第2章 魔女は空から降ってくる

第12話 指導役エリカ

「だーかーらー! 順番が逆! 氷を入れてから、お酒を入れる! ファミレスのドリンクバーだったら、そうするでしょ!」


「は、はい。すみません」


 ウィッチ・ガーデンで働き始めてから三日目。


 私は早くも先輩に怒られている。


 指導係についたのは、初めてお店に来たときに会った、何かと態度の悪いエリカさんだった。店長の意向で、そう決まった。


『えー、私が面倒見るのー?』


 ふてくされた表情のエリカさんを横目で見ながら、私は、(こっちもいやなんだけど)と内心ムッとしていた。


 千秋さんに教えてもらいたかった。あの人なら、厳しさと優しさをほどよいバランスで織り交ぜながら、楽しく仕事を教えてくれそうだ。


「すいませーん」


「バカッ、『お願いします』でしょ!」


 ボーイさんへの声のかけ方を間違えた、私の後頭部を、エリカさんは容赦なくはたいてきた。けっこういい音がした。


 これが開店前のことならともかく、営業時間中だ。目の前にお客さんもいる。同じテーブルの、恰幅のいいスーツ姿のおじさんが、頬を引きつらせて笑っている。初めて来たお客さんらしいから、きっともうエリカさんを指名することはないだろう。


 ボーイさんから呼び出しがあった。エリカさんに、他のテーブルへ行くように促してくる。二〇分ごとにローテーションするシステムになっているので、時間が来たら他のキャストと交代しないといけない。私は本来なら動かなくてもいいのだけど、いまはエリカさんの指導を受けているので、一緒に移動した。


 次のお客さんは、エリカさんを指名した、二〇代くらいの若いサラリーマンだ。髪をしっかりと整えていて清潔感にあふれている。


「きゃー、久しぶりー!」


 たちまちエリカさんの態度が変わった。常連の指名客なのだろう。お互いに慣れた様子で話している。しばらく二人の様子を観察していたら、急にエリカさんが険しい目つきで私を睨んできた。お客さんのおしぼりがグチャッと乱れたままになっている。うっかりしていた。慌てて私はおしぼりを丁寧にたたんだ。


 おしぼりのたたみ方にもルールがある。全部広げたときの四辺が表に出ないように、内側へ、内側へとたたんでいく。そして、折り曲げているほうをお客さんへと向ける。これが三角にたたんであると、ボーイさんへの「持っていってください」の指示になるそうだ。いちいち面倒だなあ、と思ったけど、そういうものだと割り切ることにした。


「はい誕生日プレゼント」


「え、うそ、憶えてくれてたの? うれしい!」


 何が入っているのかわからないけど、洒落た柄のワイングレーの包装紙から、どことなく、高価なアクセサリ類が入ってそうな気がした。


 また時間が来て、ボーイさんに呼ばれた。


 移動中、エリカさんは「ふん」と鼻を鳴らし、プレゼントを手提げバッグの中に乱暴に突っこんだ。


「なにがプレゼントよ。私の誕生日は先月終わったっつーの」


 さっきまでとはまるで異なる態度。裏と表の顔を明確に使い分けている。千秋さんは思わせぶりな態度で、本心がどこにあるのかわからないけれど、常に同じスタンスでいるから、不安になることはない。だけどエリカさんは平気でコロコロと態度を変える。そこが信用できない。


「よう、ミサちゃん」


 次の席の前まで来ると、浅黒い肌の老人が、にこやかに手を上げてきた。「ミサ」て誰のことだろうと思い、もしかしてと隣のエリカさんを見ると、


「しー! しー! しー!」


 と顔を真っ赤にして、老人のそれ以上の発言を黙らせようとしている。


 ああ、エリカさんの本名は、「ミサ」なんだと思っている間に、その本人はドスンと荒々しく席についた。


「なに考えてるのよ! 本名はパーティの子にしか明かしてないんだから!」


「お前さん付きで席回っとる、ちゅうことは、その子はウィッチ・パーティの新入りなんやろ。ええと、名前は」


 目が悪いのか、老人は顔を近づけて、私の胸のプレートを見てきた。


「夏海です」


「ほう、そうか。なっちゃんか。わしは近江町の『百万石水産』を営んどる森ちゅうもんや。そこのミサちゃん――」


「エ・リ・カ」


 厳しい口調で、エリカさんは訂正を入れる。


「――エリカちゃんとは長い付き合いでな。その子がウィッチ・パーティに入る前から、何かと世話んなっとる」


「森さん、が、世話に?」


「おう。あれは何年前やったか……」


「ところでいつまでうちの新人のおっぱい見てるのよ」


 エリカさんの言葉で、初めて気がついた。森さんはネームプレートを確認したときの姿勢のまま、私の胸の谷間をまじまじと見つめている。ギョッとして腕で胸元を隠すと、やけに真面目な顔つきで、森さんはうんうんとうなずいた。


「ええもん持っとるな。Eはあるか」


「残念でしたー。この子のはヌーブラでーす」


 勝手に人の胸のことを話題にされて、恥ずかしいやら腹立たしいやらで、顔が真っ赤になる。


「さて仕事の話や」


 突然、話の方向性がガラリと変わった。


 さっきまでセクハラ話をしていたというのに、急な転換に戸惑うことなく、エリカさんは自然と森さんの依頼を聞く態勢を取った。


「聞くわ。用件は何?」


「その前に、なっちゃんはおってもええのか?」


 森さんは私を指差し、尋ねる。


「平気よ。この子にも手伝ってもらうから」


「えっ――」


 どういう風の吹き回しだろう。私は目を丸くした。

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