第37話 いま、私に出来ること

 決闘の前日になり、放課後、最後のジュンさんのスパーリングに付き合った後、家へ帰ろうと自転車をこいでいるところに電話がかかってきた。


 マキナさんからだった。


 あの人から連絡が来るなんて珍しい、と思いながら、通話ボタンを押す。


『いま香林坊のスタバにいる。時間は取らせない。すぐ来てくれ』


 用件はそれだけだった。


 なぜ呼び出されたのだろう。ジュンさんの事前練習に付き合っていることがバレたのだろうか。でも、そんなことで目くじら立てるような人だとは思えない。


 不思議に思いながらも、自転車のスピードを上げ、夜の香林坊に向かった。



 スタバに着くと、オープンテラス席に、マキナさんはいた。


 薄手のジャンパーにジーンズというラフな格好だ。いつも素敵なドレス姿しか見ていなかったから、この人のこんな服装は新鮮に見える。


「腕に青あざができてるな」


 店内で買ったコーヒーを持ってきて、席に座ると、さっそくマキナさんはそこのところを突っこんできた。


「ジュンと組手をして、ついたんだな」


 どうやらお見通しのようだ。ごまかしは効かないから、覚悟を決めて、告白した。


「はい。あの人、本気で来ますから。でも、大丈夫です」

「本気? バカ言うな。あいつが本気を出したら、死人が出る」


 ふん、とマキナさんは鼻で笑った。


「どうやら明日に向けて、順調にアップを済ませているようだな。千秋にとってはなかなか厳しい戦いになりそうだ」

「千秋さんも、何か準備はしているんですか?」

「してない。今日もガーデンで働いている。せいぜい、明日の夜に道場へ行く前、準備運動をするくらいじゃないか」

「何も対策を練ってないんですか!?」

「一週間程度でできることなんて、たかが知れている。長い時間に積み重ねてきた経験こそがものを言う。明日は、千秋と、ジュン、どちらがより時間をかけて修練してきたか、その差がハッキリと出ることになるだろう」


 私を相手にしての練習で、鬼気迫る表情で戦っていたジュンさんのことを思い返す。かつて千秋さんが屈強な男たち相手に大立ち回りを繰り広げていた、あの見事な動きと比べてもなお、ジュンさんに負ける要素は見当たらない。


 とにかく速い。足の運びも、攻撃も、体をさばいての回避も。こちらは何もさせてもらえない。千秋さんがなすすべもなくボコボコにされている光景しか想像できない。


「さて、ここでひとつ聞いておきたいことがある。お前はいま、千秋とジュン、どちらに気持ちが傾いている? 正直に答えてほしい」

「えっ」


 突然の問いかけに、すぐには回答が出てこない。だけど、正直に、とのことだったので、いまの私の心境を素直に答えた。


「ジュンさん……です」

「どこに共感した」

「誰にも負けないほど強くなる、というところに」

「あいつらしい考え方だな。どれだけ巨大な敵であっても、自分が負けないくらい強くあれば、屈服しないでいい――そんなことを言ってただろ」


 まったくそうだ。どうしてわかるのかとマキナさんの顔を見つめると、フッと彼女は笑みを浮かべた。


「パーティで働いていたときから、何度も、千秋と意見の対立があった。純粋に力を追い求めるジュンに対して、千秋は違った視点を持っていた」

「それは、どういう……?」

「人を信じること」

「信じる……」

「たとえばジュンの場合は、どんな人間でも悪性を持っている、利害のために敵に回ることもある、だからひたすら自分が強くならないといけない。そう考えている。それに対して千秋は、どんな人間にも必ず善性はある。その善の部分を見いだすことに成功すれば、争うことなくトラブルを解決できる――と信じている」

「性悪説と、性善説」

「その言葉の、本当の意味とは少々ずれてくるが、お前にわかりやすい言葉で説明するなら、そういうことだ。面白いことに、どちらも求めたのは、究極の強さ、というところだった。ジュンは相手を倒すため。千秋は相手を制するため」

