第13話 美少女エリ

 

 

 万里子お嬢様が車で孝明と岐阜県の農村で、すれ違いざまに出会ったのは、あれは偶然ではなく、意図的にセッティングされたものだった。ましてや偶然の出会いをアシストした張本人ユキは現在「タキハナ」の従業員に納まっている。

 

 

 孝明と万里子お嬢様の関係は、孝明が花坂屋百貨店から飛び降り自殺した事によってあっけない幕切れとなってしまった。



 そこには…こんなにうら若い女性でありながら、何とも残酷なシナリオを万里子お嬢様自らが、編み出したとしか思えない話の流れが有った。万里子お嬢様は本当は恐ろしい女なのか?


 ユキが孝明と万里子お嬢様との出会いをセティングしたと言われているが、一体どういうことなのか?


 実は…ユキはただ万里子お嬢様の意向に従っただけだった。


     ◇◇


 ユキには何の駆け引きも無い。言われるがままにしただけだった。


(先輩のタカエさんの頼み、『兄孝明が万里子お嬢様を一目見て是非とも会ってみたい。そう言うのであなた万里子お嬢様と、竹馬の友だって言っていたじゃないの』そう言って押し切られたので仕方ない。先輩が怖いのでセッティングの話だけは一応しておかないと……)

 

 そう思い、万里子お嬢様とはお友達関係なので話してみた。するとその話に食いついて来たのは誰あろう万里子お嬢様の方だった。


「ユキ近藤家の長男で孝明という男性が、わたくしに一目ぼれして一度是非とも会いたいですって……わたくしは構わなくてよ。わたくし……いつでも良いわ。会ってみたい!」  


 そう言って話に食いついて来たのは万里子お嬢様だった。


 そして…さも母ヤエが主導で復讐の道具に、娘万里子お嬢様を利用した構図になって居るが、母ヤエは可愛い娘にそんな危険な真似はさせたくなかった。だが、母ヤエがいつもすすり泣いているのを陰で見ていていて、居ても立っても居られなくなった万里子お嬢様だった。


「ギャ―――――――――――――――――ッ!ヤヤヤ……ヤメテ―――――ッ!ハア ハア ハア」

 

「ウッフッフッフおぬし――――――――――ッ!逃がして堪るものか!


「ギャギャ―――――――――――――――――ッ!」


 これは一体何を意味しているのか?恐ろしい殺戮が行われた事は想像に難くない。

過去にどのような因縁が繰り広げられていたのか?



 それにしても過去にどんな事件があったかは分からないが、全く関係のない孝明をあのようにズタズタに心を弄び、どん底に突き落とすとは、万里子お嬢様もあんまりな仕打ちだ。

 

 あんなに万里子お嬢様に一途で散々尽くしたにも拘らず、どんな恨みが有って、孝明の気持ちを弄ぶような卑劣な真似をしたのか?全く血も涙もないとはこの事だ。


 どんな事が有ったにせよ……一番人間の感情の一番大切な……そして…繊細かつ弱くてもろい恋愛感情を、いたぶりオモチャにするなど……もっとも卑劣な行為。 


 

     ◇◇

 

 小作人の事を人間とも思わない、それこそ家畜と変わらぬくらいにしか思わない地主近藤家のおごり高ぶりが招いたある事件が発端となっている。


 そこには、血塗られた恐ろしい過去。神崎家の悲劇が有った。


 それには過去の神崎家の出自を追って行かなければいけない。


 

 ペリー来航(黒船来航)とは、嘉永6年(1853年)に代将マシュー・ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の、蒸気船2隻を含む艦船4隻が日本に来航した事件。

 

 それでは何故アメリカは日本に開国を迫ったのか?


 その理由は工業品の輸出拡大の必要性からインドや東南アジア、中国大陸への市場拡大を急いでいたが、そこには当時は石油が発見されておらず、くじらの油を燃料として使っていたのだが、その燃料となるくじら漁が太平洋で行われていたのだが、丁度中継ポイントとして日本でくじら漁 の際に、船の燃料を補給したり、乗組員が休憩する場所として日本を使いたかったからなのだ。


 そして……やがてアメリカに有利な開国を迫ってきた


 日米和親条約「日本は開国します!」

 ↓

 日米修好通商条約「日本とアメリカで貿易はじめます!」


 だが不平等極まりない条約だった。


 ※その条約の内容

(領事裁判権を認めた:日本で外国人が殺人をしても日本人が裁くのではなく、その外国人の国の人が裁く。この場合被告人に対し罪が軽くなる場合がある)それなので日本人女性を簡単に強姦したり、日本人男女を殺害する荒くれ者も多くいた。


(関税自主権:国家が輸入品に対して自主的に関税を決められる権利)

 だが、関税自主権も日本には不平等極まりないものだった。

 例えば、国家が輸入品に自由に関税をかけることのできる権利を、相手国が有していたのに対して、日本に関税自主権が無く、 相手国との同意が必要なため、低い関税率を要求されて 輸入品に安い関税しか課税できない状態だった。



 こうして…一抹の不安を抱えながらも、江戸末期(幕末)に横浜が開港された時には大勢の外国人(水夫、商人、外交官、宣教師)が来訪した。独身者は、当時ラシャメンと呼ばれていた日本女性と、同棲したので多くの混血児が生まれていた。


 だが、このような横暴ぶりの西洋人に恐怖を感じたのか、ラシャメンになる娼婦はほとんどいなかった。これに業を煮やした政府は、給金を破格に上げる事にした。こうして、徐々にラシャメンと呼ばれる娼婦は増えて行った。


     ◇◇



 明治政府は安定した国家収入を得るために、1873年(明治6年)「地租改正(ちそかいせい)」を行った。


 全国の土地に値段をつけ、その3%の土地にかかる税金を、今までは米を物納していたが、「地租改正」以降、現金で支払うという近代的な方法への移行。これを「地租改正」と言う。

 ※地租:土地の税金

 新政府(天皇)が人民に土地を与え、納税させる制度に変わり地租改正後 は私的所有権の確立、そして…土地の売買自由化とともに近代的な土地制度に移行していった。


     ◇◇


 日本国は相手国に不平等条約を公約されても抵抗虚しく、外貨獲得の為にラシャメンを利用した。開国・日本を外交、外貨獲得手段の一つとして支えた娼婦たちはその後どうなったのか?


 当時は野蛮で横柄な西洋人を蔑む当時の日本の風習があり、異人と交わる女性ラシャメンは蔑まされていた。だが、西洋人を蔑む社会的環境のもとで、春を売る女性たちには、自己主張する手段すら持ち合わせては居らず、当時の風潮としては彼女らの人権など問題にさえならなかった。



 こんな時代の変革期に混血児問題は難航したが、明治政府は明治5年(1872)戸籍法の布告により、混血児の出生後の国籍は、父母いずれかの国籍に属さねばならなくなったため、出生を届けさせることを規定とした。


 明治6年(1873)政府は日本人と外国人結婚許可の法令を発布。

 外国人との結婚に障害は無くなった。


 こんな時代の狭間の中で、混血児の美少女エリは芸者置屋から懸命に逃げて逃げて逃げて、岐阜県多治見市に辿り着いた。


 この美少女エリ12歳の出現によって恐ろしい事件が繰り広げられる。

 それは当然、こんな岐阜県の農村に……ましてやこんな美少女など存在する筈もなく、大地主近藤家の目に止まる事となる。


 一体どんな恐ろしい過去が有ったというのか?












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