第3章 魔女が怒ると吹雪が舞う

第20話 癒しの先輩魅羅

「この後、軽く食事でも行かない?」


「はえ!?」


 八月も下旬に差しかかった、ある日のウィッチ・ガーデンで。


 突然、お客さんから、ご飯に誘われた。


「近くに朝までやってるお店があるんだ。夕方から何も食べてないでしょ」


「あ、あ、あの、私は」


 困ったことになった。エリカさんのヘルプでついてるだけなのに、まさか指名客から食事を誘われるなんて。お店が終わった後、一緒にどこかへ行くことを「アフター」と言うらしいけれど、軽々に乗っかるなと注意されていた。


『大抵の客はエッチ目的だから、うっかりついてくと、大変よ。タクシー代は出すからとかなんとか誘い文句を並べて、上手にホテルへ連れていこうとするから』


 でも、いざ誘われたところで断るってなると、なかなか勇気がいる。どう言おうかと考えて、若干パニックになっていると、エリカさんが助けてくれた。


「ひっどーい。私、一度も誘われたことないよお?」


「あはは、ごめんごめん」


 お客さんは悪びれた様子もなく、笑ってごまかした。


 このお客さんは、エリカさんのことを気に入っていて、いつも必ず指名してくる。だから、そんな人が、ヘルプについただけの私を食事に誘ってきたのが意外だった。


 エリカさんの華やかさに比べたら、私なんて地味だ。顔立ちだって、女性よりは男性的で、体も筋肉質で女の子らしくない。過去に私のことを「かわいい」と言ってくれたのは、千秋さんくらいだ。そんな私の、どこに魅力を感じてくれたのだろう。


 ……なんてことを真面目に考え出すと、どんどん相手のペースに引きずりこまれそうだったので、頭を切り換えることにした。


「お仕事って、何をされてるんですか?」


「教員だよ。小学校で教えているんだ」


 髪を丁寧に整えた、真面目そうな風貌は、たしかに学校の先生っぽい。


 私はちょっとだけ調子に乗って、


「ふふ、子どもたちに物教える人が、キャバクラなんて来ていいんですかぁ?」


 とツッコミを入れた。


 途端に、お客さんは急に黙りこんだ。表情が固まっている。


 すぐエリカさんに睨まれた。どうやら言ってはいけない類の冗談だったらしい。


「ごめんなさい、言い過ぎました!」


 やばい、と焦った私は、すぐに謝った。


 間の悪いことに、そこでボーイがやって来た。お会計の時間だ。お客さんは延長することなく、ここまでの一時間だけで帰っていった。心なしか、無口になっていた。


「来て」


 ドスのきいた声で、エリカさんは私を連れ出した。一緒にスタッフルームに入る。中には他のキャストも二人いたけど、そんなの関係なかった。


「あんたね、ヘルプの意味、わかってんの!?」


 雷が落ちた。本気で泣きたくなるほど、怖い。二人のキャストはそそくさと部屋から出ていった。私とエリカさんだけになる。


「いつもだったら、あと一時間はいるんだよ! 私の指名客なのに、これで足が遠のいたら、どうしてくれんの! たまたま気に入ってもらえたからって、調子に乗んな、バカ!」


「申し訳ありません……」


 とにかくできる限り深く頭を下げて、謝るしかなかった。


「ほんっと、最悪!」


 頭をパシンと叩かれた。痛くなるほどのものではなかったけど、心に傷はついた。ドアの閉まる音が聞こえてから、私は泣き出した。


 せっかく少しはエリカさんと仲良くなってきたかと思っていたのに、またミスをして、怒られてしまった。それがとても悲しかった。


「あらら、なっちゃん、どうしたん?」


 魅羅さんが入ってきた。泣き顔を見られたくない私は、スタッフルームの奥へと移動する。だけど放っておいてもらえなかった。


「エリカに怒られたんやね。かわいそ。言い方ってもんがあるやんねえ。よかったら、うちに愚痴りまっし。なんで怒られたん?」


 嗚咽混じりに、私は一部始終を説明した。最後まで聞いた魅羅さんは、ちっちゃな顔をぷうと膨らませて、怒った表情になった。幼い面立ちのこの人が、そんな仕草をしても、可愛いだけにしか見えない。ちょっと、気持ちがほっこりした。


「そら、言い過ぎやよ。なっちゃんは真面目にお客さんと打ち解けよう思って、ジョーク言っただけやわいね。ほやろ?」


 ああ……癒やされる……。


 魅羅さんはいつも笑顔で明るい。これまでにも何回かフォローしてもらっていたけど、今日のは特に温かい。


「ま、あの子も気分屋さけ、明日には忘れとるって。涙拭いて、化粧直したら、はよフロアに戻りまっし。次、気を付ければええよ」


「……はい!」


 そうだ、私は強くなりたいんだ。仕事で怒られたくらいで、めげてる場合じゃない。歯を食い縛って、このウィッチ・ガーデンにとどまり続けないと。


 グイッと腕で涙を拭い、ロッカーから化粧道具を取り出した。閉店まであと一時間半。気合いを入れて臨もうと思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る