第39話 魔女は拳で語らない

 ジュンさんは構えを解き、呆然とした表情で、私のことを見てきた。さっきまでの戦意はすっかり消えてしまっている。


「うそ、だろ」

「魅羅さんに調べてもらいました。ジュン先生なら、それだけ言えば、わかりますよね」

「ほんまの話やよ」


 私の言葉を引き継ぐようにして、魅羅さんは道場に上がって、詳しく話し始めた。


「拳法関係者で彼といまだ交流のある人がおるから、そこから情報を入手したんよ。蒼井初真は先月、東京で結婚して、相手と一緒に安アパートで暮らしとる」

「あいつは、じゃあ、この道場には……」

「彼が何を考えとるのかはさて置き、ジュンちゃんに連絡しとらんのやったら、もう、戻る気はないんやろうね」


 道場を守るためにジュンさんは戦っていた。だけど、その根本には、初真さんへの一途な想いがあったのだろう。いつか彼が戻ってきて、また道場長についてもらう。そしてジュンさんはそんな彼をサポートして……あるいは結ばれて……そういう幸せな未来を思い描いていたのかもしれない。


 ああ、と私は嘆息した。あんなに強いジュンさんもまた、男に狂わされ、そして傷つけられたのだ。


 ジュンさんはうなだれて、腰を下ろした。無言の敗北宣言だった。


 門下生たちは凍りついている。自分らの道場を賭けての戦いは、元道場長に切り捨てられたことで、無惨な形で決着がついてしまった。


「決まり、ですね」


 篠原さんだけが楽しそうに笑みを浮かべている。本山から使命を帯びてやって来た彼女としては、破門になった元道場長の復帰の可能性もないと知り、さらに向卯山道場を取り潰しにできるので、非常に気分がいいのだろう。


「勝者は八上千夏さん、あなたです。この道場についてどうするのか、決めてください」


 形式上は、この一戦に本山は関わっていないこととなっている。あくまでも千秋さんとジュンさんの死闘、という形だ。だから、結論は、千秋さんが出すことになる。


 これで千秋さんが道場取り潰しについて宣言すれば、すべて終わり、となるはずだった。


 ところが――誰もが予想しなかったことを、千秋さんは言い出した。



「向卯山道場は、本日をもって、私が道場長として引き継ぐわ」



 私も、魅羅さんも、門下生たちも、篠原さんも――そしてジュンさんも、誰もが、驚きの目で、千秋さんのことを見た。


「千夏!? なんで!? どうして!?」

「私が勝ったから、この道場のことを好きにしていいんでしょ? だから、道場長の座はもらうわ。ジュンは副道場長として、私の補佐に回ってちょうだい」

「そんなことは聞いてねえよ! お前、ここの道場長になるっていうことが、どういう意味なのかわかってんのかよ!」


 ここの道場長になるということは、竜虎道拳法本山への敵対行為となる。


 篠原さんが険しい目で千秋さんを睨みつけた。


「どういうことです、八上さん。あなたはことの重大さを、理解しているのですか?」

「もちろん。ノリでこんなことを言ってるわけじゃないわ」

「我々を敵に回す覚悟があると?」

「全国規模の武道団体相手にケンカを売るのも、なかなか一興ね」


 千秋さんはまったく動じていない。


「……後悔しても知りませんよ」


 言っても無駄だと悟ったんだろう。篠原さんは荷物を持ち、さっさと道場から去っていった。ピシャリ、と扉が閉じられた瞬間、門下生たちは歓喜の声を上げた。道場が存続することとなり、素直に喜んでいる。


 かえって、ジュンさんのほうが戸惑っていた。


「もともとそのつもりだったのかよ」

「さあ。自分でも迷う気持ちはあった」

「やっぱり、あれか? ここが、初真の道場だから……」

「バカ言わないで。別れた男のために危ない橋を渡る気はないわ。私が守りたいのは、私の友達。ジュン、あなたよ」


 その言葉を受けて、ジュンさんは目をパチパチとまたたかせた後、「ふっ」と苦笑した。


「迷ってないで、早く決めろよ、そういうの。こんな殴り合いなんてしなくて済んだじゃねーかよ」

「ごめんね。実を言うと、久しぶりに本気のあなたと戦ってみたかったの」

「ははは。で、どうだった? 弱くなってて、ガッカリした?」

「ほんとに腕が落ちたわね。もう一度、実戦で鍛え直さないと」

「何が言いたい?」


 ニヤニヤとジュンさんは笑っている。千秋さんの発言の裏に見え隠れする意図に、私も気がついていた。


「パーティに戻ってきて。あなたの力を、私たちは必要としている」


 周りで門下生たちが、肩を抱き合って喜び合っている中、ジュンさんは立ち上がり、千秋さんと向かい合った。そして、手を差し出した。


 二人は固い握手を交わし合った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る