第15話 エリの育ての親?


 1854年に結ばれた日米和親条約によって、日本はついに開国することになったが、更には日本との貿易を望むアメリカの強い要望で、アメリカは総領事ハリス を派遣した。


 そして…ハリスとの交渉には、大老 井伊直弼 がのぞんだ。


 開国後に「日米和親条約」「日米修好通商条約」が締結されたが、どれ一つとして日本に有利な条約は無かった。


 それでは日本は何故、そんなに弱腰になる必要が有ったのか?


 条約を結んだ井伊直弼は散々批判されたが、日本と比べ物にならない革新的な技術力の差に、到底勝ち目はないと踏んで、アメリカとの戦争を避けるため、やむを得ず不平等な内容の条約を結んだ。


     ◇◇


 慶応2年(1866年)「豚屋火事」で横浜開港場は大火に見舞われた。この火事で400人以上もの遊女たちが港崎遊郭から逃げ遅れ焼死した。 

 

 美少女エリの母は港崎遊郭の火事で命辛々逃げ切り、何度かの火事の後、横浜石崎から神奈川の青木町まで埋め立てた土地に、建設された高島町遊廓に移りエリが誕生した。

 

 だが、母が病で死亡したので、、エリは簡素な孤児院「愛好園」で生活をする事となった。

 

 それでも…そんな時代に孤児院は有ったのか?


 実は…孤児院の歴史は誠に古い。

 593年に聖徳太子が貧しい孤児を救うために悲田院を作ったのが、最初だと言われている。 

 そして戦後もっとも有名な混血児受け入れ施設として「エリザベスサンダ-ホーム」がある

 

  

母が亡くなってからというもの、美少女エリは時折やって来る優しいおじさんから、あの頃では珍しい舶来品の美味しいチョコレートやクッキーを時々貰っていた。だから……そのおじちゃんがやって来るのが待ち遠しくて仕方なかった。

 

 そんな優しかったおじちゃんだったが、母国アメリカに帰国してしまい音沙汰なし。それがエリの父親だった。


 混血児の父親は任務完了と同時に母国に帰国して、大概の父親が音信不通となってしまい、孤児になってしまった混血児は、お荷物以外の何物でもなかった。それはエリとて同じだった。


      ◇◇


 エリは幼くして残酷な最期を迎えた友達をイヤという程見て来た。それでも…エリだけは悲惨な最期を免れていた。


 それは、エリは誰が見ても息を吞むほどの美少女だったからだ。こうして…お金になると踏んだ大人たちによって祇園の置屋に売られた。


 舞子として修業中だったが、どう見ても12歳に見えない小柄のエリは、ひいきのお客から芸子さんになる為の一切合切を出すからと「水揚げ」の話が持ち上がった。「水揚げ」という事は、この恩に対して大切な物(操)を差し上げるという意味もあった。


 本来であれば女将としても、これだけの器量良し、立派に芸者として独り立ちさせたかったが、かなりの上客だった為に断ることが出来なかった。

 

 だが、そのお客は根っからのロリコンだった。小さくて一際目立つ美少女エリにビビッ!と来た。こうして…恩に対して大切な物(操)を差し上げる初夜がやって来たが、鮮血が酷く死ぬ思いをした。


 お金は湯水の如く使ってくれるが、その見返りは酷いものだった。耐え難い悪趣味の持ち主で、どうしても耐えられなくなってしまった。こうして逃げて逃げて逃げたエリだった。


     ◇◇

 

 こんな時代の狭間の中で、混血児の美少女エリは芸者置屋から懸命に逃げて逃げて逃げて、岐阜県多治見市に辿り着いた。それこそ荷物の中、例えばこおりの様な木で出来た箱に隠れたりして馬車、牛車、荷車、更にはこの頃には鉄道が開通していた。そして…乗り継ぎ付いた場所が岐阜県の農村だった。


 この美少女エリ12歳の出現によって恐ろしい事件が繰り広げられる。

 それは当然、こんな岐阜県の農村に……ましてやこんな美少女など存在する筈もなく、大地主近藤家の目に止まる事となる。


     ◇◇ 


 時代は変革期を迎えていた


 1873年(明治6年)、明治政府は安定した国家収入を得るため、土地の「売買」の自由を拡大し土地の所持を認めた。更に「地租改正」を行い、全国の土地に値段をつけ、その3%の額の税金を豊作・不作に関係なく現金で納めさせた。


 ※「地租改正」:全国の土地に値段をつけ、その3%の額の税金を豊作・不作に関係なく現金で納める事。


 

 では明治初期の日本経済はどのようなものだったのか?


