第4章 魔女は拳で語らない

第31話 ジュン先生は憧れの存在

 九月に入ってから、私は町道場に通い始めた。


 学校も始まっているので、ウィッチ・ガーデンでの仕事もそんなにやれる余裕もなく、シフトは週に一回まで落とした。その代わり、学校帰りに、道場で拳法の練習をするようにしていた。


 仮にもウィッチ・パーティに加わらせてもらっている以上、腕をなまらせたくなかった。拳法部は活動停止なので、修行するなら町道場だった。


 インターネットで学校の近くの道場を検索したら、見つかった。ちょっと辺鄙な場所にあるけど、通えなくはなかったので、せっかくだから通ってみることにした。



 町道場、とはいうものの、その場所は山の中にある。学校へは自転車で通学しているので、行き帰りはかなりしんどい。それでもがんばって通い続けた。


 学校が終わってから、そのまま山の道場へ行く、というのがいまの私の日課だ。毎週、月、水、金、土が練習日。今日で三回目になる。


 道場自体は、山の中の廃寺を買い取って転用している、いかにも修行の場らしい場所だ。建物の一部は崩壊して、崖と直結してる。壁のなくなった部屋からは、金沢市内の夜景が一望のもとにできるので、練習後にホッとひと息つけるのだけど、実に危ない。補修費を出す余裕がないから放置しているのだそうだ。


 別の部屋にはおどろおどろしい地獄絵が飾られている。裸の女性がおっぱい丸出しで鬼に拷問を受けている姿は、暴力的で、ちょっとエロい。


 こんな危険で、教育上よくないような道場であるにもかかわらず、子どもは一〇人も通っている。大人は私たちを含めて一五人。金沢は都会とはいっても、竜虎道拳法というマイナーな拳法で、これだけの人数を確保できている道場はそうそうない。


 立地の不便さを上回って、多くの人が集まるのは、先生の魅力があるだろう。


 練習開始の時間になると、全員着座して、先生が来るのを静かに待つ。咳ひとつでも許されないような緊迫感がある。


 時間ピッタリに、先生が入ってきた。


「起立!」


 先頭列の右端にいる少年が、緊張した声で、号令をかける。全員素早く立ち上がり、先生に向かって、拳と手の平を合わせる拱手礼をした。


 この道場の先生は、女性だ。


 先生の名前は長洲音潤。とても変わった名字だ。呼びにくいからみんな「ジュン先生」と呼んでいる。その一方で、「オレ先生」という陰での呼び名もある。それは、先生の特徴的な言葉遣いにあった。


「練習始める前にひとつ。この道場は、オレがある人から受け継いだものだ。当然、しばらくはオレの責任で面倒を見る。だけど永遠に、じゃない。いつかはこの中の誰かに継いでもらう。そのことを踏まえた上で、練習に励んでくれ」


 まるで男そのものの喋り方。自分のことを「オレ」と呼ぶ女性と出会うのは初めてだ。


 でも、似合ってる。


 俺先生は身長が一七〇オーバーで、スラリとした体型。面立ちは目鼻が整った美形で、髪型はマニッシュショート。舞台で男装の麗人役をやったらピッタリな印象の、綺麗で、かっこいい女性だ。


 おまけに拳法の技はキレキレ。


「ナナ、こっちへ」


 技の練習が始まり、一度見本を見せるため、ジュン先生は手招きをした。


「上段突きを頼む」


 ジュン先生に遠慮は無用だ。私は本気で、顔を狙って、拳打を放った。


 だけど、拳は当たらなかった。いつの間にか体をさばいて、先生は攻撃をかわしている。その直後、先生の手刀が、私の首筋に叩きこまれた。当て止めだから威力は抑えられてるけど、それでもゲホッと咳きこむほど、痛い。


「この技は『逆鱗攻げきりんこう』という。使いこなせばカウンターとして有効だけど、相手のインサイドに入るから、難度は高く、危険も伴う。オレみたいに動けるようになるには、相当な修練が必要だ」


 先生が、私の拳をどうやってかわしたのか、その動きはまったく見えなかった。


 シャープで無駄のない体の使い方をする。突きも蹴りも常に最短距離を意識して繰り出し、攻めかかるときは疾風迅雷。敵の攻撃を避けるときは最小限の動きで、意味なく足は動かさない。


 若くて、美しくて、しかも拳法の達人。私と同じショートヘアの髪型というのもあって、いつかこんな大人の女性になりたいと思ってしまう。千秋さんが霞んでしまいそうなほどに、いまの私にとっては憧れの存在になっている。


 ジュン先生のことが好きなのは、私だけではない。子どもたちも、みんな練習終わりの時間になると、名残惜しそうに帰っていく。


「もっと教えてよー、せんせー」


 先生の道着の袖を引っ張り、駄々をこねる少年を、迎えに来たお母さんが叱りながら引きはがす。「また来週な」とジュン先生が手を振ると、少年は残念そうに頬を膨らませた。

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