第8話 魔女の庭へ

 カラオケボックスを出たあと理由をつけて果穂たちと別れてから、名刺に書かれた住所のあたりまでやって来た。


 ちょうど私と千秋さんが初めて出会った駐輪場の近くだ。


 年季の入った雑居ビルの中に入り、エレベーターで四階まで上がる。フロアに足を踏み入れると、すぐ目の前に紫色の壁が現れた。よく見れば、それは壁ではなくて、自動ドアのようだ。英語で「WitchGarden」と書かれている。


 中に入るのを躊躇していると、紫色の自動ドアが開き、顔を赤くしたスーツ姿の中年男性が出てきた。黄色いナイトドレスを着た小柄な女性も奥から出てきて、手を振った。


「今日もあんやとぉ」


「おー! また今度なー!」


 上機嫌な様子の中年男性は威勢よく返事をして、手を振り返すと、楽しげな鼻歌とともに階段を下りていった。


「体入の子?」


 黄ドレスの女性に、声をかけられた。胸元を見ると、名札には「魅羅」と書かれている。これが彼女の源氏名なのだろう。


「たいにゅう……?」


「あれ、体験入店とちゃうの? お客さん……なわけないね。ここに用?」


「はい。えっと、千秋さんに、会いに」


 その名を出した途端、魅羅さんの目が妖しく光った。


「もしかしてスカウトされたん?」


「へ? いえ、あの、ただ私は」


「うん、なかなかええ体しとるね。よう体幹鍛えとる感じ。これなら……」


「わ、私はただ、相談事があって来ただけなんですけど!」


 勝手に妙な方向へと話を進められているので、慌てて否定した。ところが、魅羅さんはちゃんと理解していて、その上であえてボケをかましているようで、


「そんなんわかっとるよ。けど、ちーちゃんに直で相談来る子は、たいがいちーちゃんお気に入りの逸材やもん。ここの仕事のこと、教わっとるんやろ?」


「あ、はい。裏の仕事……ですよね」


「他のキャストはほとんどそのこと知らんから、迂闊に口に出さんといてね」


 片目でウィンクし、唇に人差し指を当てる。私よりも身長の低い魅羅さんがそんな仕草をすると、色気のある所作というよりは、どこかロリータじみた雰囲気があり、だけど、それがまた魅力的に見えた。


 店の中から男性の声が飛んできた。


「おい、いつまで入り口でくっちゃべってんだ。中に入れ」


「はーい。狂介くん。この子、ちーちゃんに用がある子」


 魅羅さんに手招きされて、自動ドアの向こうへと入る。そこでドキッとして、少しばかり足が止まった。


 銀髪オールバックの、いかにもヤンキー上がりな男性が、黒いスーツを着て立っている。生まれて初めて実物を見たキャバクラのボーイは、ボーイらしくない殺伐とした空気感をまとった、狼のような目をした男の人だった。


「あはは、怖かった? 大丈夫やよ。狂介くん、昔ほど尖ってへんから」


 その昔の姿を知らないから、比較ができないんですが。


 魅羅さんは、狂介さんに私を託すと、店の奥に去っていった。急に取り残されて、どうしたらいいのかとまごついていると、


「ボサッとしてんな。こっち来い」


 ドスのきいた乱暴な口調で声をかけ、狂介さんは手招きしてきた。キャバクラのボーイがこんな態度でいいのだろうか。もしかしてキャバクラというのはウソで、本当はとんでもないところじゃ……いまさら軽率な自分の行動を後悔し始めていた私は、通路を抜けてホールに出たところで、ホッと胸を撫で下ろした。


 よくテレビドラマで見る、典型的なキャバクラの光景だ。変な行為をしたり、されたりということもなく、みんな普通にお酒を飲んでいる。


 と、お客さんやキャバ嬢の視線が、一斉に私に集まってきた。


(ななななんで!?)


 四方八方からの注目に戸惑っていると、狂介さんが私の服を指差してきた。


「そりゃ目立つだろ。その格好でよくキャバに来ようと思ったな」


 指摘されて、自分がしでかした最高にアホな過ちにやっと気が付いた。


 私、制服のままだ。


「うわ、わわ、どうしよう」


「だら。次から着替えてこい」


 そう言って、狂介さんは店内の人々を順繰りに睨みつけた。みんな何かを察したのか、制服姿の女子高校生が来店したことなどなかったかのように、自然と目線を外して、また歓談へと戻った。


 これが夜の店か――と、初めて触れる大人の世界に胸が高鳴る。もっとルール無視の汚い世界かと思えば、全員が楽しい時間を過ごせるように、暗黙のうちに規律を守っている。いかにもワケありの人間がいても、見て見ぬ振りをする。


 なんかいいな、と感じた。


「おう、千秋。お前に客だぞ」


 一番奥の席に千秋さんはいた。三〇代くらいの眼鏡をかけたイケメンサラリーマンを相手に、朗らかに話をしている最中だった。


 私のほうを向いた千秋さんは、ふわりと柔らかい笑みを浮かべた。


「いらっしゃい、秋山さん。また会えて嬉しいわ」


 その笑顔を見た瞬間、私は確信した。


 この人なら、どんな難問でも解決してくれる、と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る