第7話 恋の炎
大正時代は「大正ロマン」とも呼ばれて、日本の伝統文化と西洋の文化が入り混じった建築や家具、服装などで和と洋2つの特徴を巧みに取り入れられた。西洋文化を取り入れたハイカラな時代の幕開けとなった。
更には「大正デモクラシー」を掲げ、日本で1910年代から1920年代にかけて起こった政治・社会・文化の各方面における民主主義(差別なく、みんな平等)政治体制の下に、新聞を中心としたマスメディアが一翼を担った運動、風潮などである。
大正時代は仕事をする職業婦人が登場し、今までの島田髪から一転して洋装に断髪という特徴的な、西洋文化の影響を受けた装いのモダンガールが街を闊歩する新しい時代が到来したかに思われた。
「繊維問屋タキハナ」の万里子お嬢様も、いち早く西洋文化の影響を受けた装いのモダンガール姿で飛び回っている。そんな時に孝明と偶然にも接近していた。
1925年当時は、まだ女性のドライバ-など皆無に等しい時代だった。そんな時代に意気揚々と車を運転する若い女性の姿が、こんな田舎の農村地帯を走り抜けていった。呆気にとられた孝明が啞然として小作人に聞いた。
「こんな田舎にあんな外国車を運転する女は一体誰だ!」
「ヘイ!あのお嬢さんは名古屋の「繊維問屋タキハナ」のお嬢様です。本町(名古屋市中区丸の内)に大きなビルを構えておいでの、名古屋で5本の指に入る社長さんのお嬢様です。美人で評判の万里子お嬢様です」
孝明は一瞬で恋に落ちてしまった。
◇◇
この近藤家は、愛知県北部K市一帯から岐阜県にまたがった豪農で、巨大な富を手にした地主成金。
その近藤家の長男孝明は、勉強一辺倒の文学青年で、あの当時の谷崎潤一郎、また芥川龍之介や志賀直哉、武者小路実篤などの有名作家の小説を、隈なく制覇するほどの読書好きだった。だから女には及び腰というか……余程ときめく女なら別だが、女にオベンチャラを言ってまで付き合おうなどと、ゆめゆめ思わない。そんな暇が有ったら本を読みたい男だった。
こんな女に全く免疫の無かった男だったので、余計に厄介だ。一度狂ってしまったら収拾がつかない
だから、万里子お嬢様を一瞬見ただけで、天と地がひっくり返るくらいの衝撃に駆られてしまい、熱病にうなされる事となってしまった孝明。今までの文学青年、小説オタクが、まるで噓の様に変貌してしまった。
同じ人間とは思えぬほど熱病にうなされ万里子お嬢様の事で頭の中が一杯。ボ—ツとして、時折大きなため息をついて……更には、何かに取り付かれたのかのように、家の中をぐるぐる意味もなく夢遊病者の様に歩くのだった。
そして…時折大きなため息をハ~フ~ハ~とつくので家族は堪ったものではない。あの本の虫が一日中何かに取り憑かれたかのようにハ~フ~ハ~。
両親も心配で生きた心地がしない。堪り兼ねた母トミがある日孝明に問いただした。
「孝明どうしたのですか?何か……悪い事でも起こったのですか?」
「いえ……何でもありません」
実は…孝明は万里子お嬢様に夢中になってしまって、この恋を成就する手立てが見つからずに苦しんでいる。
というのも孝明は帝大卒のエリ-トかもしれないが、決してイケメンではない。もっと言うなら貧相な顔と言った方が正解だ。更には身長も高くない。
それなので縁談話も何回も持ち上がってはいたが、自分が理想とする女性からは、ことごとくフラれていた。そして自分が決してタイプではない女性からは結婚を承諾されていた。それは決して孝明が好きなのではなく、多分財産狙いと考えられる。
だが、孝明にすれば折角帝大まで卒業して、豪農の大地主という好条件の縁談だというのに、到底魅力的とは思えない女と何で結婚しなくてはならいのか?そんな憤懣やるかたない思いの時に万里子お嬢様と遭遇してしまった
※ふんまんやるかたない: どうあっても腹立たしさが晴れない心持ち。
