限界集落ツアー編
初日
意識の奥に、鐘の音のような響きが木霊する。既に感じ慣れた不思議な響き。混濁する意識が覚醒を始め、薄すら白くぼやけていた視界に、色と輪郭が戻る。
樹木の枝葉に縁取られた水色の朝空と、まだらに浮かぶ灰色の雲。それらの風景を覆い隠すように、彼の頭上から現れる人の顔。
「あの、大丈夫ですか?」
心配そうな表情で声を掛けた少女が、仰向けに倒れている青年の様子を覗き込む。肩まで伸びる栗色の髪をそっと抑える何気ない仕草が、少女の愛らしさをかもし出している。
艶のあるサラサラとした髪は、よく手入れされている事が分かる。少しおっとりした感じの彼女を視界に認める青年。彼がまず最初に思い浮かんだのは、疑問だ。
「……なぜだ?」
「え?」
唐突な問い掛けに、少女は戸惑いを浮かべる。その時、彼女の隣に居たもう一人の少女が、その腕を取って引き離しに掛かった。
「何やってんのよ、加奈! 危ないから離れなさいってっ」
「え、でも……」
警戒感を露にするその少女は、少し癖のついた明るい茶色の髪をポニーテールでまとめている。良く言えば活発そうだが、初対面の相手に配慮の無い視線を向けるその態度は、少々ガサツと言えなくもない。
加奈と呼ばれた少女は、祠のそばに倒れていた青年の事を気にしつつも、連れの少女に腕を引かれて急かされるように去って行く。
半身を起こした青年は、そんな彼女達の後ろ姿を目で追いながら一人呟いた。
「理由はなんだ……?」
少し落ち葉の混じる地面から立ち上がった青年は、一つ溜め息を吐いて土を掃うと、直ぐそばに立つ灯篭風の古い小さな祠に手を合わせた。
「……とりあえず、旅館に戻るか」
先ほどの少女達が去って行った方向に歩き出す。疎らに並ぶ木々の向こうに木造の旅館が見える。今居る場所は、古い祠がポツンと立っているだけの、旅館の前に設けられた小さな広場であった。
限界集落と呼ばれる地域がある。
過疎化と高齢化が進み過ぎて、社会的共同生活を維持するのが困難になってしまった集落を指すのだが、そういった地域の中にも、再生に向けて活性化の事業を試みている集落が存在する。
ここはそんな限界集落の一つで、山奥にありながら海辺にも近いという特徴的な土地柄を活かし、自然観光を売りにした旅館を経営している。
地域活性化事業の一環として、旅行会社を通じたツアー客を呼び込んでいるのだ。
広場の出口までやって来た青年、『
今年で十八歳になる彼は、実際の年齢より二年ほど長く生きている。
彼には、時間を遡って同じ期間をやり直す機会が何度かあった。そのやり直した時間の総計が、おおよそ二年分になるのだ。
肉体の年齢は十八歳のままだが、やり直した記憶が保持されているので、実質二十歳相当になる。彼がこの能力に目覚めたのは、幼少の頃だった。
「まずは、部屋の確保からだな」
これからどう行動すべきかを考えながら旅館の玄関に向かって歩き出したケイは、ついさっき、目を覚ますまでの出来事を思い起こしていた。
* * *
海と山に囲まれた限界集落の自然を満喫しよう。そんな一風変わったキャッチフレーズに惹かれ、連休を使って参加した国内旅行ツアー。
このツアーの為だけに走っている旅行会社のバスに揺られ、舗装もされていない山奥の道を進んで着いたのは、古めかしい旅館が一軒だけ立つ小さな集落。他に民家らしき建物は見え無い。
旅館の周辺には落ち葉で埋め尽くされた白樺の雑木林と、子供の背丈ほどの古い小さな祠しか無い広場。パンフレットの案内によると、旅館の裏の土手を下れば砂浜海岸や洞穴があるらしい。
バスを降りたケイは、今日から一週間ほどお世話になる旅館を右手に見上げながら玄関に向かおうとして、ふと覚えのある波動を感じ、そちらに足を向けた。
「これか……」
旅館前の広場にぽつんと佇む古い小さな祠。ここに『石神様』の波動を感じる。石神様は、ちゃんとした社や祠、お地蔵さんに埋め込まれている場合もあるが、ただの岩の下や古い家の庭先など、何でも無い所にあったりもする。
