塔の上の日記

午前0時に 塔のてっぺんで 陶器の人形を 本の中に閉じ込めました

(21世界逆、ワンド6逆)




 高い高い塔があった。ここら一帯は畑と牧草地が続き、丘の上の塔はひときわ高く見えた。

 塔に一番近い村についた旅行者は、塔のことを聞いてみる。誰か住んでいるのか、いつからそこにあるのかと。綺麗な歌を聞かせてくれた娘さんは、あの塔ができたのは百年以上は前だろうと答えてくれた。村一番の老人の母親が生まれた時からあったらしい。村の人は魔法使いが造ったといっている。魔法使いは人嫌いで、塔に住み着いていたらしいがその姿を見たものは誰もいなかったという。

 そうして娘さんは歌を聞いてとせがんだ。それは数十年前にある高名な音楽家が発表した歌曲だった。その音楽家は、自分のところに勝手に送りつけられた楽譜だと説明した。心当たりがあれば自分のところに来るようにと捜索させたのだ。けれども数人の詐欺師が来たっきりだったと話に聞いている。

 塔には出入り口の他、頂上付近に一つだけ西向きの窓があった。出入り口を使う男を見たことはないが、開いた窓からは美しい歌声とオルガンの音が聞こえたりした。それが魔法使いのものかもわからないまま、いつしか歌もオルガンも絶えて窓は閉め切られるようになった。それでも人々は塔に近づかなかった。魔法使いの財宝でもないかと不遜なことを考えるものもいなかった。

 ならば自分が一番乗りだと旅行者は考えた。財宝への興味と、それ以上に歌声やオルガンへの興味があった。話に聞く魔術師というのは誰も彼も頑固で偏屈で、音楽への興味などないように思えたからだ。



 塔は小高い丘の上にあった。周辺は見晴らしよく遠くに村が見え、その反対に森も見える。入り口には鍵がかかっておらず、引くとギシッと重い音を立てたがある一点を超えた瞬間すんなりと開いた。中はらせん階段であり、ひどくせまく感じた。石段を踏むたびにカツンと高い音が鳴る。しばらく登っていき、そして最上部に小さな部屋があった。部屋への扉はもとから開いていた。

 まず男が見つけたのは部屋中央の小型のオルガンだった。指で鍵盤を押すと音は出るがひどい音だ。他の鍵盤も押していったが、音楽家ではない彼にも正しい音でないことがわかる。調律など何年もされていないに違いない。あるいは住人がいなくなってから一度も。

 そして窓の隣に大きな本棚があった。入っていた本は古く、だいたいが詩や短い寓話である。背はひどく痛んでおり、何度も読み返された形跡があった。

 そのオルガンと本棚に比べてそまつなベッドがひとつ。ペンとインクが乗った小さな机と椅子がひとつづつ。炉もなければ食事に関わるものもない。服に関わるものも、トイレもなにもなかった。

 ひととおり部屋を見回して、本当に魔法使いはここに住んでいたのだろうかと考える。魔法使いとはいえ生きた人が住んでいたとは思えないのだ。ふと目についた本を手に取る。紙束がいくつも挟まっている。この本だけは活字ではなく、手書きで、それも書き殴ったような読みにくい字だった。インクのしみのようにも見える字をひとつひとつ読んでいく。どうやらこれは日記のようだ。それも魔法使いといわれた男の。



 娘ができた。ようやくである。演奏し、歌う理想の娘だ。

 陶器の肌は輝き透き通るよう。黒い髪が硬いのだけが難点か。



 細い指でオルガンを弾かせると、楽譜通りにきっちりと引きこなした。

 本を与えて文字を読ませる。その通りになめらかに歌ってみせた。

 私の自慢の娘だ。



 私は音楽を好まないが、女の子というものは音楽に通じているほうがよい。

 私がここを訪ねるたび娘は嬉しそうに詩を吟じて聞かせた。



 ……なるほどと男はページをめくっていく。一気に中ほどまで。



 言われた通りのことしか話せぬ人形が何の役に立つのだろう。

 楽譜通りにしか弾けない不出来な人形に何の意味があるのだろう。

 魔術がいつか切れるだろうが、この人形は塔と共に崩れ落ちるに違いない。



 ……そこから先は白紙だった。白紙だと思った。

 しかし、そこから数ページ先に、また文字が現れた。かすれた活字のような文字で書かれた、これも日記だった



 今日は、水。雨。濡れた。窓を閉めた。お父様が嫌がった。



 今日の夕日は緑。一瞬だけど。夕日は赤い黄色いオレンジ色。初めて。



 今日は、飛ぶものが来て去った。鳥という。あれも鳥、これも鳥。



 夜、お父さまは去っていってしまった。十二を指す時計。靴音が遠ざかるのが苦しいかった。



 上手く話せるようになれば帰ってくる。

 新しい曲を弾ければ帰ってくる。

 違う歌を歌えれば帰ってくる。

 つながった文字を書ければ帰ってくる。


 あの夜から千二百回の夜が来た。



 彼が帰ってこないのなら、わたしはここにいる必要がない。意味がない。

 身体を起こすのが重く、遅く、きしむようになった。

 わたしは毎日、夕日を見ていた。

 朝日は何が違うのだろう、わたしは朝日を見たい。



 その日記に挟まっていた束は手書きの楽譜だった。男は楽譜が読めなかった。読めなかったがたくさん直した跡だと思った。活字のような文字で。これは完成する前の楽譜なのだろう。

 もしかしたら数十年前に突如現れた作者不明の歌曲とは彼女のものなのかもしれない。陶器の人形はもう日記の中にしか存在しない。村に戻ろう。今も歌い継がれる歌を、もう一度聴いてから帰ることにした。

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