「倒すのと、制するのと……そこが、二人の違い」

「武の意義とは何か。この解釈は難しいところだが、あえて言うなら、千秋こそが本物の武を体現している。ジュンの場合は、もはやただの暴力となりつつある」

「でも、あの人は、門下生に尊敬されています。子どもたちだって慕ってます」

「だからこそ問題なんだ。このままだと争いは激化していく一方だ。いや、すでに手遅れかも知れない。今回の場合、どちらが勝っても、戦いは終わらない」

「ジュンさんが勝てば――」

「竜虎道拳法の本山が、乱取りの結果次第で、手を引くと思うか? 千秋が負けたとしても、平気で約束を破り、あらゆる手段を用いてジュンの道場を潰しにかかる。そのとき被害をこうむるのは、ジュンだけじゃない、哀れにも彼女に感化された門下生たちも、だ」

「そうしたら、千秋さんが勝てばいいと、思っているんですか?」

「それもまた茨の道だな。ジュンが引き下がったとしても、門下生たちは黙っていないだろう。玉砕覚悟で本山に殴りこみをかけるかもしれない」

「じゃあ、どんな結果になっても」

「さらに状況が悪化するだけだ。かつて、道場を引き継いだジュンが、変なこだわりを見せずに本山へちゃんと帰属していれば、ここまでのトラブルにならなかった。すべては、あいつが招いたこと」

「私は……でも……」

「聞こえのいい言葉にだまされるな。現状を冷静に見つめてみろ。その上で、自分はどうすべきかを考えてみろ」


 道場を守ることに賛同するか、本山に味方するか。どちらを選んでも幸せな未来は待っていないけど、ここまで関わってしまった以上、選ばないといけない。


 だけど、本当に、他の道はないんだろうか。


「私から話せることは以上だ。では」


 マキナさんは席を立ち、ウィッチ・ガーデンのほうへと戻っていった。


 しばらく椅子に座ったまま、私は考えていた。感情的にならないように努めて、どうすれば最良の結果が得られるのか、真剣に答えを求めた。


 一時間ほど考えて、やっと、ひとつの方法を導き出した。


(もう時間がないけど――やれるだけやってみよう)


 そして、私もウィッチ・ガーデンへと向かった。



 今日はシフトじゃないので、お店の近くで時間をつぶした後、閉店時間を見計らって、こっそりエリカさんと魅羅さんを呼んで、カラオケボックスに移動した。


「なんなのよ急に。早く帰ってゆっくりしたかったんだけど」


 部屋に入るなり、エリカさんは文句を言ってきた。


「なっちゃんがカラオケ誘うなんて、珍しいね」


 リモコンをしばらくいじっていた魅羅さんは、もとから歌う気はなかったのか、機械を棚に戻して、私に顔を向けてきた。


「話、あるんやろ?」

「教えてほしいんです。蒼井初真さんのこと」


 蒼井初真、の名を出した瞬間、エリカさんと魅羅さんはお互いの顔を見合わせた。やっぱりこの二人も事情を知ってる。


「なっちゃんは、どこまで聞いとるの?」

「私は、蒼井さんが、千秋さんの元カレということだけ」

「なるほどね。けど、うちらもそれくらいやよ」


 それはなんとなく想像はついていた。


「じゃあ、お願いする内容を変えます。蒼井初馬さんのことを、調べてくれませんか」


 エリカさんがピク、と眉を動かした。何を言い出すのだこいつは、という表情だったけど、黙っててくれた。いまの私の依頼は、実質、魅羅さんだけに向けたものだったからだ。


「それ、ギャラはいくら?」

「どれくらいならやってくれます?」

「ほやねえ、彼についてはなかなかアンタッチャブルなところもあるし、やるんやったら、百万はほしいかもしれんね」

「ひゃ、百万んん!?」


 私が裏返った声で叫ぶと、ケラケラと魅羅さんは笑い出した。


「う・そ。かわいいなっちゃんの頼みやさけ、お金なんて取らんわいね」


 ホッとした私は、あらためて、調べてほしい内容について詳細を話し始めた。


 知りたいことはただひとつ。千秋さんの元カレにして、ジュンさんの想い人である蒼井初馬さんが、いまどこで、何をしているのか。その情報を掴みたかった。


(間に合わないかもしれない)


 千秋さんとジュンさんの対決は明日だ。こんな夜遅くから動き出して、時間までに成果が出るとは思えない。けど、魅羅さんだったら、あるいは、とも考えている。


 問題は、間に合ったとしても、結果次第では状況が悪化するかもしれない、ということだった。すべては賭けでしかない。でも、打てる手は、すべて打ちたかった。



 そして、決闘当日を迎えた。

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