石神様に関する由来など、詳しい事まではケイにも分からない。ただ、その恩恵を受ける為の能力と、使い方を知っている。ケイは祠に手を合わせると、幼少の頃に田舎のお婆ちゃんから教わった、お
すると、意識の奥に一瞬の耳鳴りにも似た、透き通るような鐘の音が響いた。
「これでよし。さて、旅館の受付に行こうかな」
"石神様が響いた"のを確認したケイは、そう呟いて広場の祠を後にした。
元は小学校だったという木造の旅館。彼方此方に修繕や増改築の跡が見られるが、これはこれで中々趣を感じられる。しかし、着いて早々トラブルに見舞われた。
「はいはい、曽野見 景さんね~。お連れの方はもう部屋にいらっしゃいますよ~」
「え? 俺、連れ居ませんけど?」
「えっ?」
受付のおばちゃんは、ケイの言葉に驚いた様子で予約客の名簿と睨めっこを始めると、聞いた事の無い名前を挙げて確認を取る。
「栗原さんとは……お知り合いじゃ……?」
「知らないです。ていうか、俺今日は一人で予約取ってる筈ですけど」
「えー、ちょ、ちょっと待ってね」
おばちゃんは慌てた様子で電話の受話器を耳に当てると、内線ボタンを押して誰かと話し始めた。そのまま待つこと暫く、申し訳なさそうな表情を浮かべたおばちゃんから事情を説明される。
どうやら旅館側のミスで先ほど名前の出てきた栗原という人とのペア客として登録してしまっていたらしい。他の宿泊客も皆がペア客だったので、勘違いがあったようだ。
そしてさらに困った事に、空き部屋がもう無いという。
「申し訳ないですけど、ここは相部屋という事に……」
両手を合わせて平謝り状態のおばちゃんの提案に、ケイは相手方がいいのであればと了承する。
よく当て所も無い一人旅を楽しむケイは、飛び込みで安宿に泊まる時など、他の旅人や外国人のバックパッカー達と相部屋になる事も、珍しくなかった。
受付のおばちゃんは早速、内線電話で栗原さんに連絡を入れると、相手からも了承が得られたと部屋番号のついた鍵を渡してくれた。
「201号室か……」
この旅館の客室は全て二階にある。鍵を持って階段を上がり、最初の客室が201号室だ。
ちなみに、二人部屋である201号室、203号室、204号室、206号室は海に面した部屋で、土手を下った先にある小さな砂浜海岸と洞穴のある丘が見渡せる。
それらの部屋と対面にある202号室、205号室は家族客や団体客用の大部屋である。
コンコンと一応ノックしてから扉を開ける。部屋の真ん中辺りに茶色で光沢のある横長の卓子と座椅子があり、相部屋となる栗原さんらしき人物が座っていた。
ケイと同い年くらいで、少々恰幅の良い眼鏡の若者。銀色のノートPCを開いて作業中のようだった彼は、部屋に入って来たケイに気付くと、少し顔を上げて会釈する。
「あ、どうも……」
「こんばんは」
ケイは挨拶をして部屋を見渡した。二人用とはいえ結構広く、四人くらいで使っても手狭に感じる事はなさそうなほど余裕がある。奥は障子を挟んで板の間の空間にテーブルとソファーが並び、一面ガラス戸の向こうには海が見える。
荷物(といってもリュックサックだけだが)を置いて一息ついたケイは、先ほどからノートPCのキーをプチプチと叩いている栗原さんに声を掛けてみた。
「お仕事ですか?」
「え? あ、いえ……旅日記というか、ちょっと今日の分のレポートを」
「あ~日記でしたか。という事は、ブログとか?」
「ええまあ、ただここってネット環境がないんで……携帯も圏外だし」
リアルタイムで記事を上げられないので書き溜めているという。圏外と聞いたケイは自分の携帯を取り出し、圏外表示を確認して納得した。
「本当だ、パンフレットには書いてなかったような」
「だよねっ、書いてなかったよねっ! いくら限界集落つっても、今時無線LANくらいはあると思ってたからもうビックリしちゃってさっ、ツアーの申し込みとか旅行サイトでやったのに旅館のオーナーがネットの事よく分かってないとかマジで唖然だったよー」
急にまくし立てるようにそう語った栗原さんは、デジカメを取り出してPCに繋いだ。写真つきの旅行ブログなので、道中の風景なども画像ファイルとして保存しているという。
