅行先まで追って来た危険人物か――等々。
(まあ、最後の例ほど飛躍はしないだろうけど)
これで、恵美利はケイが何者なのか気になり始めるという寸法だ。加奈とも話し合うと思われるので、二人の注意をこちらに向ける事が出来る。
勿論、好印象を持たれた方が良いに決まっているのだが、今回はこのツアーで死亡者を出さない事を第一目標にしているので、悪印象でも構わない。
皆が無事に帰れるように、ここ六日分の記憶と経験を参考に、ケイは身近な他者の人生に介入する。
食堂にやって来たケイは、おばちゃんにツアー客は全部で何人いるのかなど、適当な話題を振って会話の糸口を掴むと、雑談に持ち込んで親睦を深めた。
歳の差カップルの不倫疑惑についても、先程の砂浜海岸で見た言い争いの情報をちらっと明かす事で、疑惑に信憑性を増してやる。そういった噂話に目のないおばちゃんの、ケイに対する好感度はうなぎ昇りに上がっていった。
そうして、口の軽くなったおばちゃんから色々と情報を引き出すのだ。
「そう言えば、もう一組の若いカップルとはまだ会ってないですが、名前は何て言うんです?」
「ああ、
といった具合に、不良カップルの正確な名前が明らかになった。
(
おばちゃんとの親睦も深められたし、ツアー客全員の名前も把握したので、ケイはそろそろ雑談を切り上げて部屋に戻る事にした。
「おっと、大分話し込んじゃいましたね。それじゃあまた、夕食の時はよろしく」
「はいはい~、おいしい料理つくったげるわよ~」
良い話し相手が出来て上機嫌なおばちゃんと別れ、ケイは201号室に戻って来た。
「おかえりー。随分遅かったね?」
「ああ、何かいきなり男女の修羅場に出くわしたよ」
哲郎に砂浜海岸での出来事を掻い摘んで話し、あのカップルは不倫旅行なのかもしれないと説明すると、哲郎は「まじでー」と話に乗りつつ、PCを弄り始める。ケイは、前回や前々回の記憶から、哲郎との交流の中で聞いた有用な情報を思い起こしていた。
(確か、哲郎のPCには修羅場スレとやらのログが入っていた筈だ)
「そう言えば哲郎、ネットに"訳ありの人達"の体験談を纏めたサイトとかがあるんだってな」
「ああ、修羅場スレとかそういうのがあるよ。いくつか面白かった記事はオフラインで読めるように保存してあるけど、読んでみる?」
「読む読む」
哲郎が保存していたネットサイトのログから、主に不倫関係の記事を読む。慰謝料の話や不倫を働いた者に訪れる破滅。再構築する者や離婚する者達などの知識を得る。
(この情報はもっと早く知っておくべきだったかな)
もしまた次のループに入るような事になった場合に備えて、ケイは色々な参考知識を頭に入れておこうと、それらのログを読み漁った。そんな記事の中には、本当に復讐をしてやったという項目などもあった。
いじめへの復讐、もてあそばれた女の復讐、浮気相手への復讐。様々な恨みを持つ人々の悲壮と憤怒が入り混じった復讐劇が綴られていた。
(ふむ、復讐か……)
やがて夕刻になり、ケイは夕食を取りに行くべく哲郎と部屋を出る。
「随分熱心に読んでたなぁ」
「ああ、中々面白いな、あのサイトの記事」
「でしょ、でしょ? 自分が体験したいとは思わないけど、やっぱノンフィクションって部分で惹きつけられるよ」
「確かにね」
中には創作も多分に含まれているであろうが、まさに"事実は小説より奇なり"のことわざの如し。リアルな体験談は面白いと哲郎は語った。
そんな話をしながら食堂にやって来ると、まず加奈と恵美利が視界に入った。ケイに気付いた加奈がこちらを向く。その視線につられて、恵美利も振り返った。二人とも『あっ』という表情だ。
ケイが片手をあげて挨拶すると、加奈は静かに会釈する。恵美利には困惑顔を浮かべられるも、無視はされなかった。
「あれ、ケイってあの子達と知り合い?」
「んにゃ、ちょっと挨拶しただけ。単なる同じツアー客ってだけだよ」
適当な席に着いたケイは、歳の差カップルからも視線を向けられている事に気づいた。なので、そちらにも片手をあげて微笑む。彼等は二人とも会釈を返した。ケイは声を潜めつつ、隣に座る哲郎に囁く。
「さっき話してた修羅場の二人な」
「ケイってコミュ力高いのなー……」
哲郎が何だか感心している。不良カップルはまだ傍若無人な振る舞いを見せていないので、哲郎にリア充カップル認定されていた。
(あの二人に近づくのは、今夜か明日辺りからだな)
イチャついているところへ割り込んで親睦を深めるのは難しい。先にどちらか片方と知り合いになる必要があるだろう。
そんなこんなで時刻は18時になろうかという頃。夕食を終えたツアー客は、それぞれ自分達の部屋へと引き揚げる。ケイは、部屋へ戻る哲郎に『旅館の施設巡りをするから』と言って、一人で行動を開始した。
(今日の内に出来る事はやっておかないと)
ケイは誰かと遭遇する事を期待しながら、しばらく旅館内を歩き回る。ついでに前回、前々回で利用しなかった施設など、旅館のまだ見ていない場所にも足を運んで建物の情報を補完しておく。
(ここは従業員も使えるトイレか)
二階のトイレはお客様専用で、高級ホテルにあるような落ち着いたデザインの内装だったが、一階の共用トイレは学校施設のトイレそのままな雰囲気だ。
突き当たりにある奥の窓から外を窺うと、旅館の裏口と繋がる小道が雑木林まで伸びている。広場側にある多少整備された散歩道に比べれば、いかにも田舎道といった趣があった。
