第7話 さらなる被害者
ゴールデンウィークが明けて、久しぶりに登校した私のところへ、果穂が息を切らせて駆け寄ってきた。
「大変だよ、ナナ! 拳法部が、半年間の活動停止だって!」
椅子に座ろうとしている、中腰の姿勢のまま、私は硬直した。
「なんで……!?」
「サヤちゃんが、ラブホから出てきたところに、先生の誰かが出くわしたんだって」
周りに聞こえないよう果穂は耳打ちした。どうせみんなに知れ渡るのは時間の問題だけど、できるだけ伏せておくのに越したことはない。
ラブホに行っていたというサヤちゃん――遠野小夜は、拳法部の新部長だ。
四月の大会を境に、私から部長を引き継いだばかりで、おとなしいけど拳法の才能があり、やる気に溢れている後輩だった。
そんな彼女が、なぜ?
いやな予感がした。
「指導室で、いま、先生たちと話をしてるところみたい」
果穂に教えられて、私は教室を飛び出した。元部長として放っておけない。私だって安西先輩とラブホに行ったことがあるのだから、サヤちゃんのしたことが決して間違っているとは思えない。助けたかった。
でも、ドラマのようにはいかなかった。
生徒指導室の扉を開けて、中に入ると、涙をこぼしているサヤちゃんの顔が見えた。隣には顧問の先生がいたけど、周りを教頭や学年主任、生活指導の先生たちで囲まれていて、孤立無援の状態だ。
私が近寄ろうとすると、汗臭い生活指導の先生が、筋肉だらけの体で前を塞いできて、「勝手に入ってくるな!」と怒鳴ってきた。
あえなく弾き出された。
(なんで……サヤちゃんが……)
頭の中がグルグルと回り続けている。しかし答えは出そうにない。生徒指導室の前でなす術もなく立ちすくむ。
「これ、噂なんだけど」
廊下で待っていた果穂が、眉をひそめた表情で、言いにくそうに話し始めた。
「サヤちゃんとラブホ行ったのって、安西らしいよ」
「安西先輩、が、サヤちゃんと……!?」
まさか、と思いつつ、あの見境ない手の出しっぷりを考えると、ありえない話ではない。接点も十分にあった。次期部長候補として目をかけられていたサヤちゃんは、元部長の安西先輩に特別に指導を受けていた。もしかしたら、休みの日に自主練と称して、二人きりの時間を作っていたのかもしれない。私が安西先輩なら、そうやって騙す。
初めて会ったときに抱いた「王子」の印象は、間違いだったようだ。
最低最悪のナンパ男。顔の良さと、爽やかな物腰で、清廉なスポーツマンを装い、次々と女の子を毒牙にかける、悪魔のような男。それが、安西先輩の正体だった。
なんとか悪い結果にならないでほしい、と思っていたけど、避けようがなかった。拳法部の半年間活動停止はもちろんのこと、サヤちゃんまで二週間の自宅謹慎処分となってしまった。
その日の放課後、カラオケボックスにサヤちゃんを呼び出して、私と果穂で話を聞いた。
噂は事実だった。本当にサヤちゃんは安西先輩と付き合っていた。
さすがに私は自分のことは伏せておいた。傷心のサヤちゃんに追い討ちをかけることになってしまう。
「悪いのはあいつでしょ! 安西のこと訴えたら、淫行で勝てるよ!」
憤る果穂に対して、サヤちゃんはただ黙って目を伏せている。部活動以外では、よく図書館で本を読んでいるおとなしい子。不思議の国のアリスが好き、という乙女な趣味嗜好のある彼女は、誰かに対して激しい感情を見せたことがない。
「いいんです……私が、好きでやったことだから……」
やっと口を開いたかと思えば、か細い声で、そんなことを言い出した。
違う、安西先輩には、かばうほどの価値はない。他の女の子とも同じようにラブホに行ってる。真実を教えてあげたい。でも、言えない。
呻き声が聞こえる。隣で果穂が歯を食い縛り、ブルブルと震えている。すべて話したいのを我慢しているようだ。
「でも、そのせいで、ごめんなさい……私が変なことしたから、拳法部が……」
「大丈夫よ。年内には活動再開できるから、来年の大会には参加できる。だから、気に病まないで。サヤちゃんは、何も悪いことはしてない」
うつむいたまま肩を震わせているサヤちゃんの背中を、私は優しく撫でてあげた。嗚咽が漏れてきた。その辛そうな声に、こっちまで泣きたくなってきた。
私さえ勇気を出せば、安西先輩の行為を白日の下にさらすことができる。でも、そんなことをすれば、私の処分だけでは済まない。拳法部は廃部になるかもしれない。
(ひどい)
ここまで来て、ようやく激しい憎しみの感情が生まれてきた。
安西先輩は元拳法部の人間だ。それなのに拳法部をボロボロにするような行為を繰り返してる。あまりにもひどい裏切り行為だ。
被害に遭ったサヤちゃん本人は、自分が安西先輩にとって、何人もいる遊び相手の一人であるとは気が付いていない。高校生なのにラブホに行ったことが問題であり、安西先輩には罪がないと思っている。たとえばサヤちゃんに本当のことを教えて、彼女がその気になれば、安西先輩を淫行の罪で成敗することはできるかもしれない。けど、それはサヤちゃんにとってあまりにも酷なことだ。
真実を伏せたまま、安西先輩にだけ制裁を与える、そんな手段はないか。
(あのときの名刺――!)
バッグの中から手帳を取り出し、挟んである一枚の名刺を、果穂とサヤちゃんにはわからないようにこっそりと確認した。
片町にある夜のお店「ウィッチ・ガーデン」。そこで働く千秋さんの名刺。
誰にも相談できないこの問題、
(千秋さんなら聞いてくれるかもしれない!)
とりあえずLINEを送ったけれど、既読にはならない。もう出勤しているのだろう。お客さんの応対をしてたらメッセージのやり取りをする暇なんてなさそうだ。
(よし、直接会ってみよう)
早く千秋さんに話を聞いてもらいたい。返事は待っていられない。だから勇気を出して、一人でお店に行ってみることにした。
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