最初は人見知りにも感じられた彼だが、根は社交的で、共通の話題を持つと饒舌になるようだ。
ちなみに、見せて貰ったPCのデスクトップには複数の女の子アニメキャラが大集合している。自分で作った壁紙らしく、リアル時間に合わせて背景も朝、昼、夕、夜と変化するそうな。
ケイが『よく出来てるなぁ』と感心すると、彼はとても喜んでいた。趣味を同じくする友人以外からはほとんど興味を持たれる事もなかったので、褒められたのは嬉しかったらしい。
「いや~、ケイって名前が女の子っぽかったからさ、てっきり若い娘と相部屋になるのかと思って緊張したよ」
「なんだそれ、もしかして哲郎があっさり相部屋OKしたのって、そこか」
「いやいや~そんなコトハナイヨ」
「なぜ後半棒読み」
割と気の合う二人であった。
今回のツアーは六泊七日。この旅館では朝食は取るも取らないも自由。昼食は部屋に届けて貰う事も出来る。夕食は全員が食堂で取る事になっていた。
ツアー客は朝と昼の送迎バスで各々がバラバラにチェックインしている。観光コースなどは特になく、限界集落の自然を各自が好きに計画を決めて楽しむ内容になっているので、夕食の時に皆が顔を合わせる事になる。
現在時刻は16時30分を回るところ。ケイは哲郎と連れ立って一階の食堂に向かっていた。
「で、そいつの妹さんがまた黒髪ショートの美人さんでさー、巫女衣装のコスプレ写真とかすげー可愛いでやんの」
「へー」
駄弁りながら食堂にやって来ると、他のツアー客らしき若い女の子二人組みが端っこの席で食事を取っていた。女子高生くらいだろうか、艶のある栗色セミロングの大人しそうな子が、ケイ達に気づいて会釈する。
彼女の対面に座る少し癖のついたポニーテールの子がちらっと振り向き、そのまま興味無さそうに食事に戻った。そしてセミロングの子に何やらヒソヒソと話しかけている。
ケイ達も適当に席に着こうと移動する間、哲郎がこそっと耳打ちした。
『ポニテ感じ悪い。セミロングの子かわゆす』
『ははは』
その後、食堂にはいかにも遊び人風なチャラい格好の男女や、一見すると親子にも見える初老の男性と若い女性のカップルがやって来て席に着く。
『リア充カップルと歳の差カップル』
『この場合、どっちもリア充じゃないの?』
『いやあ、片方は枯れかけてる風だし』
『ひでぇ』
哲郎とそんな話をぼしょぼしょ交わしつつ夕食を終えたケイは、食後の腹ごなしにパンフレットに載っていた旅館の施設を、適当に見流して歩く事にした。哲郎はそのまま部屋へと戻った。
旅館の施設には食堂の隣にバーと共用のサロンがあり、大浴場の向かい側に遊戯室もある。古いゲーム機や卓球台が置いてあった。一階と二階の階段脇には値段高めの自動販売機。
小さいエレベーターも設置されていて、これは車椅子や杖をつく年配者に配慮した設備らしい。一通り見て回ったケイは階段を上って部屋へと戻る。
「おかえりー」
「ただいまー」
哲郎は備え付けの冷蔵庫に入っているジュースを飲みながら、ノートPCで今日の日記を纏めている。彼の向かい側に座ったケイは、メモ帳を取り出してテーブルに広げた。就寝前に明日以降の観光計画を立てるのだ。
「どこを観て回ろうかな、哲郎の予定は?」
「ボクは砂浜海岸と洞穴の写真から撮るつもりだよ」
それぞれ昼と夜、満潮時と干潮時も撮る予定なのだそうだ。小さな入り江になっている砂浜海岸は、潮が引いてる時は入り江の入り口付近まで砂浜が伸びるらしい。
洞穴は横穴も多く、それほど密閉された空間ではないので、蝙蝠などは生息していない。
「洞穴は満潮時に水没するらしいから、今回は海岸がメインかな」
「面白そうだな」
「一緒する?」
「そうだな。邪魔じゃなかったらついて行こうかな」
哲郎は『ノーボッチ、イエスフレンド!』とか言って歓迎している。長閑な田舎の自然を一人で観て回るのも趣きはあれど、せっかく親しい友人が出来たのだから一緒に歩くのも悪くない。
そんな訳で、明日は哲郎と砂浜海岸と洞穴を観て回る事にした。
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