 実は日本は明治初期の頃にはすでに貿易大国であった。それは日本の強い輸出力。当時の日本には関税自主権がなく、関税によって高い輸入品を買わざるを得なかったが、それにも関わらず輸入品に負けない優れた輸出品となる製品を増やしていった。


 それは「生糸」だった。実は江戸時代からすでに日本は生糸大国であり、すでに能力的には欧米に大量に輸出する生産力も技術力も持っていた。


 こうした技術力をベースに、日本は開国以降、富国強兵「資本主義(個人が自由に資本を持ち、商売できる)を発展させ国を豊かにする」へと向かった。


 当時、欧米以外の国で自力で鉄道を建設したのは日本が最初だ。


 同時代には、例えば中国やオスマン・トルコで鉄道が建設されていたが、インフラ整備や鉄道建設のそれは自国ではなく外国企業によって作られたもので、土地の借地権や鉄道運営も外国企業が行なっていた。


 明治政府は鉄道の重要性については認めていたものの、最大の難関は資金調達だった。当時、戊辰戦争(1868-1869年)の戦費によって明治政府は財政困難に陥っていた。


 ※戊辰戦争が起こった原因:大政奉還(たいせいほうかん)の後に権力を奪われた旧幕府軍(徳川慶喜・とくがわよしのぶ)の、新政府(天皇)に対する反発から起こった。


 ※「大政奉還」とは?

 ●旧幕府軍(徳川慶喜)から新政府軍(天皇)に政権をお返し致します。


 反発した旧幕府軍が京都近くの鳥羽・伏見で新政府軍(天皇)と武力衝突して,戊辰戦争が始まった。


 戊辰戦争で財政困難に陥っていたが、上手に話しを取り付け、英国へ資金調達の打診をして、なんとか鉄道建設資金を集めることに成功。こうして資金調達が実現し、明治5年に鉄道が開通した。

 

 明治政府は莫大な借金を抱えて鉄道建設したが、鉄道の開通によって、これまでにない経済効果を生み出し経済の大動脈が形成された。


     ◇◇

 江戸時代は将軍が大名に領地を与え、大名は領地内の領民に土地を使用させる”公的所有権”という土地制度だったが、明治になると土地所有権は個人 “私的所有権” という土地制度に変わった。 


 1873年(明治6年)、明治政府は安定した国家収入を得るため、土地の「売買」の自由を拡大し土地の所持を認めた。

 

 こうして…悪徳大地主がはびこる事となった。


      ◇◇


 1888年エリは逃げて逃げて逃げて岐阜県の農村のお寺の境内に隠れていた。するとその時村の少年たちがこの境内を通り掛かった。


”ガサゴソ” ”ガサゴソ”


「オイ!今何か音がしたな?」


「一体どこから聞こえたのかな~?」


「皆何か……怪しい?タヌキでも出たのかな~?探してみよう」


 一人の少年がふっとお寺の床下を覗き込んだ。すると汚い泥だらけの少女を発見。

「オイ!みんなどうする。この娘?」


「おいらの隣のおいちゃんおばちゃんは子供がいないから……ひょっとしたら面倒見てくれるかも知れない?」


「ようし、そこに連れて行こうぜ!」

 

”トントントン”


「おいちゃん開けておくれ!」


”ガラガラガラ”


「どうしたんだい?」


「あのさ……あのさ……チョットこっちにおいで」

 少年たちの後ろに隠れていたエリはひょこりと顏を出して、何とかおいて貰いたくて芸者置屋で訓練した最高の笑顔で挨拶をした。


「お初にお目にかかります。エリと申します」そして深々とお辞儀をした。


「嗚呼……気にいった。あんた……この娘いいでしょう」


「おいらも……お前さえ良かったら構わないさ」

 

 子供達に見付かり、どうなる事か不安で仕方なかったエリだったが、運が良い事に自分で土地を持ち、農業で生活をしている自作農家(地主)の家に、しばらく住まわせて貰える事となった。


 やがて成長したエリは「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」を地で行く目を見張る美人に成長した。




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