三日目
翌日、ツアー三日目。
「哲郎ー、朝食に行くぞー」
「お、おう~……もうちょっと」
昨日と同じようなやり取りをするケイと哲郎。若干、哲郎の覚醒が早いのは、昨日の夕食時に女の子二人組みと親睦を深められたので、朝食も一緒しようと気合で血圧を上げているらしい。
「よ、よし、準備おっけー」
「じゃあ行くか」
期待に胸膨らませる哲郎と連れ立って部屋を出る。食堂に向かう廊下で彼女達と鉢合わせる事は無く、食堂にも居なかった。他の客の姿も無い。代わりに食堂のおばちゃんが出迎えてくれた。
「あら、おはよう曽野見さん、栗原さん」
「おはようございます」
「おはよう、おばちゃん。あの……女の子二人組はまだ?」
哲郎がさりげなく訊ねる。おばちゃんによれば、あの二人なら三十分は早く食事を終えて出かけたとの事だった。
「マジでー」
「まあ、七時起きくらいは普通だろうな」
そう言って納得したケイは、脱力している哲郎の肩をポンポンしながらテーブルに着くのだった。その後、朝食を済ませて部屋に戻ったケイ達は、今日の予定を話し合う。
「砂浜と洞穴は結構撮ったと思うけど、今日は何処に行く?」
「今日は旅館の写真を撮っておこうかと思う」
周辺の景色は十分に撮影出来たので、遅ればせながら趣のある旅館の建物も撮影するという。昨日は散々歩き回ったので、それもいいなと、ケイは今日も付き合う事にした。
哲郎が旅館の置物や廊下などを撮影している間、ケイは建物の外に張り出した形で設置されている非常階段の踊り場から、外の景色など眺めていた。
ここからだと、海岸と洞穴の上の崖に続く道がよく見える。
「ん? あれは、樹山さん達か」
洞穴のある岩場の道に件の少女二人組、恵美利と加奈を見つけた。ふと見ると、同じ道を砂浜海岸に向かう不良カップルの姿もあった。あのカップルは昨日、一昨日と殆ど部屋に居たようだ。
二組のペアの様子を何となく眺めているところに、旅館前の落ち葉を掃除する音が聞こえて来た。階段の手摺にもたれながら階下を見下ろせば、広場の付近を歳の差カップルが歩いている。彼らの向かう先には白樺の雑木林。
ケイは同じツアーの客が、ここまでバラバラに行動するのも珍しいかもしれないなと思いつつ、哲郎に声を掛ける。
「哲郎、雑木林の撮影はしないのか?」
「うーん、なんか写りこみそうで怖いんだよなぁ、あの林」
「はははっ、確かに雰囲気はあるけど」
しかしそれなら洞穴も結構そういうのがありそうじゃないかと振ってみると――
「いや、あっちは海水の塩が清めてくれてそうな感じするじゃないか」
「ええ~~何だそれー」
ツッコミどころ満載の答えが返って来た。二人でそんなお馬鹿話をしながら、旅館の各所を回っている内にお昼になった。
「今日は画像の編集したいから、昼飯は部屋で食べよう」
「分かった。哲郎の分も持って行くから先に戻っててくれ」
「おっ、わるいな」
昨日の飲み物の借りだよと、ケイは哲郎を部屋に帰して自分は食堂に向かう。食堂のおばちゃんに昼食を運ぶ為の
「えーっ、それはちょっと意外ていうか、男としてどうかだよー」
「いやマジ苦手なんだって、だいたい行くイミねーじゃん」
なにやら男性に苦手なモノがある事が分かって、女性が軽く幻滅している、というような雰囲気のやり取りが聞こえる。
(そういえば、昼前は砂浜海岸の方に行ってたよな。船虫でも出たのかな?)
