第4話 砂漠の町のポワゾン・ロゼ(4)
ファリスは少し距離を置いて二人を追った。店の裏手に出ると、背広の男が拳銃を構えているのが目に入る。とっさのことに建物の陰に身を隠す。
背広の男の銃口に正対するアイネス。アイネスの右手にもどこから持ち出したのか、黒光りする銃が握られていた。そしてそれは男の眉間にぴたりと照準が合っている。
「せっかくお会いできたんだ。大人しく銃を捨てて同行頂けないかね」
低くゆったりとした声で背広の男がアイネスに語り掛けた。銃をお互いに突き付け合っているようには見えない冷静な口調だ。ファリスは視覚と聴覚のテンションの違いに、脳が情報処理に追いつかない。
一体これはどういう状況なんだ?
なぜアイネスが拳銃なんかを持ってるんだ?
「聞いてもいいかしら? 誰に言われて、こんな砂漠の田舎町まで私を追って来たの?」
アイネスは背広の男に負けず劣らず落ち着いた声で反問する。もちろん銃口はぴったりと背広の男の眉間を狙っている。
「質問に質問で返すのはビジネスマナーに反するな。そう習わなかったのなら、君のボスはマネージャーとして失格だ」
背広の男が不敵なセリフを吐き終わって指先に力を込めるのが、ファリスからも見えた。
ファリスはとっさに目をつぶる。
鋭い銃声が轟いた。
しかし、その響きは背広の男からでも、アイネスからでもなかった。少し遠くからの銃声だった。
キーンと澄んだ金属音の残響に目を開くと、正確に背広の男の手首の先にあった銃だけが弾き飛んでいる。アイネスも引き金を引く一瞬前に鳴った銃声に、銃を構えたままで不審そうに気配を探った。
「そこまでにしておくんだ。二人まとめて逮捕できれば、それが俺にとっちゃベストな展開だ」
ゆらりとライフルを構えた男が建物の影から現れる。昼に警官と名乗った例の男だった。男の拳銃の照準は背広の男に向いている。背広の男が拳銃を飛ばされた指先を押さえて反論した。
「アポなしで来るとは、ポリスはビジネスマナーも守れないのかね」
「お前にビジネスマナーを教えてもらう筋合いはないね。俺はビジネスとは無縁の連邦捜査局のアーカ捜査官だ。
あの目つきの悪いハゲかけのおっさん、本当にポリスだったんだ! ファリスは驚いたが、今はそこは突っ込みどころでないことは自分でも分かっていた。
背広の男は殺し屋集団の一人。捜査官に追われている。それは分かった。しかし、その殺し屋集団に狙われているアイネス、彼女は何者なんだ?
「申し訳ないが、私はどちらも遠慮する」
背広の男はそういうと内ポケットからビー玉のようなものを捜査官に向かって投げつけた。捜査官の足元の地面に当たるとボンと大きな音を立てる。途端に激しい閃光と砂埃が周囲を包んだ。
数秒後、砂埃が落ち着いた時にはもう背広の男の姿は見えなくなっていた。
「まあ、そう簡単に捕まる御仁じゃねーだろうとは思っていたが」
捜査官はそうつぶやいてライフルを降ろした。特に悔しそうにもしていない。殺すと言ったのはどうやら捜査官のハッタリのようだ。
「あのまま隠れていてくれてもよかったのに。殺すだけなら私にもできたのよ」
アイネスも銃を降ろしている。
「冗談じゃない。あんたを現行犯殺人で捕まえなきゃいけなくなるだろうが」
「私を捕まえるのが目的なんでしょ? 罪名が一つ二つ増えても、関係ないんじゃない?」
この二人は知り合いなのか? いつのまにかファリスはへたりこんだまま二人のやり取りをぼうっと聞いている。
「そういう訳には行かないな。俺のタスクはあんたを連れ戻すことだ。罪人として捕まえることじゃない」
そういうと捜査官はアイネスに背を向けた。
「俺が見ていないうちに、すぐにこの町を去るんだな。でないと俺があんたを身分証偽造、同行使の罪で逮捕しなきゃならなくなる」
捜査官の声が、ゆっくりと夕陽に向かって歩みを進める背中に取り残されていく。
砂漠の町の夕陽は大きくて赤い。町の建物も、呆然と座り込むファリスの背中も朱色に染まっている。
◇
アイネスは翌日からファリスの店に顔を出さなくなった。
閉店間際のレストラン、酔っぱらった最後の客がろれつの怪しい口調でファリスに絡む。
「最近あのきれいなおねーちゃんのピアノがねーのが気に入らねーな」
「すみません。アイネスはうちを辞めてゼベスシティに行っちゃいました。お客さん、35ペチカです」
酔っ払いは50ペチカ紙幣をぽんとおいてそのままレジを通り過ぎていった。
「釣りはいらねーよ。坊主ともう一人のお嬢ちゃんで取っておきな。それよりもあのきれいなおねーちゃん、ゼベスシティのどこに行けば会えるのか、今度教えてくれよな。じゃあな」
「ありがとうございました。お気をつけて」
最後の客を見送るファリスの表情は複雑だ。ファリスだってアイネスの行き先を知りたい。本当にゼベスシティに行ったのか、それすらはっきりしない。あまりにも問い合わせが多いので、お客さんにはそう伝えるようにしているのだ。
酔っ払いが陽気な鼻歌とともに店を出ていった後、ルクシアはなぜか上機嫌でファリスに話しかけてきた。
「ま、ファリス、元気出しなよ。あんたみたいなガキんちょ、アイネスさんに相手してもらえなくて当然よ。アイネスさんもこんな田舎町、すぐにでも出ていきたかったんじゃない?」
そういう問題じゃない、とファリスは思う。
あの人は
僕の知らない世界を生きてきて、想像もつかない場所へと向かっている人なんだ、と。
アイネスが目指している場所は決して安寧の地ではない。それは先日の捜査官や背広の男とのやり取りで、痛いほどよく分かっていた。
「ま、しょうがないから私が付き合ってあげるわ。あ、ま、間違えないでよね。付き合うって、そういう意味じゃないから。相手してあげるってぐらいの意味。でも、私の着替えを見ようとしてロッカー室とか覗いたらダメよ! アイネスさんほど見せられるものは、まだないから。あ、いや、見せられるほどになるかは約束できないけど。もう、聞いてるの?」
一人でまくし立てては顔を赤らめたり妙に騒がしいルクシアを尻目に、ファリスは生返事するのみだった。
「それに、私だって、すぐに落ち着いた大人のレディになってやるんだから。次、会った時に絶対にルクシアちゃん素敵になったわね、って言ったもらうんだから」
支離滅裂に力説するルクシアを見ながらファリスは思った。
素敵になった、と言われるようになる。それは正しい。自分もそうなりたいと思うし、そういう生き方をしていきたい、と思う。
でも、僕たちがアイネスと出会って話す時間は、この先の人生で、多分もう二度とない。
「ルー、わかったから、片づけようぜ。家まで送っていくから」
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