二日目
「哲郎~朝飯にいくぞ~」
「すぐ行くー……」
低血圧を自称する哲郎は、未だ眠そうにしながらモソモソと服を着替えている。
「先に行くぞー」
「うー……」
返事だか呻きだか分からない声を返す哲郎に一声かけて廊下に出たケイは、昨日食堂で見た女の子二人組みの片方と鉢合わせた。栗色セミロングの子だ。
「おはよーございまーす」
「あ、おはようございます……」
ケイが気軽な挨拶をすると、その子は控えめにお辞儀をしながら挨拶を返す。その上品な立ち振る舞いに育ちの良さがうかがえる。
その時、一つ隣の部屋の扉が開いてポニーテールの子がバタバタと飛び出して来た。
「
「あ、
髪留めのゴムを口にくわえ、頭の後ろで髪を纏めながら廊下に踏み出した恵美利は、はたと立ち止まって目の前のケイを見上げた。しばし無言で見詰め合う。
顔が近いからか、無防備な姿を見られたからか、恵美利の頬が仄かに赤面する。とそこへ――
「やー、わりーわりーお待たせー……うん?」
やっと着替え終えた哲郎が現れ、廊下でお見合いをしているケイと恵美利に首を傾げる。ハッと振り返った恵美利は、くわえていた髪留めで手早くポニーテールを結うと、加奈の手を引いて歩き出す。
「いこ、加奈」
「え? あ、うん」
そうして二人が立ち去るのを見送ると、隣にやって来た哲郎が何だか自分が出て来た途端に移動されると、避けられているみたいで気分悪いと悪態をつく。
「やっぱりポニテ感じ悪い」
「ははは……」
数字の3を反転させたような口にしてぶつぶつ言っている哲郎を宥めながら、ケイ達も食堂へと向かうのだった。
食堂に入ると、昨日よりも若干賑やか――というより、少しざわついているような雰囲気だった。何事かと食堂内を見渡したケイ達は、直ぐにその原因が分かった。
「なんかしょべーよなー」
「キャハハッ はっきり言うー?」
哲郎がリア充カップル認定していた二人組みが、食事の内容に文句を言っているらしい。食堂のおばちゃんが困ったような愛想笑いで応対している。
「ニク無いのかよニクー」
「パックの焼肉でも買っときゃ良かったねー」
「うーん、調理の人に言っといてみるね~。あ、ここ禁煙だから吸う時はサロンでお願いね~」
おばちゃんはなかなか手馴れた感じであしらっていた。喫煙を注意された若い男は、テーブルの上に煙草の箱を置いて、その横でライターをカンカン鳴らしながら舌打ちする。
若いカップルの傍若無人な態度に、他の客達も目は合わさないが眉を顰めているようだ。哲郎が旅館の料理を擁護しながら、件の二人をリア充カップルから不良カップルに認定した。
『山菜のおひたし美味しいのになー』
『同意する』
彼等の居る席を避けるようにして隅の座ったケイと哲郎は、今日の撮影予定などを話し合いながら朝食を済ませたのだった。
「それじゃあ撮影に行こうか」
「ああ、海岸からだっけ?」
哲郎と食堂を出ようとしたケイは、視界の端に違和感を覚えてふと隣のテーブルに視線を向ける。そこには哲郎認定の『歳の差カップル』の姿があった。
テーブルで向かい合っている二人は、特に会話も無く、黙々と食事を続けているようなのだが、若い女性の方はどこか恍惚とした表情で、じっと初老の男性の顔を見つめている。初老に見える男性の方はと言えば、殆どうつむき加減で機械的に箸を動かしている感じだ。
食欲旺盛でがつがつ食べる彼氏の姿に見惚れている彼女のような構図、と捉えられなくも無いが、二人の様子はそんな微笑ましい空気とは程遠く感じられた。
何だか奇妙な雰囲気だなと思うケイだったが、あまりジロジロ見ている訳にもいかない。他人の観察はさっさと切り上げ、海岸の撮影に出掛ける哲郎の後に続いたのだった。
砂浜海岸で写真を撮り終え、次は洞穴へ向かおうとデコボコ道を歩いていたケイと哲郎は、途中で少女の二人組みと遭遇した。彼女達は洞穴を見に行った帰りらしい。
会釈してそのまますれ違おうとしたケイ達だったが、意外にもポニーテールの子が話し掛けてきた。
「やっ、君達も洞穴いくの?」
「え? ああ、うん」
「へぇー、洞穴好き?」
「ああいや、特別好きって訳じゃないけど、観光で……」
「そっかぁ、あたし洞穴とか廃墟とか好きなんだー。そう言えば、君の名前は?」
これまであまり友好的とは言い難い立ち振る舞いだったので、突然のフレンドリーな接し方には少々面食らってしまう。
どうやら彼女は廃墟や洞穴が好きらしく、ここの洞穴を見て回った事でテンションが上がっているらしい。
「あー、俺は
「あ、ボ、ボクは栗――」
「ケイ君って言うんだ? あたし
とりあえず名乗るケイ。哲郎も名乗ろうとしたが、被せられた。樹山 恵美利と名乗ったポニーテールの子は、彼女が『加奈』と呼んでいるセミロングの子に行こうと促して去って行く。
セミロングの子は苦笑しながらケイ達に会釈すると、恵美利の後を追っていく。その時――
(うん……?)