海辺の生き物は、割とグロテスクな見た目のモノも多い。普段から釣りなどで慣れていなければ、都会の若者には生理的に受け付けないという事もあるだろう。ケイはそんな事を考えつつ、岡持ちを受け取って食堂を後にした。
部屋に戻る途中、二階への階段を上がったところでパタパタというサンダルの足音に振り返ると、恵美利と加奈が一階の廊下を横切って行った。二人は食堂に向かうようだ。
(哲郎、みごとに擦れ違ってるな)
部屋に戻ったケイが、件の二人組は食堂で昼食を取っている事を教えてやると、PCに向かって作業をしていた哲郎はそのまま横にゴロンと一度転がって、今の心境を表した。
「七転八倒?」
「七転び八起きっ」
『一文字ちがーう!』と抗議しながら作業を続ける哲郎をイジって遊ぶケイ。哲郎曰く、夕食時には全員が揃う事になるので、その時また御呼ばれする事を期待しようとの事だった。
哲郎の随分と受身なアプローチ策に、ケイは能動的なアプローチを勧めてみる。
「あの二人、しょっちゅう洞穴を見に行ってるみたいだから、一緒に撮影とか誘ってみたら?」
「頼む、相棒」
「ええっ、そこは哲郎が誘わないと」
「
ならば偶然を装って二人が洞穴に赴いたタイミングで撮影に行くか、などとアイデアを出しては作戦を考えたりする。
本格的に彼女を作ろうとか、ナンパしようとか言う話ではないが、同年代の友人とこういったやり取りをするのも、なかなか楽しいものだ。
この日の昼間は、部屋で哲郎の作業を手伝ったり邪魔したりつつ、雑談などしながら過ごしたのだった。
西の空が茜色に染まり始めた頃。部屋も暗くなってきたので、電気を点けて夕食に向かう準備を始めるケイと哲郎。
「しかし三日目で撮り尽くすと、残りは何もする事が無くなるな」
「ああー、本来ならツアー客同士の交流とかで色々イベントがありそうなんだけどな」
今回のツアー客の面子で親睦を深め合っている場面など、想像がつかない。本当に各ペアそれぞれがバラバラに行動している。唯一、少女二人組とはそれなりの交流が持てそうな所が救いだ。
「じゃあ残りの滞在期間を退屈な日々にしない為にも、頑張ってアプローチだな」
「頼む、相棒」
「うをいっ」
そんなやり取りで談笑しながら、ケイと哲郎は食堂に向かった。
二人が食堂にやって来ると、不良カップルが何時ものテーブルの端に陣取り、サロンから持ち出したらしき酒をちびちびやっている。彼らの他に客の姿はなく、少女二人組も歳の差カップルも見えない。今日は自分達が早く来過ぎたのかなと、適当なテーブルに着く。
暫くすると、少女二人組みの片方、セミロングの加奈が一人でやって来た。近くに座ったので、ケイが声を掛けてみる。哲郎が小声で『いいぞ、相棒』とか言っているが、スルーしておく。
「御堂さん一人? 樹山さんは?」
「あ……恵美利とは昼食の後にまた洞穴に出かけたんですが、急用を思い出したとかで――」
先に戻ると言われてそこで別れたのだが、夕方前に加奈が部屋に帰るも、姿が無かったという。着替えや小物の入ったバッグもそのまま手付かずだったので、部屋には戻っていない様子だったとか。
「そうなんだ? って事は、まだどっか出歩いてるのかな」
「そうかも、しれません」
その後、夕刻17:00を回っても恵美利はやって来る気配が無かった。彼女の他にも、歳の差カップルが二人とも食堂に顔を出していない。
『どうしたんだろうね?』と、気に掛けるケイや哲郎に加奈、それに食堂のおばちゃんも交え、呼びに行くべきか、館内アナウンスを使おうかと話し合う。
「おーい、イイから先に食おうぜ」
「オナカ空いたよねー」
不良カップルが酌に使っていたグラスを御つまみのナッツでチンチン叩く。時刻は17:20分を過ぎた頃だ。確かにあまり遅くなっても料理が冷めてしまうという事で、この場は先に頂く事にした。
昨日もケイと哲郎が遅れて食堂にやって来た時は、既に皆箸に手をつけていたのだから、夕食は全員揃って、という取り決めにも今更感がある。
そんな訳で、自然にケイと哲郎、加奈が一つのグループになって夕食を始めたが、加奈はあまり食欲が無いらしく、少しだけ口をつけて部屋に戻ってしまった。
「なんか顔色悪かったな」
「体調崩したとか?」
心配そうに見送る哲郎の言葉にケイも同意する。あまり活発そうな娘ではなさそうだし、元気な恵美利に引っ張りまわされて疲れが出てるのかもしれないと。
「あ、もしかして、それで気を使って一人で動いてるとか?」
「うーん、それじゃあ夕食にも帰って来ない理由にはならんだろう」
