三日目・夜



 その後、加奈は恵美利と思われる少女が本人かどうかを確認する為に、旅館の関係者数人と現場まで出掛けた。部外者は同行出来ない。

 ケイと哲郎は、何となく部屋には戻らず、一階ホールにある休憩所で加奈達の帰りを待っている。ホールの休憩所には不良カップルの姿もあった。

 彼らの男の方は、何かニヤニヤへらへらした態度ではあったが、それらは動揺から出ているのがケイには何となく分かった。女の方は男のつまらない冗談に相槌を打ちながらも、どこか上の空で、普段より大人しい感じがする。


「はい、お茶でもどうぞ」

「あ、ども」

「すんません、いただきます」


 食堂のおばちゃんが休憩所に屯しているケイ達ツアー客や、旅館の従業員にお茶を出して回る。一息ついた気分で一緒に添えられていたお茶菓子など齧っていると、おばちゃんがケイ達のところにやって来て、今回の事件について少し話してくれた。


「大きな声では言えないけど……何でも、女の子の方は格好が乱れてたらしくて」

「え」


 おばちゃんの話によって、痴情の縺れである可能性も示唆された。



 それから暫く、受付の窓上に設置されている時計が21:00過ぎを指す頃、旅館の男手従業員と加奈が現場から戻って来た。

 おじさん達が話している内容を聞いた限り、歳の差カップルが心中したらしき現場で死んでいた少女は、恵美利で間違い無いようだ。


 加奈は顔色も悪く、おばちゃんに支えられるようにしながら廊下の奥へと消えた。部屋に一人で帰す前に、食堂の方で少し休ませるらしい。

 ケイは哲郎と『どうしようか?』と顔を見合わせると、ちょっと様子を見に行く事にした。


 食堂では、俯いて座っている加奈の傍におばちゃんが付いている。が、元々あまり加奈達とは喋っていなかったので、おばちゃんは少しでも二人と接点のあったケイ達に慰め役を託した。

 何か暖かい飲み物を淹れて来ると言って席を外したおばちゃんの代わりに、ケイと哲郎が加奈の対面に腰掛ける。


「御堂さん、だいじょうぶ?」

「……」


 気遣うケイ達に、黙って俯いていた加奈は、やがてポツリポツリと話し出す。


「いつか、こんな事になるんじゃないかと思ってました」


 実は恵美利は、昔から男の人にだらしないところがあって、よくトラブルを起こしていたのだと言う。今回の旅行でも、ケイや歳の差カップルの男性に目をつけていたらしい。


「でも、あの男の人って結構歳いってそうだったけど……」


 哲郎が何気なく疑問を口にすると、加奈は軽く息を吐くような調子で『そうですよね』と呟いて、微かに自嘲するような笑みを浮かべた。


「ありがとう、私もう部屋に戻ります。ごめんなさい、変な話聞かせちゃって」

「いや、気にしないでいいよ」


 部屋へ戻る加奈を見送り、ケイ達はそのまま食堂でおばちゃんと話をする。警察が来るのは明日の朝になるという。何せ山奥も奥の辺境なので、直ぐには来られないとの事。

 男手従業員達は現場の保存などで、立ち入り禁止用のロープを張りにまた出掛けているそうだ。


「多分、あなた達もお話聞かれると思うけど……」

「でしょうね、大丈夫ですよ」

「事情聴取か~、何か緊張するな」


 ケイは諸事情で慣れているが、哲郎のような普通の一般人にはあまり馴染みの無い経験だろう。『相棒、肝座ってるなぁ』とか感心されつつ、ケイ達も部屋へと戻った。食堂の時計は22:40頃を指していた。



 廊下の自販機で買った缶コーヒーなど啜りながら部屋で話を続けるケイと哲郎。


「大変な事になったなぁ」

「だな。歳の差カップルの二人は、何となく違和感はあったけど……」


 まさか心中騒ぎに至るとはと、ケイも哲郎に同意する。


「でも貴重な体験だよ。これなら修羅場スレに書き込めそうだし、今のうちにまとめておこう」

「修羅場スレ?」


 聞けば、人生の修羅場とも言える経験をした人々が、その時の体験談を書き込む匿名サイトがあるのだそうな。中には創作もあるが、人に言えない秘密を抱えていたり、誰かに聞いて欲しい人達が色々な体験を綴っているらしい。


「そんなサイトもあるのか……」

「それにしても意外だったよ。やっぱ現実リアルの女性は理解不能だわ」

「うん? 何が?」

「樹山さんのこと」


『死んだ人を悪し様に言うのはアレだけど』と前置きしながら、哲郎は彼女に感じていた印象について語る。


「ちょっとツンツン態度だったけど、身持ち堅そうに思えたのに……まさか男癖悪かったとは」

「ふむ……。確かに、あんまり遊んでるって雰囲気は無かった気もするな」


 まあ彼女に限らず、人は見掛けによらないモノなのだろうと、二人でそんな結論に至る。PCに向かっている哲郎と背中越しに話ながら、ケイは部屋の奥のソファーに身を沈めた。


