第16話 初恋


 

 1887年名古屋→岐阜間鉄道開通。

 1890年代の事だ。鉄道も開通し憧れの愛知県にも、以前に比べて簡単に行けるようになった。

 16歳に成長したエリは現在女学校の4年生。わざわざ名古屋の女学校に通っていた。それは何と言っても、東海3県の雄で大都会名古屋に憧れての事だが、また教育水準も高く優秀校も多かった。成績優秀だったエリは愛知県にある有名女学校に通い出した。


 憧れの女学校生活は夢のような生活だった。あんな片田舎の山村から見れば全てが都会的で夢うつつ。


 自分は田舎者と卑下しているが、他人はエリに釘付け。それはあの当時で身長も日本女性の頭一つ高く、小顔で彫りの深い西洋人形の様な娘さん。名古屋の街を歩けばエリは注目の的だ。

 

 男性の熱い視線を感じながらも時代は、そう簡単に男と女が付き合う機械などなかった時代だ。


 エリは地主の両親を助ける為に経理の勉強をしたくて、わざわざこの女学校を選んだ。

 そして…何よりもの楽しみが、名古屋市鶴舞にある図書館で時折歴史書を読み漁る事だった。


「あの……ハンカチが……」

 そう言って声を掛けて来たのは若い軍人さんだった。こんなに軍服が似合う人など見た事が無かったので、ボ-ッと見惚れてしまったエリ。


「あっ……ありがとうございます」

 その言葉を発するだけで精一杯のエリ。エリは一瞬で恋に落ちてしまった。するとその軍人さんが、エリが緊張して居るにも拘らず、ましてや初対面にも拘らず、有り得ない嬉しい言葉を吐いた。


「横の席に座っても良いでしょうか?」


 エリは今まで巡り合った事も無いほどの素敵な男性が、自分のすぐ横に座ってくれた事で、胸がドキドキして緊張で胸が破裂しそうだ。


 かなりの高身長で知的な雰囲気を醸し出したその男性は、幼い頃の優しい父に何処となく似ていると思った。チョット取っ付きにくそうではあるが、苦み走ったクールな印象の軍人さんだった。


 エリはあれ以来、女学校の帰りによくその図書館に通った。その理由は、確かに歴史書にも興味はあったが、今はあの軍人さんに再び巡り合いたいその一心だった。



     ◇◇


 1873年には政府が、政府に都合の良い「地租改正」を実施した。


 土地の価格は、政府が、税収が減らないように、その地価を高く設定し地価を定め、毎年地主に地価の3%を、米ではなく現金で納付させた。しかし、地価の3%は高額であり、豊作・凶作に関わらず払わねばならなかったため、貧しい地主は富裕者に土地を売り、小作人となるしかなかった。


 4年前エリは芸者置屋から逃げて逃げて逃げてこんな農村に辿り着いた。そして…子供達に見付かり、どうなる事か不安で仕方なかったエリだったが、運が良い事に小規模地主に気に入られて、しばらく住まわせて貰える事となった。だが、いつの間にかエリと別れられなくなった田村夫婦はエリを養女として向かい入れた。


     ◇◇ 

 

 成長したエリは「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」を地で行く目を見張る美人に成長した。


「健太……健太じゃないの。最近見掛けないので、どうしたものかと思っていたのよ?」


「少し名古屋に出稼ぎに出掛けておりました。電車の線路工事の仕事でして……へへへ!エリお嬢様今日はどこへお出掛けですか?」


「チョット名古屋でお買い物でもして来ようと思って……」 

 

 エリはこれだけの器量良しで地主のお嬢様だというのに、全く気負いのない気さくな性格なので、小作人たちから慕われていた。


 12歳で置屋から逃げ出して来たエリだったが、こんな山村だった事も有り、また田村の両親に全てを打ち明けていた事も有り、芸者置屋の追っ手からもエリを守り通してくれたお陰で、無事この多治見の農村で月日は流れて行った。


 あの時はしばらく預かるつもりだったのだが、余りに人懐こい、また何とも器量良しだった事も有り、田村夫婦は早い段階で養女にするつもりでいた。こうして…エリは農家でも取り分け恵まれた小規模地主田村家に養子縁組されて、この田村家の1人娘となって大切に育てられていた。


 だが、良い事ばかりではない。幾ら地主と言えども凶作の年には税金が納められなくて苦労した。豊作、凶作に関係なく土地の3%の税金を納めなくてはならなかったからだ。

 ※「地租改正」:全国の土地に値段をつけ、その3%の額の税金を豊作・不作に関係なく現金で納める事。


「地租改正」により総合的に大幅増税になるが、一体どういう事?