ケイは一瞬、彼女の表情に違和感を覚えた。加奈が恵美利の方を振り返る僅かな瞬間に垣間見えた、鋭く、突き刺すような視線。嫌悪の眼。
海岸の方へと去って行く二人の後姿を見送りながら、ケイは今し方感じた違和感について哲郎にも話を振ってみようとして――
「何やってんだ哲郎?」
「エア・カベドン」
何か槍の中段付きみたいな事をやっている哲郎。『ドンする壁がなかったんだ……』とか言っている。
「なんだそりゃ」
二人で御馬鹿なネタで笑い合う内に、少女達の違和感の事も忘れてしまった。
その後、道なりに進んで洞穴にやって来ると、中を探索しながら写真を撮る。所々に開いた穴から外の景色が窺える。
「水流が強くなければ、水没中にダイビングとか楽しめそうだな」
「ちょっと怖いけどな」
洞穴での撮影を終えて外に出ると、そのまま出入り口の隣にある緩い坂を登り始める。洞穴の上の崖には、少し開けた空間があるのだ。丘のような斜面を登り、やがて天辺まで辿り着く。
「風つえー」
「でも気持ちいいな、ここ」
ここからは砂浜海岸と旅館、周辺の林や山などが一望出来る。周囲には民家を含め、建物らしき施設が何も無い。山に囲まれたこの一帯が如何に辺境であるかを実感出来た。
崖の上から海岸を見渡していると、さっきの少女二人組みが旅館に戻る道を歩いてるのが見えた。ケイと哲郎もそろそろお昼なので戻るかと、緩い斜面を下り始める。
「昼飯食ったら、夕方また撮影にくるぞー」
「おうー」
旅館に帰って来たケイと哲郎は、一度部屋に戻って荷物を置くと、昼食を取りに食堂までやって来た。他に客の姿は無く、食堂に昼食を取りに来たのは二人だけのようだ。
「あらー、二人分ねー? 直ぐ用意するからねー」
「あ、お願いします」
食堂のおばちゃんは厨房に入ると、食器を並べて鍋の間を行ったり来たりしている。折角なので食堂のおばちゃんと談笑しながらの食事にしようと、用意された昼食の席について誘ってみる。
「あらそ~う? じゃあ一緒しようかしら~」
おばちゃんはケイ達の申し出に嬉しそうに応じると、向かいの席に座った。『賄い』程度の食事を用意してニコニコと話し相手になってくれる。
この辺りの土地について、色々な話を聞かせて貰えた。
「あの海岸はいい雰囲気ですよね」
「そうーでしょー? 夏なら泳げたのにねぇ」
砂浜海岸の一帯は洞穴やその上の岸壁など、絶景ポイントが一纏めになっている珍しい観光の地として、地元の人にとっても自慢の場所らしい。
「でも、洞穴とか上の崖を歩く時は気をつけてね?」
少し声を潜めたおばちゃんは、その昔、洞穴で人身事故があった事なども教えてくれた。水没する時は水が満ちるのも結構早いので、満潮時には近づかないようにした方が良いと言う。
「夜中に探検しにいって、水没に巻き込まれちゃったりねー」
「あー、それは怖いですねー」
「暗いし波の音が結構大きいから、水が入ってくる音にも気づき難いんですかねー」
旅館周辺の雑木林は、夏場など不埒なカップルが夜な夜な如何わしい行為に及んだりして、その後始末をするのが大変だとか。
「ちゃんと持って帰ってくれればいいんだけどねー、そのままにしてあるからもうー」
「ははは……」
「色んな意味で迷惑ですねー、それ」
旅館前にある広場の祠は、ここに集落が出来るまえからあったモノらしいという。建物は何度か建て替えられているそうだ。
あの祠が歴史あるものだという事は、ケイは石神様の関係で深く理解していた。
「ずーっと昔には、巫女祭りがあったんだけどねぇ」
「うわー、その祭り見てみたかったー」
「祭りじゃなくて巫女さんを、だろ?」
ケイがツッコミを入れると、哲郎は『祭りも込みでこそ衣装は生きる』などと謎の力説をする。何故かおばちゃんがうんうんとニコニコ顔で頷いていた。多分、意味は分かっていないだろう。
そんな調子で楽しく昼食の時間を過ごしたケイ達は、夕方まで適当に時間を潰そうと、それぞれ部屋でPCに取り込んだ写真画像の編集を行ったり、広場を散歩したりと別行動をとった。
その後、陽が翳って来た頃に部屋へ戻ると、準備万端で待っていた哲郎と夕方の撮影に出かけた。夕日に染まる海岸や岸壁は、昼間の青々とした雰囲気とはまた違った優美な趣き感じさせる。
