第3話 砂漠の町のポワゾン・ロゼ(3)

 警官と名乗る怪しい男が去った後、夕方になってアイネスが店に出勤してきた。

 ランチには遅くディナーには早すぎるこの時間、少しよどんだ空気が客が数人にしかいない店内に漂っている。カウンターで氷を砕いていたファリスは、アイスピックをほっぽり出した。ロッカーに向かうアイネスの背後から小さく声をかける。


「アイネス!」

「どうしたのかしら? そんなに慌てて。お客さん多くて忙しかったの?」

「違うんだ。なんかアイネスを訪ねて目つきの悪いハゲの男が来たんだよ」


 その瞬間、アイネスの視線が氷の刃のように鋭く光ったのをファリスは見逃さなかった。アイネスは一瞬で普段どおりの柔らかい表情に戻って、いつもと変わらない様子でファリスに語りかける。


「そうなの? ふふ、熱心なファンかしら。でも残念ながら心当たりないわ。いろんな町で働いていると、たまにそういう変なのが来ることがあるのよ」


 落ち着いた口調とは裏腹に、アイネスはそそくさとロッカーへと消えて行く。スィングドアの手前でファリスは思案を巡らせた。気にするなとアイネスは言ってたけど、あの男の醸し出す雰囲気はどこか危険な緊迫感があった。しかしそれが一体なんなのか。ファリスにはまるで見当もつかない。それに、今のアイネスは予期していたものがついに現れた、という様相に見えなくもない。


「こら、アイネスさんの着替えを覗くとか、なにやってんの! この変態ヤロー!」


 背後から今度は出勤してきたルクシアの非難の声が飛んでくる。ロッカーの前のスイングドアから中をちらちら伺っていたら、覗きと間違われても仕方がない。しまった、とファリスは慌ててスィングドアに背を向けた。腰に手を当てて睨んでいるルクシアに正対すると全力で弁解する。


「い、いや。違うんだ。そうじゃないんだよ、ルー」

「何が違うのよ。今、すごい一生懸命中を覗いていたじゃない」

「だから覗いてたんじゃないって。それよりさ、ルー、外に見かけない男いなかったか?」

「別にいなかったよ。あ、ファリスお客さんみたいだよ。行ってきて。私、着替えてくるから」


 ばたばたとスィングドアの内側に駆けていったルクシアを目で追いながら店の入り口を見ると、背広にネクタイの壮年の男が所在なさげにこちらを見ている。


「あ、すみません。今、ご案内します」


 ファリスは客をテーブルに手招きしながら思いを巡らす。

 クェーサー・スプリングスに旅行客なんか滅多に来ない。それが今日だけで見知らぬ客が二人も。何か変だな。

 しかしそんなファリスの疑念はパリッとしたビジネススーツを着込んだ客の前では霧散した。目の前のお客さんは丁重に扱え、とマスターからは口を酸っぱくして言われている。それにこの人は身なりがしっかりしている。


 ◇


「コーヒーをもらえるかね。それと、何か軽く食べられるものがあれば」

「すみません。今はマスターがいないんです。サンドイッチとかパスタならすぐにできますが」


 壮年の男は席に腰掛けると都会的な仕草でメニューを見て「じゃあクラブハウスサンドをもらおうかな」と低い声を響かせる。上着を脱いで椅子にかけ、深く座りなおしてテーブルに両肘をついた。仕草の一つ一つがテレビの俳優のようにサマになっている。


 そんなことを考えているうちに、羨望まじりの興味を抑えきれなくなったファリスは、尋ねずにはいられなかった。


「お客さん、ご旅行ですか?」

「まあ、仕事で移動中といったところだ。それがどうかしたかい?」


 最低でも半日は走らないと町らしい町はないこのあたりを、仕事で車で移動しているんだ。しかもきっちりスーツを着込んでいる。この人は相当お堅い仕事なんだろう。ひょっとしたらお役人さんかな、それとも弁護士さんとか。カッコいいよなあ。ファリスの興味は加速しいく。


「あ、すみません。立ち入ったことを聞くつもりはなかったんですが。このあたり田舎で国道インターステートからも外れているから、ほとんど旅行中の人とか来ないんです。珍しいなと思って」

「ほう、そうなのか」

「そうよ。ここは平和な田舎町。あまり引っ掻き回してほしくないのが本当のところなんだけど」


 背後から声をかけられて驚いて振り向くと、アイネスが挑発的な視線で背広の男を見下ろしていた。


「私にご用のようね。とりあえず店の外でお話ししないかしら、ミスター?」

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