(今まで会ったどんな女性よりも魅力的な万里子お嬢様。だけど……きっと僕ではフラれるに決まっている。こんな容姿の俺なんかきっと……見向きもされないだろう。どうしたら良いんだろうか?ハ~フ~ハ~!嗚呼……苦しい)
いつまで経っても陰にこもりハ~フ~ハ~を繰り返す息子に、いよいよ心配になった両親が、「これはただ事ではない」と心配になり今度は父豊作と母トミ2人一緒に息子の部屋に向かった。
「孝明一体どうしたというんだ。部屋に籠ってご飯も進んでいないようだが?」
「いえ……何でもありません」
「そうは言っても孝明……あんなに好きだった書物にも見向きもしないで、今までだったら双子の妹の息子が来たら、飛んで出て遊んでやっていたじゃないか……それなのに心配で部屋に見に来ても……フ~ハ~言ってるだけじゃないか?本当にどうしたんだい……」
「お母様一人にして置いて下さい。お願いですから……」
◇◇
ある日の事だ。母が兄妹でも仲の良かった何でも話し合える仲だった、双子の妹が嫁いでいる瀬戸市から呼んで、一部始終を相談して孝明の心の内を聞き出そうと考えた。
「タカエ聞いておくれ、孝明が最近仕事で小作人の仕事状況を見にやらせても上の空で、ちゃんと知らせてくれないし、集金も思う様にはかどっていないんだよ。以前はテキパキやってくれていたのに……」
「何もそんな仕事孝明にさせなくても、五郎がやってくれるでしょうが?」
五郎というのは田畑全般の管理を任せている従業員だ。
「そうは言ってもしっかり目を光らせないと、それを良い事にお金をこっそり懐に入れる事だってあるからね……」
「じゃぁ私が孝明に聞いて見るから心配しないで」
こうして早速兄が仕事から帰って来るなり、部屋に聞きに言った。
「お兄さん何か……悩み事あるんじゃないの?お母様が心配していたわ……」
「……実は…好きな……好きな……女性が出来たのだが、とてもじゃない俺なんか相手にされる様な女性じゃないんだ。だけど……その人の事で頭の中が一杯で仕事どころじゃないんだ」
「お兄さん縁談が上手く行かないのはその女性のせいね。ところで……どこのどなたなのよ?」
「小作人が言うには名古屋本町に有る「繊維問屋タキハナ」の万里子お嬢様だと言うのだよ。俺だって知っている有名な会社のお嬢様で尚且つ凄い美人なんだ。俺では到底無理だと思うんだよ。だから……苦しくて苦しくて、諦めようとすれば余計に思い出してしまうんだよ」
「お兄さん諦めなさいよ。そんな高根の花お兄さんには無理だって!」
「そうなんだよね。でも……こんな俺でも……忘れようと思えば思う程頭の中が一杯になってしまうんだ。どうしたら……どうしたら良いんだ……」
「嗚呼……そうだ!私の友達で「タキハナ」に勤務している子がいるから、それとなく聞いてあげる」
※江戸、明治、大正、女性の名前にひらがな、カタカナが多い理由:上流階級の家では、女性名も漢字が一般的だったが、きちんと読み書きのできない人も多かったので無駄だと考える人も多かった。それでも「男子(特に長男)は跡継ぎなので大切に扱う」という習慣から、立派な漢字の名前を付けても、女子は定番の名前を簡単なカタカナ、ひらがなで付ける例が多かった。男尊女卑の考えが根強かったのだろう。それなりの家でも、女性は読み書きなどできる必要はない、と考える人も多かった。
◇◇
後日孝明の元に朗報が届く。
嫁いでいる娘のタカエがわざわざ瀬戸からやって来た。それは言うまでもない。万里子お嬢様が、承諾してくれたので苦しむ兄を一時も早く喜ばせてあげようと、やって来たのだった。
「友達を交えてでしたら……お会いしたいわ」
この万里子お嬢様、友達の誘いを断れなくて会って下さるのだろうか?
この恋の結末は?
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