 

 実は、土地の価格は、政府が、国の税収が減らないように、その地価を高く設定した。だから地租改正でたった地価の3%の税金と言っても、農民の負担は、江戸時代とあまり変わらなかった。


 

 それではどうして政府は、お米で税を納めさせる方法をやめて、お金で納めさせるようにしたのか?


 江戸時代は、土地の収穫高に応じて4~5割の年貢米を納めさせていたが、凶作の時は収穫がガタッと減るが、それでも…その減った収穫の4~5割の年貢米を納めさせていた。これでは誠に不安定だ。


 そこで、全国の土地に高額な値段をつけ、その3%の額の土地税を豊作・不作に関係なく現金で納めさせた。


 なんとも政府にとって都合の良い法律だ。明治国家初期の収入の約7割が、地租(土地の税金)現金収入だった。

こうして…貧乏地主は二進も三進もいかなくなり土地を手放し小作農家になるしかなかった。


 また小作人は、国に土地税を納めてはいなかったものの、土地を借りている地主に対して米を納めていたが、その小作料はとても高く、小作人の生活は相変わらず非常に苦しいものだった。



 更には、それまで無条件に使えていた周辺の林野が県庁の所有となり、使用禁止となった。


 江戸時代から盛んに植えられるようになった日本の国有種「杉の木」は、古くから建築材料として使われて来た。


 家の修繕や日曜大工などである。更には山林にはみかんや桃の苗を植えたり、じゃがいもやトマト、スイカ、とうもろこしなど、様々な作物を栽培することが出来た。


 それまで無条件に使えていた周辺の林野が県庁の所有となり使用禁止となった事で、それまであった副収入も完全に断たれた事で、農民の収入は激減しそれに怒っての地租改正反対一揆が起こった。


 ※地租改正反対一揆:1873年(明治6年)7月より明治政府が推し進めた地租改正に反対する農民一揆。


     ◇◇


 美しく成長したエリは村人から羨望の眼差しで見られていた。地主の中でも特に下級地主だったので、決して豊かではないが、それでも…小作人たちからすれば、手の届かない地主さん。


 やっと娘を持つことが出来た田村家の両親は、それはそれは大切にエリを蝶よ花よと手塩にかけて育てた。


 だが、田村家は「地租改正」の煽りを受けて、高額税金が払えなくなり、土地を……もう少し……また少し……と売りさばき二進も三進もいかなくなり小作農家になるしかなくなった。


 以前から土地を買い取ってくれていた近藤家だったが、そんな時に大地主近藤家の長男清が土地の売買の件で田村家を訪れた。


 その時に応対に応じたのがエリだった。「ミイラ取りがミイラになる」とはこの事で(説得しに行ったのに、逆に説得されてしまう)余りにも美しいエリを見て一瞬で恋に落ちてしまった清。こうして…清の猛烈なアプロ-チが始まった。


「あの~?もし……エリさんを近藤家に向かい入れることが出来ました折には、滞納分の税金はこちら側で何とか……片を付けます。どうか……どうか……エリさんを僕の妻として許可して頂けますか?」


「誠に有り難い縁談話では御座いますが、エリが何と申しますか……」


     ◇◇


 田村夫婦にすれば滞納分の税金を払って貰えば、土地を売らなくて済むのでこの縁談話には乗り気だ。早速エリに縁談の話をした。


「エリ、お前さん……あの大地主の近藤家の御長男さんが、是非ともエリを近藤家の妻として迎え入れたいとお望みなのだよ。エリはどうだい?」


「……あの……でも……私この家の跡継ぎでしょう。てっきり婿養子を取ってお父様やお母様と仲良く暮らしていけると思っていたのよ」


「……それが……あの……それが……エリも分っていると思うけど……税金が払えなくて……四苦八苦している事は知っているわよね?近藤さんが……滞納分の税金も全部払って下さるとおっしゃっているのよ。まあ……別に……私たち夫婦が小作人として生きて行けば済む事だから……エリがイヤなら無理しないでね……」


「……あの~?お父様お母様、私近藤家にお嫁に行きます。お父様とお母様を、まるで奴隷のような酷い境遇に落としたくありません。大丈夫よ。近藤家に嫁いでも名古屋と岐阜だから度々帰って来るから……」


 でも……エリの気持ちは晴れない。

 もう図書館で会う軍人さんとも会えなくなる……。









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