第4話 先輩との思い出

 思い返せば、そもそも拳法部に入ったきっかけは、安西先輩だった。


 高校に入学後、ふつうのスポーツとは違う部活に入りたいと思っていた私は、武道系の部活を片っ端から訪ねていた。


 空手部や柔道部に体験入部した。弓道部にも行ってみた。どれも新鮮で楽しかったけれど、あまりしっくり来ないな、と思っている中、最後に立ち寄ったのが、竜虎道拳法という武道の部活だった。


「失礼します」


 部室に入ると、道着を着た一人の男子が、部屋の真ん中で型の練習をしていた。


 王子――最初に彼の顔を見たときの、私の第一印象は、その一語に尽きた。


 背はスラリと高く、甘いマスクというよりは、男らしい目鼻立ち。真剣な表情に引きこまれそうで、額から汗が伝い落ちている、その滴ですら爽やかに見えた。


「見学?」


 途中で彼は型をやめて、私に声をかけてきた。


 それが、安西先輩だった。


 他に見学者も来ない中、私はマンツーマンで、先輩からレクチャーを受けた。まずは竜虎道拳法についての簡単な説明からだった。


「第二次世界大戦のときに、中国で工作任務に当たってた日本人・渡来天開が、戦後、現地で学んだ拳法の技術を日本へ持ち帰った。そこから独自に技を発展させたものが、竜虎道拳法なんだ。技の系統としては、中国よりは、日本の武術としての色合いが強いね」


 いまでこそ、私でも資料無しで説明できる内容だけど、そのときは何を話しているのか理解できていなかった。けど、どうでもよかった。私のために語ってくれている、先輩の横顔に、すっかり目を奪われていた。


 もちろんその日のうちに入部を決めた。


 同学年の部員は、すぐに増えた。


 最初に私の親友が入った。「すごく格好いい先輩がいるんだよ!」という私の誘いを受けて、興味を持って体験入部した末に、彼女は拳法の技そのものに惹かれて、本入部を決めたとのことだった。そのあたりは、私よりも、動機がしっかりしてる。


 続けて、まとまって五人ほど体験に来て、そのまま全員入部した。以降は他に入ってくる人はいなくて、私の世代は全部で七名となった。


「拳法の技は、突いたり蹴ったりする剛法と、投げたり極めたりする柔法の、二種類に分かれている。今日は柔法を教える。ちょっといいかな、秋山さん」


 入部してから三日後、安西先輩が、技の説明の相手役として私を指名したときは、胸の昂ぶりが抑えられなくて、つい目が泳いでしまった。


「俺の手首を掴んでみて」


 安西先輩に指示されるまま、手首を掴んでみた。たくましい腕にドギマギしながら、何が起きるのかと緊張していると――突然、先輩の手首を掴んでいる、私の手が、パンッと弾き飛ばされた。びっくりして後ろへ下がったところへ、顔面に、拳が飛んできた。


「ひゃっ!」


 変な声を出して、つい目をつむってしまった。


「ちゃんと見てないと危ないぞ」


 ポン、と優しく頭を叩かれた。恐る恐る目を開けると、先輩の拳は途中で止まっている。ちゃんと当たらないように配慮してくれていた。そうとも知らずに怯えていた自分が恥ずかしくて、顔が真っ赤になった。


「いまの技は、手首を掴まれたときの抜き技だよ。基本中の基本だから、しっかり憶える様にね」


「は、はい」


 先輩の指導は思いやりに溢れてて、わかりやすかった。私の技術が拙くても、辛抱強く、どうすれば改善できるかを教えてくれた。


 初めて会ったときから抱いていた想いは、時間とともに、どんどん強くなっていった。


 翌年春の県大会が終わり、残念ながら全国大会への切符を逃した先輩に、私は励ましの言葉を送り、その勢いで告白した。始めは戸惑っていた先輩だけど、最終的に、私の想いを受け止めてくれた。


 先輩のカノジョになれて、天にも昇る心地だった。次の部長を任されたこともあって、自信に満ちあふれていた私は、体も軽やかになり、拳法の技もどんどん上達していった。二年生の冬には黒帯も取った。


 でも、実のところ、不安に押し潰されそうなのを、拳法に打ちこむことでごまかしていただけだった。


 安西先輩は私に手を出すことはなかった。手を握ることはあっても、キスすらしたことがない。「いまは拳法部のことがあるだろうから」と、こちらのことを気遣っているような言葉に、私は無邪気に(優しい人だ)と信じるように努めていた。


 その一方で、(私は先輩のカノジョだから大丈夫)と自らに言い聞かせ続けていた。ひょっとしたら……という考えは、無理やり心の中で封じこめていた。


 結果、ものの見事に裏切られたのである。

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