現在時刻は18時50分。すっかり陽も暮れており、街灯の無い小道の先は真っ暗で何も見えない。
(人目を避けて雑木林に出入りできそうな道だな……)
と、その時、誰かが階段を下りて来る足音が聞こえた。急いでトイレを出たケイは、階段の方を窺う。下りて来たのは、歳の差カップルの男性、杵島 幸浩だった。女性の姿は見えない。
サロンに入って行ったのを確認したケイは早速、彼との接触を試みた。
「こんばんは。気晴らしですか?」
「あ……やあ、まあ」
カウンターの席でグラスを傾けていた杵島は、ケイに声を掛けられて一瞬目を見開くと、曖昧に答えた。どこか戸惑うような、警戒しているかのような雰囲気を纏っている。
ケイはそんな彼の様子を注視しつつ、サロン内を見渡して他に客が居ない事を確かめると、他愛無い話題を続けた。ここのバーはお酒もセルフサービスなので旅館の従業員も居らず、誰かに会話を聞かれる心配は無い。
「ここはバーと兼用なんですねー」
「……何か、飲みますか?」
「いえ、これでも未成年なもので。それに――」
杵島が会話に応じる姿勢を見せたところで、ケイはカマかけの言葉を紡ぐ。
「酔って判断を誤ると、家族を泣かせる事にも成り兼ねませんからね……」
「……っ」
その言葉に、杵島は一瞬ギクリとした反応を見せた。そして若干、声を震わせながらケイに問い掛ける。
「なぜ、僕の名前を?」
「たまたまですよ。特に調べたわけじゃないです。ある人に教えて貰った、と言えるかもしれませんけどねぇ」
ケイの煙に巻くような答えに、業を煮やした杵島はストレートに訊ねてきた。
「……妻ですか……? それとも、妻の両親とか……」
「うん? 何の話です?」
「とぼけないで下さい! あなた興信所の人でしょう? 僕と、彼女の事を調べに――」
「杵島さん、落ち着いてください」
ケイは、今ので自分が彼にとって『不倫関係を知る人物』になったと内心でチェックを入れると、この情報を活用して彼等の『理解者』という立場を確保するべく画策する。
「杵島さんの事情は何となく分かりましたが、俺は探偵じゃありませんよ。それに、興信所の人間が調査する相手に話しかけたりするわけ無いじゃないですか?」
「あ……そ、そう、ですよね……すみません」
杵島を落ち着かせたケイは、今日の昼間に砂浜海岸で見た『
「何かトラブルが起きているなら、問題解決に向けて相談に乗りますよ?」
「相談、ですか」
戸惑う杵島に対し、ケイはまずインパクトのある忠告をする事で彼の関心を引き付け、主導権を握る。
「とりあえず、城崎さんと二人きりの時は、あまり
「え、そ、それは……どういう」
いきなり不穏な事を言われて困惑する杵島。ケイは哲郎のPCで読んだログの内容を参考に、あくまでもうろ覚えの知識、聞きかじりだと主張しながら、不倫に纏わる様々な『実例』を語って聞かせた。いずれにしても、過ちは清算しなくてはならないとも諭す。
「城崎さんがその気になれば、杵島さんの御家族に隠し通すのは難しいでしょうし」
「でも、彼女も初めはただの遊びだって言ってたんですよ……なのに何でこんな」
この旅行を最後に別れる約束だったのに、別れてくれない。家庭にも知られたくない。どうしたらいいんだろう。杵島はそれを繰り返すばかりで、自身の問題に向き合っていないように感じる。
(あまりいい印象は抱かないな……)
ケイは若干呆れつつも、とりあえず『人気の無い場所へ二人きりで近づかないように』と、繰り返し釘を刺しておく。
「雑木林みたいな場所は思いつめて変な気を起こし易いから、特に気をつけて下さい。なるべく近くに人が居る場所で過ごすようにしましょう」
「わ、分かりました」
これで三日目の心中を防げるかは分からないが、ケイはひとまず『
まだしばらく晩酌を続けるという杵島と別れ、ケイはサロンを後にして部屋へと戻った。
「おかえりー、今回もまた随分遅かったね」
「ただいま。ちょっとサロンで人生相談やってたんだ」
「え? なにそれ」
「実はさ――」
哲郎に土産話を聞かせつつ、ある程度の情報を知っておいて貰う。今後、他の人達とも交流を通じて様々なトラブルが予想される。確実に味方と判断できる相方が居た方が動き易い。
こちらの都合で協力者の立場に引っ張り込むのは心苦しいが、このループツアーの中で最も信頼できる相手が哲郎しか居ないのだ。
ただ無事に帰るというだけなら、杵島達の心中や恵美利の死、そして恐らく不良カップルにも起きるのであろう何らかの事件を全て無視して、我関せず大人しくしていればいい。
(だけど、自分に出来る事がありながら、何もせず後悔するのはゴメンだ)
自分にしか出来ない事、この『
「哲郎は明日からどうする?」
「ボクは砂浜海岸とか洞穴を撮影して回る予定だよ」
「そっか、じゃあ俺も付き合っていいか?」
「おーけーおーけー、何も問題なっしんぐ」
哲郎と明日の撮影に付き合うところまで話を進めたケイは、予め「洞穴から回ろう」と提案しておく。『二周目』の時と同じく、理由には『出会いの予感』を挙げた。
今回は哲郎に『行動派』と認識させ、特に人と接する機会作りに積極的な姿を見せていたので、違和感無く受け入れられた。
こうして、ケイは明日からの悲劇回避と問題解決、幾つかの謎の解明に向け、下準備的に動き回る長い初日を終えたのだった。
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