第26話 魅羅の戦い

「翼さん!」

「ごめん、なっちゃん……私のせいで……」


 ポロポロと涙をこぼす翼さんの顔を見ていると、もともと文句を言う気はなかったけれど、さらに何も言えなくなった。その表情だけで、翼さんも逃げたくて逃げ続けているんじゃない、ということは十分にわかった。


「翼!」


 建物の裏手から、あやめさんが飛び出してきた。魅羅さんとの間にひと悶着あったんだろう。血相を変えている。けれども、刀を構えている男と、それと対峙する魅羅さんの姿を見て、あやめさんは立ち止まった。


「ちょ……なんなの? どうなってるの?」

「思ってたより早く、敵さんも動いとったようやね。誤算やった」


 魅羅さんの声には、ちょっと怒気が含まれている。いつもの温厚な調子ではなく、吐き捨てるような、ぶっきら棒な口調だ。


「お話の世界とは違う。これはリアルに存在する、汚れた仕事の世界。いわゆる掃除人ってやつやね。政治家や暴力団に雇われて、邪魔な人間を、どんな手を使っても排除する殺し屋たち。こいつは、そういう連中の、一人」

「じゃあ、佐々間に依頼されて、翼さんを殺しに!?」


 私の言葉に対して、魅羅さんも、相手の男も、何も反応しなかった。ただ、私の両肩を支えてくれている翼さんの手が、かすかに震えたのを感じた。


「なっちゃんまで襲っとるところを見ると、クラブDAOの人間も、何人か殺すつもりやったのかもしれんね。目撃した人間はすべて消すスタイルの掃除人なんやろ」


 その魅羅さんの発言を受けて、あやめさんは険しい目を、男のほうへと向けた。


 男は、不敵にも笑みを浮かべている。刀の切っ先を魅羅さんに突きつけて、ふん、と鼻を鳴らした。


「随分と余裕な嬢ちゃんだな。もしかして、お前さんも」

「うちのことは関係ないやん。ほんでどうなの? 続けるの? やめるの?」


 魅羅さんは苛立った口調で男の言葉を遮ると、挑発的なセリフをぶつけた。


「アホ言え。女相手にしっぽ巻いて引き下がれるか。さっさと終わらせて、あとはうまい酒でも飲ませてもらうぜ」

「ほんなら、こっちも遠慮はせんよ」


 そう言うやいなや、ごく自然な足取りで、魅羅さんは歩き出した。


 私が習ってきた拳法の歩法とも、他の武道の足運びとも異なる、ただ無造作に歩を進めているだけの動き。


 それなのに、男の懐に入りこむまで、彼女が何をやっているのか、私はわかっていなかった。おそらく、殺し屋の男も。


 スピード云々じゃない。


 感覚的には、ずっと魅羅さんがその場で制止しているような気分になっていた。目は、動きを追っていたのだとしても、脳が、まるで追えていなかった。


 この世界から魅羅さんの存在が消え去った。誰もが姿を見失ってしまった。


 そして、突然、また彼女の存在感が戻ってきた。


「う、お!?」


 男は叫んだ。いつの間にか魅羅さんが目の前まで接近していることに、ようやく気がつき、慌てて刀を振り上げようとした。


 ゆらりと魅羅さんの体が傾く。次の瞬間、彼女は男の背後に回りこんで、のどに腕を回していた。


 首締めだ。


 かはっ、と男は咳きこみ、自分の首を絞める腕を引き剥がそうとする。が、膝を裏からドンッと蹴られて、無理やり地面にしゃがみこまされた。彼我の身長差がなくなり、ますます魅羅さんの首締めは効果的なものとなる。ギチギチと肉が締めつけられる音が聞こえてきそうなほど、見ていて、痛々しい。


「あ……! が……!」


 街灯の明かりの下でもわかるほど、男の顔は真っ赤になっている。


 しばらく男はもがいて抵抗していたけど、数秒後にはピクリとも動かなくなった。意識を失った。


 それは静かな勝利だった。


(すごい! まるで、プロの暗殺者みたい!)


 自分でそう思ってから、ハッとなった。


 そうだ。いまの技は、人殺しの技術ではないのか。殺し屋の男はさっき「お前も」と言いかけてた。魅羅さんもまた、その世界に身を置く人なのだろうか。


 急に、背筋も凍るような恐怖に襲われた。そんな私の心の内を知ってか、知らずにか、満面に笑みを浮かべて、魅羅さんは近寄ってきた。


「口ほどにもない相手でよかったわ」


 魅羅さんはベルトを外して、紐代わりに男の両手を縛ると、携帯電話で、警察に通報をした。その一連の作業を終えてから、私の後ろにいる、翼さんへと目を向ける。


「もう、大丈夫やよ」


 この上なく優しい声音だった。


 たちまち翼さんはワッと泣き出した。


「ごめんなさい、魅羅さん!」


 それから事情を説明し始めた。


 やはり佐々間玉雄は、翼さんがクラブDAOに勤めていたころの常連客だった。毎週のように熱心に通い、プレゼントも数知れなかったという。


 おかしい、と思い始めたのは、「もうバスもないから送っていくよ」と乗せてもらったタクシーで、同乗していた玉雄がホテルへのルートを指定したときだったという。そのときはなんとか逃げることができたけれど、それ以来、玉雄の様子が変わっていった。


 お店に来ると、恨めしげに、翼さんを見るようになってきた。翼さんが他の客の席についたときに、ボーイを呼びつけて怒鳴り散らすことまでしたそうだ。


『俺の親父を知ってるか! ヤクザだって親父に一目置いてるんだぞ! 俺のことをなめたら、どうなるかわかってるんだろうな! ああ!?』


 父親である佐々間鼎造の存在をちらつかせては、店に脅しをかけていた。


 ついに玉雄は出入り禁止になった。翼さんを指名した他の客と、出入り口で鉢合わせたとき、酔った勢いでその客を殴ってしまったそうだ。


 翼さんもお店を辞めた。お店からは止められたけれど、このまま勤め続けたら、恨みを抱いた玉雄が何をしてくるかわからない、と考えてのことだった。


 そうして、ウィッチ・ガーデンに移ってきた。最初のうちは玉雄がいつ現れるかとビクビクしていて、帰り道は誰かと一緒じゃないと安心できない日々を過ごしていた。


 結局、一ヶ月ほど経っても何もないから、もう大丈夫かと安心し始めていた。その矢先に起こった、先日の襲撃事件。パニックを起こした翼さんは、思わず、玉雄を刺してしまった。とにかく怖かったからやってしまった……とのことだった。


 全部、話し終わったところで、ちょうど警察がやって来るのが見えた。


 私は魅羅さんに指示されて、こっそりその場から立ち去った。一部始終を見届けられないのはモヤモヤするけど、いまの翼さんは、警察に捕まっているほうが安全なので、その点では不安はなかった。


 だけど、私の胸中には、まだかすかなしこりがあった。


 理屈に合わない。


 玉雄とのトラブルは、あんな殺し屋を使って殺そうとするほどのことなんだろうか? 


 それこそいくらでも揉み消しようがあると思う。わざわざ、あんな乱暴な手段を使ってまでして、翼さんを消そうとした、その理由が、全然わからずにいた。

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