哲郎の推測にツッコミつつ、夕食を終えたケイ達も部屋へと戻った。途中、二階の廊下で歳の差カップルを呼びに来ていたおばちゃんと会った。
「ごちそーさまでした。どうでした?」
「あら、お粗末さまでした。いやそれが居ないみたいなのよー」
ケイが夕食のお礼を言って件のカップルの様子を訊ねると、おばちゃんもそれに応える。恵美利と同じく、こちらの二人もまだ帰って来ていないらしい。
ふと、昼間に歳の差カップルが雑木林に向かって歩いていた事を思い出したケイは、何となく聞いてみた。
「ここの雑木林って、奥まで入ったら迷ったりします?」
「うーん、そうねぇー、夜中に山の近くまで行くと、ちょっと迷っちゃうかもねぇ」
しかし相当距離がある上に途中でかなり道が険しくなるので、迷いそうな所まで踏み入るのは大変だろうとの事だった。
「でもそうねぇ、暗くなるとちょっと入った所でも、迷う人はいるかも……」
何せこの辺りで建物と言えばこの旅館くらいしかないので、日が落ちる頃には雑木林の中は真っ暗になるという。明かりになるモノでも持っていなければ、立ち往生してしまうかもしれない。
おばちゃんは、旅館の放送用スピーカーで周辺に呼び掛けてみる事も検討すると言って、一階の管理室へ相談に下りて行った。
「旅館の近くだと結構木の間隔とか広く見えるけど、やっぱり奥に行くと旅館の明かりも見え難くなるのかな」
「そうかもしれないな」
ケイと哲郎は『俺達も撮影に行く時は気をつけないとな』というような事を話しながら、部屋へと戻った。
――それから暫く経った頃。旅館の中が俄かに騒がしくなった。
外で誰かが叫んでいるようだ。時刻は20:30分過ぎを指している。部屋で駄弁っていたケイと哲郎は、その声に顔を見合わせると、部屋を出て非常階段の踊り場から声のしている方向を注視した。
懐中電灯を手にした旅館の男手従業員が数人、雑木林の方から大声で何か叫んでいる。
「何て言ってるんだろう?」
「うーむ……たいやっちゃ、たいやっちゃ?」
「訛りかな? けあうにれんらく?」
「けあうにれんらく……けえさつに連絡、か?」
ケイの翻訳に、哲郎が『それだ!』と指を指す。しかし警察に連絡しなければならない事態とは穏やかじゃ無いなと、二人して下の様子を見守った。
そのうち雑木林の奥から戻って来た男手従業員が、旅館の玄関前で現状を報告し合っていたので、ケイ達もそれに耳を傾ける。
「三人じゃ」
「三人? 三人ともか」
「三人ともじゃ。一人吊ってる。女の方。んで二人刺されとる。男の方と女の子」
「熊じゃないんか?」
「違う。ありゃ違う」
そんなやり取りが聞こえた。ケイと哲郎が一階のホールに下りると、食堂のおばちゃんが居たので詳しい話を聞いてみた。
おばちゃんの話によれば、件の三人が夜になっても帰って来ないので、旅館の人が付近の捜索に出ていたらしいのだが、雑木林の奥でその三人の遺体を発見したのだそうだ。
「えぇーマジすか……」
「今刺されてるとか聞こえたんですけど、まさか殺人ですか? 事故とかじゃなく?」
愕然としている哲郎とは対照的に、ケイは更なる詳しい情報を求める。もし殺人事件なら、付近に危険な犯人がいる事になる。
顔見知りに降りかかった突然の死という事態に、驚くよりもまず状況確認をしようとするケイ。それは特異な能力を持つが故に、これまで色々な経験を積んで来たケイの、身についた習慣だった。
「いやー、それが……どうも心中じゃないかねって話でね――」
声を潜めるおばちゃんの言葉に、ケイは歳の差カップルに感じていた違和感を思い出す。先日も訳有りらしいという話が出ていた。だが、もし二人が心中したのだとして、そこに恵美利が絡む理由が分からない。
(心中に巻き込まれた?)
先ほどの男手従業員達の会話内容からは、女性一人が首を吊っており、男性と女性が刺されて死んでいるという状況が読み取れる。そして、刺された女性の方を"女の子"と表現していた。
そこから推測出来るのは、歳の差カップルの女性が恵美利と初老の男性を刺した後、自ら首を吊った、という流れだ。
(男性を刺すところを、樹山さんが目撃したとか?)
その時、哲郎が軽くケイの腕を突いた。振り返ると、階段を下りて来る加奈の姿。外の騒ぎを聞きつけたらしく、不良カップルの二人もその後ろから下りて来ている。
「御堂さん……」
「こんばんは。あの、恵美利は……?」
どこか不安気な表情で訊ねる加奈に、ケイは哲郎、おばちゃんと顔を見合わせると、とりあえず今現在で分かっている情報を掻い摘んで説明するのだった。
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