「これは、いい絵が撮れそうだなっ」
「ああ、なかなか綺麗な景色だね」
ケイと哲郎は海岸と岸壁を行ったり来たりしながら、陽が沈む頃まで撮影を続けたのだった。
星の瞬き始めた時間。旅館に戻って来たケイ達は、部屋に荷物を置いて夕食をとりに食堂へ向かう。
「ちょっと遅くなっちゃったな」
「太陽が沈みきるまで撮ってたもんな」
食堂にやって来ると、既に他の客達は食事を始めていた。割と広い食堂でペア毎に固まり、バラバラに座ってそれぞれの空間を作っている印象だ。
初日の時は皆、特に交流は無くとも普通に旅行仲間という雰囲気だったが、今は何か壁があるような、妙な空気が感じられる。
どこに座ろうかと見渡していると、ポニーテールの娘、恵美利が手を振り振り声を掛けてきた。
「ケイくーん、こっちこっち」
恵美利は対面の席に座るよう促している。哲郎と顔を見合わせたケイは、別に断る理由も無いかと、彼女達の対面に座る事にした。昼間に少し話をしたので、顔見知りカテゴリに入ったのかもしれない。
食堂のおばちゃんが、「直ぐ持って行くね~」と厨房から顔を出す。
彼女達の席へ移動中に他の客達の様子を窺うと、不良カップルは端っこの方でイチャイチャとちちくりあいながら何か駄弁っている。彼等には近寄りたくないし、彼等も他の客達と馴れ合おうとする気はないようだ。
歳の差カップルは何だか空気が重い。初老の男性は相変わらず黙々と食べており、若い女性はそれを眺めている。が、やはり二人の姿に微笑ましさは感じない。不良カップルとは別の意味で近寄り難いものがあった。
そうこうしている内に、少女二人組が待つテーブルの対面に到着。席に着くなり、恵美利が話し掛けてきた。
「ねー、あんた達ってずっと写真撮ってるじゃない?」
「あーうん、俺達というか、哲郎がね」
ケイがそう言って哲郎に話題を投げると、哲郎は慌てて写真の事を説明しようとした。
「え? ああ、ブログに、旅の記録で――」
「でもさー、おんなじ風景何枚も撮っても意味なくない?」
しかしまた言葉を被せられ、『あうっ』となっている哲郎。中々失礼なお嬢さんだが嫌味っぽくは無く、サバサバした性格なのだろう。ケイは恵美利の事をそう認識した。
「何枚も撮った中で、最高の一枚を見出せるのが良いんじゃないか。な、哲郎」
「そ、そうそう、サンプルは多い方がいいっていうし」
微妙にズレた哲郎の返答。女の子二人と食事という慣れないシチュエーションに、テンパっているようだ。とりあえず、ケイは『がんばれ、哲郎』と内心で応援などしておいた。
そんな感じで、この日の夕食は少しぎこちないながらも、若者同士の親睦を深めたのだった。
その夜。ケイが風呂上りに部屋の窓際で涼んでいると、飲み物を買いに出ていた哲郎が一時間くらいして戻って来た。
「おかえり、遅かったな」
「ああ、ちょっと食堂のおばちゃんと駄弁ってた」
何でも今回のツアー客は気軽にお喋り出来る相手がおらず、噂好きなおばちゃんとしては話し相手が欲しかったらしい。
「不良カップルは論外だし、女の子二人組みはあんまり話題が合わないし、歳の差カップルは何か訳有りっぽくて近寄り難いんだと」
「訳有り?」
旅館のおばちゃんによると、歳の差カップルは夫婦かと思っていたら違っていたそうで、きっと訳有りだろうなぁという事らしい。
「推定年齢やら苗字が違う事から、親子でもなさそうだし、不倫旅行とかかもしれないってさ」
「発想豊かだな……でも、あんま他人の詮索するのも良くないな」
「それもそうだし、もし訳有り旅行なら下手に首突っ込まないが吉だよ」
ケイの懸念に哲郎も同意する。哲郎の話では、何かネットにその手の話を集めたまとめサイトがあって、そういう人達の体験談記事を読むと、かなりドロドロしてるらしい。
「そんなサイトがあるのか……」
「帰ったらお勧めサイトのアドレス、まとめて紹介するよ」
ここはネット環境がないからなぁと、哲郎は今日の出来事をPCの旅日記に記していた。
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