第3話 七瀬と千秋

 さっき一人カラオケをしたのとは、違うカラオケボックスに連れていかれた。学生には高くて使えないような、豪奢な内装の、オシャレで高級感のあるお店だ。


 部屋の中に入り、注文した飲み物が出されたところで、黒い魔女は笑顔を向けてきた。ここまで強制的に私を引っ張ってきた、その行動とは裏腹な態度が、余計に怖い。


「私は千秋。源氏名だけど、そう呼んで。あなたは?」


「秋山……七瀬……です」


「もしかして、秋に山、って書くの?」


 私がうなずくと、千秋さんはポンッと手を叩いて、喜色を顔いっぱいに浮かべた。


「わあ偶然! 私の名前と字がかぶってるなんて、運命感じるね」


 運命と言われると、なぜかドキドキする。照れくさくなり、つい顔を綻ばせたけど、相手が普通の女性ではないことを思い出し、気を引き締め直した。油断はできない。


「あの、千秋さんって、仕事は……」


「片町のキャバクラ。それが表の仕事」


 やっぱり。道理で人を惹きつけるのが上手だ。


 そこで、いまの千秋さんの発言に、おかしなものを感じた。


 キャバクラが、「表の仕事」?


 別に偏見ではないけど、キャバクラはふつう「裏の仕事」じゃないだろうか。それを本業にしてる人がいるにしても、「表の仕事」なんて言い方はしないと思う。


「キャバ以外に、裏の仕事があるんですか?」


「理解が早くて助かるわ。さっきみたいなトラブル、ああいうことを解決するのが、私の裏の仕事。何でも屋みたいなものね」


「じゃあ、助けた人からお金をもらってたのは」


「報酬」


「でも、通りがかりにたまたま助けた人が、よく、お金を出払ってくれましたね」


「あ、それ、勘違い」


 クスクスと千秋さんは笑いながら、手を振った。


「たまたま通りがかったんじゃないの。最初から、彼女に依頼を受けて、近くで待機してたの。危ないときには飛び出して、助けられるように。そうやって隠れてたら、いきなり秋山さんが乱入してきた、ってわけ」


「うそ。ひょっとして、私、余計なことして……!?」


「全然大丈夫よ。あなたが注意を引きつけてくれたおかげで、やりやすかったから。ところで、何か武道でもやってるの? 素人の動きじゃなかったわ」


「高校で拳法部に入ってるんです」


「ふうん。それで、か」


 何を思っているのか、唇に指を当てて、千秋さんは考え事を始めた。そのコケティッシュな仕草がよく似合っている。


 しばらく静かな時間が続いた。


「あの……警察のほうは行かなくて大丈夫だったんですか?」


 沈黙に耐えられず、こちらから口を開いた。


「平気。むしろ、襲われていた子から、表沙汰にしないでほしいって頼まれてたの。夜の世界のことだもの、誰にも言えない厄介事はよくあることよ」


「そういう、警察には言えないようなトラブルを解決するのが、千秋さんの仕事……?」


「興味ある?」


 急に、瞳を輝かせて、千秋さんは私の目を覗き込んできた。


「ちょうど一人引退して、欠員が出てるの」


「欠員? えっと、千秋さんだけじゃなくって、他にもメンバーがいるんですか?」


「うん。だから私たちは『ウィッチ・パーティ』と名乗ってる」


 そこでサイドバッグから、千秋さんは名刺を出してきた。「ウィッチ・ガーデン」と書かれている。住所は片町。彼女が勤めているお店のようだ。


「ナナちゃん、歳は?」


「一七歳……です」


「えっ、まだ高校生!? 二年生?」


「三年です。誕生日が九月だから――」


「ダメ。個人情報は、自分から話さない。話しても、本当のことは言わない」


 指摘されて、ハッとなり、私は自分の口を手で押さえた。千秋さんの気さくさに流されて、つい無防備になっていた。


「そっかあ。そうしたらうちの店に来るのは、卒業してからになるね」


「あ、あの、私は別に興味は」


 いまさらながら首を横に振る。


「裏の仕事までやる必要はないわ。本来の業務でも、キャストが足りないの。新幹線ができてから、駅の近くに新店舗がどんどん開店して、女の子たちがそっちに移籍しちゃってるし……卒業後は、就職するの?」


「そのつもりですけど、最近拳法部を引退したばかりだから、まだ就活は」


「進路は決めた?」


「いえ、まだ。自分の特技なんて、拳法くらいですし」


「もし勤め先が見つからなかったら、いつでも相談して。ナナちゃんみたいな可愛い子なら、私はいつでも大歓迎だから」


 可愛い子。


 そんな風に言われたのは初めてだ。


 周りからは、「地味だけど真面目でいい子」という評価をされるけど、キレイとか、可愛いとか、そういう褒め言葉をもらったことはない。千秋さんは、私の何を見て、可愛いと思ったのだろう。


 リップサービスではないと思う。とても自然に、千秋さんは誉めてくれた。だからこそ余計に不思議だった。


「LINEとかやってる?」


「ええ。使ってます」


「じゃあ、連絡先交換しましょ。いつでもメッセージ送ってくれていいから」


 お互いのIDを検索して、登録を進める。スマホで作業をしながら、ぽつりと、千秋さんはつぶやいた。


「今日見たことは内緒にしてね」


 何気ないひと言。その静かな言い方が、逆に不気味で、背筋が寒くなった。住所や電話番号までは教えていないけれど、この人は、もしも私が「ウィッチ・パーティ」の秘密をバラしたら、きっと制裁を加えにやって来る。そう確信を抱かせるだけの凄味が、わずかな言葉の中に込められていた。


「ところで、こんな遅い時間に、何やってたの?」


 カラオケボックスを出たところで、思い出したように千秋さんは聞いてきた。


 私は、失恋のショックをごまかすため、歌いに来たのだと説明した。カレシに二股をかけられていたとか、そういう細かい事情は一切省略した。


 聞き終わった千秋さんは、優しく目を細めた。


「つらくなったら連絡ちょうだい。誰かに話したほうが、気持ちは楽になるから」


 親友に愚痴でも聞いてもらおうかと考えていたけど、いっそ、千秋さんに洗いざらいぶちまけるのも悪くないかもしれない、と思えてきた。


 やっている仕事はよくわからないし、怖いところもあるけど、この人なら、親友とはまた違う形で癒やしてくれそうな気がする。


「じゃあ、またね。今度おいしいご飯でも食べに行きましょ」


 光輝く夜の片町を、千秋さんは歩き去っていく。その後ろ姿は、颯爽としていて、格好いい。


 あんな素敵な女性になれたら人生楽しいだろうな、と私はため息をついた。


 初めて出会ったときから――私は、千秋さんに強く惹かれていた。

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