第5話 由香里ちゃんの真実


 

 戦前の日本の農村には自小作農家や小作農家が多く、高い小作料を地主に支払うために苦しい生活を強いられていた。


 江戸時代後半は下級武士も仕事が無く、浪人生活を余儀なくされていたので下級武士の娘が、遊女となる事も少なくなかったようだが、明治以降も貧農の小作農家の娘が生活苦の為に吉原などの遊郭に売られる事は多くあった。


 それでは何故貧農の小作農家の娘さんが、遊郭に売られる程貧困に追いやられたのか?そこには切っても切れない地主と小作農家の関係があった。




 ●それではここで地主と小作農家の関係を簡単に説明して置こう。


 ☆自分で土地を持ち,農業で生活をしている人の事を自作農家(地主)


 ☆自分でも土地を持っているが,それだけでは生活できないため,地主から土地を借りて農業をして、小作料を支払った残りで生活をしている人を自小作農家


 ☆土地を持たず地主から土地を借りて農業をして、小作料を支払った残りで生活をしている人を小作農家 


 この様な経緯から高額の小作料を払えずに、娘を売り飛ばすほか道は無かった貧困農民が戦前までは多かった。



     ◇◇


 第二次世界大戦後の敗戦国日本を統治していたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は,民主的な国をつくるには小作農家を解放して、自立した農民を生み出すことが必要だと考えて「農地改革」を行った。


 ※「農地改革」:政府が地主の土地を買い上げて,自小作農家・小作農家に安く土地を売り渡した。こうして多くは自作農家になれた。


 太平洋戦争(第二次世界大戦の中に太平洋戦争は含まれるが、太平洋を戦場とする日米間の戦争だから太平洋戦争としている)の後、GHQ最高司令官のダグラス・マッカーサーは、地主たちから所有地を買い上げ、小作人に安価に売り渡す「農地改革」を1946年から行った。


 特に、農地のある村に住んでいない地主からは、すべての農地を没収。地主が住んでいる村の農地も、定められた面積以上は没収された。こうして戦後没落地主も多く生まれてしまった。


 日本は日清・日露戦争から敗戦に至るまで軍国主義化の下に侵略を推し進めていた。そこには、力を持った地主が軍事資金の経済的支援を行っていた事も大きな要因の一つだ。こうしてGHQ最高司令官のダグラス・マッカーサーの指揮の下「農地改革」が行われた。その目的は日本の軍国化と地主独裁を抑え込み弾圧する事が目的であったと言われている。



     ◇◇



 代々地主様だった神崎家と言われているが、実は現在4代目である。

 神崎家は土地を持たず地主から土地を借りて農業をして、小作料を支払った残りで生活をしている小作農家だった。


 昔の小作人は地主の家に手伝いに来いといわれればどんなに忙しくても飛んで行った。そして…ただ働きさせられたものだった。


「次郎、家に手伝いに来ておくれ。ちゃっちゃと来てくれないと小作料を引き上げてやるからね!」


「ヘイ!分かりました。直ぐに行きます」 


 地主にすれば小作人は、まさに奴隷のようなものだ。何を言ってもオドオドして言いなりになる。それでも…小作人も何故ここまで平身低頭を貫かなければいけないのか?


 実は…戦前は働き口などなかなか見つからなかった。農村部にはもちろん都市部にもなく、町で暮らす人たちの大半は低賃金長時間労働で苦しんでおり、不況などになれば簡単にクビが切られるそんな時代だった。


 それでも…ろくに食うものもない生活の中で、米の飯を昼に食わしてもらえるだけ幸せだ。おにぎりと味噌汁、おかずのたくあんが出た。


「ごちそうさまでした」

 土下座して、ひたいを土間の土にすりつけて御礼のおじぎをいつもしていた。

 そして…昼飯は台所の土間で立ちひざで食べさせられた。それはすぐに立って働く為と全体重の重さで足が冷たく痛いのもある。


 それでも…成長した息子たちが、やっと都会に仕事を見つけたと喜んでいたのも束の間、失業に追いやられて家に転がり込んで来る事も度々だった。 



 何故そこまでしなければ思うかもしれないが、地主から小作料を引き上げられたら困る、土地を取り上げられたら生きていけなくなる事が分かっているからである。


 だから普通に見れば屈辱的かもしれないが、ろくに食うものもない日常で米の飯を昼に食わしてもらえるだけでもありがたかったし、恥どころか生きて行くのに必死でそれどころでは無かった。


 だから、地主から収穫量の半分を小作料としてとられても、逆らうことが出来ない。お金を借りる時に高い利息であっても頭を下げに下げて、ひたいを土につけてでも借りなければならなかった。凶作の年や家族が病気になった時などは特にそうだった。地主の言うことには何でも頭を下げて奴隷になるしかなかった。


 生きていくためには土地を借りなければならなかった。金を借りなければならないときもあった。ぺこぺこ頭を下げるのが日常で地主にはいつも腰を低くしておどおどしていた。 


 それに追い打ちをかける様に、酷い事に大正期まで貧乏人は選挙権すら持てなかった。そして…小作人は地主など地域の有力者などの顔色をうかがい、あるいはその言うことを聞いて投票するしかなかった。

 

 小作農は土地を手に入れて自作農になるために、自作農は自作地を守るために、そして豊かな暮らしができるようにと必死に働いた。家族ぐるみで、朝から晩まで、死に物狂いになって、多くの収量を得ようと働きに働いた。


     ◇◇  


 神崎家は小作農家で貧困に喘いでいたが、元々器量筋と言われるだけあって、どの子も器量良しだった。それが功を奏する出来事が起こって来た。

 

 そう次女のアヤが芸者置屋に売られていたのだが、舞子さんの時に、ひいきの旦那さんがついて、芸子さんになる費用の一切合切を払って貰った。更に…身請けれて妾として生きて行くのかと思いきや、余りの器量良しに夢中になった政治家の三田代議士が惚れ込んで30歳年上だったが、三田たっての希望で結婚という大偉業を成し遂げていた運の良い娘だった。それが神崎アヤだった。


こうして…アヤの力で勢いづいた神崎家に更に朗報が……。


 やがて敗戦となり「農地改革」のお陰で借りていた田畑をアヤの財力を借りて、安く買い取りその土地を有効活用して、貸しビルやアパ-トなどを建設して大地主に変貌を遂げて行った。


 ここで問題なのが兄茂の彼女だった不審死をした、そして兄茂の妻恵子の友達由香里ちゃんの家こそ神崎家の大地主近藤家だった。


 過去には神崎家を奴隷とたがわぬ扱いで苦しめた悪徳大地主近藤家の直系お嬢様。


 過去の全てが白日の下に晒された時に全ての謎が……?





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