第21話 帰り道の襲撃者

 いつもよりも長く感じた夜も終わり、私は自分の服に着替えて、お店を出た。


 疲れた体を引きずるようにして、叔父さんがやっているカレー屋サラスパティまでの道を歩き始めた。家族には、叔父さんの店でバイトしてることになってるから、帰りはたまに叔父さんが車で送ってくれてる。姪っ子かわいさで協力してくれてる叔父さんの好意が、すごくありがたい。


 今日はいつもより裏路地の人通りが少ないので、早く賑やかな場所へ出ようと、私は足早に歩いていた。


「なっちゃん、一緒に帰ろ」


 後ろから声をかけられた。


 ウィッチ・ガーデンのキャスト、翼さんだ。ほぼ同時期に入店したけど、私より三歳年上の現役大学生。柔らかそうな丸顔と大きな目が愛嬌たっぷりの、かわいらしい感じの人で、お客さんだけでなく、他のキャストからも人気が高い。


「私、金駅まで歩いてくけど、なっちゃんは?」


「ちょっと寄るところがあって、香林坊のあたりまで」


 叔父さんの件は話さない。たとえ同じキャストでも、個人情報はできるだけ明かさないルールになっている。お客さんにうっかり話してしまうかもしれないからだ。だから翼さんは私の本名を知らないし、逆に私も「翼」という源氏名しか彼女のことは知らない。


「じゃあ途中まで一緒だね!」


 翼さんは朗らかに言って、隣を歩き始めた。


「なっちゃん、今日、元気ないね? やなことあった?」


「うん。エリカさんの指名客に失礼なこと言っちゃって、それでエリカさんが……」


「あー、それ、私もやったことがあるー。私の場合、ちょっとエッチなネタを話したら、エリカさんがあとですごく怒っちゃって。『そういうの嫌いな客なんだから!』って」


「そりゃあ、こっちが悪いですけど、もうちょっと言い方ってものがありますよね」


「ねー。なっちゃんも大変だね。あの人が指導役だと」


「ほんとですよぉ……」


 ガックリと肩を落として、ため息をついた。


 そのとき、背後から、何者かが駆け寄ってくる足音が聞こえた。


 私は、咄嗟に振り返った。視界に、ギラリと光るものが飛びこんできた。ナイフだ。その刃先は、翼さんに向けられている。ナイフを持っている相手は、覆面をつけてる。映画で銀行強盗がかぶるような、目鼻口の部分だけ開いているタイプのものだ。


 ほんの少しだけ、私は足がすくんだ。でも、動かないわけにはいかない。自分がなんとかしないと、翼さんが刺されてしまう。


「や!」


 気合いとともに、暴漢の腹に、蹴りを入れてやった。が、ボゴンと鈍い感触。肉に当たった感じがしない。


 何か防具を服の下にしこんでる。


 ちっ、と舌打ちした覆面の暴漢は、私を無視して、そのまま翼さんを斬りつけた。


 服が割け、パッと赤い血が飛び散る。翼さんは悲鳴を上げた。腕を軽く切られた程度で、命に関わる大怪我は負っていないけど、襲われた勢いで、翼さんは転んでしまった。そこへ向かって、さらに暴漢は斬りかかろうとする。


 私は暴漢を止めようと手を伸ばした。だけど、間に合わない。


 ナイフが振り下ろされた、その瞬間、


「うちの仲間になにしとるの」


 いつの間にやって来たのか、突然、横から魅羅さんが現れて、暴漢の腕を掴んだ。そこからクイッと手首をひねる。特に力をこめている様子でもないのに、その単純な動きだけで、暴漢は身動きが取れなくなってしまった。


「魅羅さん!」


「たまたま帰り道同じで、よかった」


 そう言ってから、軽やかな足さばきで暴漢の背後に回りこんだ魅羅さんは、腕をねじり上げた。肩の関節を極められ、暴漢は、呻き声を上げる。さらに手をねじられ、ついに握っていたナイフを地面に落とした。


「なっちゃん、そのナイフ拾っといて」


「は、はい!」


 慌てて私はナイフを拾おうとした。


 けど、それよりも先に、横から翼さんが手を伸ばして、拾い上げた。


「翼さん……?」


 彼女は、やけに思いつめた表情だ。腰だめに持ったナイフがブルブル震えている。


「ちょ、待って!」


 私が止めるのも間に合わず、翼さんはわめき声を上げながら暴漢に向かって突進した。


 刃が、相手の脇腹に突き刺さった。


「ぎゃッ――」


 そこには防具が仕込まれていなかったのか、シャツに血が滲んできた。暴漢は叫び、膝から崩れ落ちた。ナイフは刺さったままだ。


「なにやっとるの!」


 魅羅さんは暴漢を抱きかかえながら、翼さんに怒鳴った。


 びくん、と体を震わせた翼さんは、ほんの少しためらった後、背を向けて逃げ出した。私は追いかけたけど、あっちは走るのが得意なのか、あっという間に翼さんの姿は見えなくなってしまった。


 仕方なく、元の場所に戻ると、暴漢は覆面を剥ぎ取られていた。整った顔立ちの、育ちの良さそうな男だ。たぶん二〇代だと思う。ナイフで刺されたショックからか、青白い顔をしている。


 警察と救急車は、すでに魅羅さんが手配してくれていた。


「なっちゃんはもう帰りまっし」


 たしかに、高校生の私が、そもそもこんな時間にうろついていること自体がまずかった。私は魅羅さんに頭を下げながら、人が来る前に、この場を離れることにした。

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