 そうして、窓からほとんど見えない海辺の夜景を眺めていた時だった。


「ん?」

「どうした?」


 ケイは、遠くに何か青白い光が浮かぶのを見た。ほぼ一瞬だったが、カメラのフラッシュにしては光の位置が限定的で、拡散してない割りに結構な光量だったように思える。


「今なんか、向こうの方に光が見えた」

「旅館の人じゃないの?」

「いや、懐中電灯とかの明かりじゃなかった。何か青白くて丸い大きめの光」

「何それ、超常現象?」


 人魂とかじゃあるまいなと、奥のスペースにやって来た哲郎に、あの辺りだと窓向こうを指差す。人魂のイメージにあるようなボンヤリした光ではなく、やけにハッキリとした光だった印象がある


「あっちは確か、洞穴のある場所だと思うけど」


 洞穴には照明設備などは無かった。昼間でも横穴からの光で十分中を見渡せるし、そもそも水没するのだから、危険なので夜は立ち入り禁止になっていた筈だ。


「何か気になるな……ちょっと見てくるよ」

「レポートよろ」

「はいはい」


 哲郎から『相棒、やっぱ肝座ってるなぁ』とか言われつつ小型のカメラを預かり、ケイは上着を羽織って部屋を後にした。



 ここ三日の間に結構通い慣れた感のある、海岸沿いの田舎道。砂浜海岸と洞穴に続く暗い夜道を小走り気味に駆けて行く。

 やがて洞穴方面に向かう道と、洞穴の上の崖に続く分かれ道までやって来た。道の脇にぽつんと立つ電柱には、申し訳程度の街灯の明かり。殆ど真下しか照らせていないが、目印にはなる。


「光は結構低い位置だったから、洞穴の方だな」


 洞穴に向かう道へ進んでいると、前方に人影が見えた。不良カップルの片割れで、女の方だ。

 明かりは持っておらず、暗いせいか足元を見ながらボンヤリ歩いている様子だった彼女は、ケイの姿に気付くと立ちすくむように足を止めた。


(こんな時間にこんな場所で何を……?)


 さっきの光は、彼女達が花火か何かでもやっていたのだろうかと考えるケイだったが、見たところ一人のようだ。とりあえず、このままお見合いをしていても仕方ないので声を掛けてみる。


「こんばんは」

「え? あ、うん、こんばんは……」


 何だか酷く動揺している様子に、幽霊でも見たのだろうか? などと思っていると、彼女は一瞬息を呑むように肩を竦めながら、驚いた表情を浮かべてケイの後方に視線を向けた。

 ケイが何事かと振り返ると、何かが身体にぶつかって来た。


「え?」


 タックル気味な勢いでケイの胸に飛び込んで来たのは、加奈だった。ふわりと舞うセミロングの髪から、シャンプーの香り。腹部に焼けるような痛み。鈍く光る銀色の刃物が刺さっている。


「あ、あんた何やってんのさ!」


 不良カップルの彼女が叫んでいる。身体から力が抜けたケイはその場に倒れ込んだ。微かに見上げた視界には、血塗れの包丁を手に見下ろす加奈の姿。彼女の表情は、翳っていて分からない。


 意識が遠のく。鐘の音のような響きが木霊する。混濁する意識が覚醒を始め、薄すら白くぼやけていた視界に、色と輪郭が戻る。

 樹木の枝葉に縁取られた水色の朝空と、まだらに浮かぶ灰色の雲。それらの風景を覆い隠すように、頭上から現れる人の顔。


「あの、大丈夫ですか?」


 加奈が、心配そうな表情で覗き込んでいる。ケイはそのまま疑問を口にした。


「なぜだ?」

「え?」


 唐突な問いに戸惑いを浮かべる加奈。その時、彼女の隣に居た恵美利が、加奈の腕を取って引き離しに掛かった。


「何やってんのよ、加奈! 危ないから離れなさいってっ」


 彼女達のやり取りを聞きながら、ケイは理解する。


(ああ……)


 やはり戻っていたかと。ここは三日前、ツアーの初日に訪れた、旅館前にある広場の祠。石神様が奉ってある場所だ。


「理由はなんだ……?」


 半身を起こしたケイは、去って行く彼女達の後ろ姿を目で追いながら一人呟いた。少し落ち葉の混じる地面から立ち上がり、溜め息を吐いて土を掃うと、直ぐ傍に立つ石神様の祠に手を合わせる。


「……とりあえず、旅館に戻るか」


 まずは哲郎と親睦を深める所からやり直しだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る