少年と石笛
金星が近づく日に 廃墟で 綺麗な石を 空にかざしました
(16塔正、ワンドQ正)
この日は鳥が一羽も来なかった。夕暮れまで少年は草笛を吹き続けたが鳥はよって来ず、姿を見せてもすぐに飛び立っていってしまった。
少年は鳥を猟って暮らしている。草笛で呼び寄せ網をかけるのだ。犬や銃を持つ大人はいくらでも獲れるだろうが、少年は犬も銃も持っていなかった。十何羽かの鳥を売って小銭に変えれば食べる分しか残らず、罠をなうのに時間をかけてもそのぶん多く獲れるわけではない。
草笛を投げ捨て、赤かった空が黒くなってくのを見ながら、今日休む場所がないことを思い出した。隠れていた空き家はどこからか人が入り、今は暖かな灯がついていた。
村の中に居場所はなく、少年は森へと戻った。森は空よりずっと黒く恐ろしかった。恐ろしかったけれど、人の灯りのあるところにいたいとは思わず森の中へと飲み込まれるように入っていった。森の奥は静かで、まるで何もいないかのようだった。空を見上げれば宵の星が出ていて、いつもよりずっと近く歩いていけそうな距離に思えた。なんとなくそちらに足を向ける。
行くうちに人が通らないだろうけもの道に入り込む。踏まれた草をたどり折れた枝をくぐって行けば、壊れた石の壁があった。苔やつたに覆われてはいるが、青緑がかった灰色のよくつまった石だ。ぐるりと壁伝いに歩くと、石造りの小さな廃墟はところどころに屋根が残っていて雨風をしのげそうだった。
壁の内側には何本も太い柱が立っていたり、あるいは崩れていたりした。奥には大きな像が砕かれたように倒れていた。少年は一番しっかり立っていそうな柱の下から屋根を見上げる。ここなら寝ている間に崩れる心配はしなくてよさそうだ。落ちた石材を避けて床石が剥がれてすこしくぼみになっているところに身を埋めた。石はひんやりとしていたが、土はそれほど冷たくはない。服をきゅっと身に巻きつけて、少年は目をつぶった。
ぴちょんと夜露が落ちてきて目を覚ました。高く昇った月に向かい柱が青白く天に伸びている。明星はすでに見えず真っ暗な空に、石だけが浮かぶようにぼんやりと光っていた。その薄明かりのなかに、ひときわ鮮やかな青緑が見えた。その小さな塊は壊れた像の瓦礫の下にあるようだ。おそらく顔だったのだろう石を避けて、手を差し込んだ。
その光は丸みのある形をしていて、にぎると手の中に収まるくらいだった。石にしてはひやりとした感触はない。取り出して見れば、ひとつの孔が空いていた。石のような見た目より軽く、どうもなかは空洞らしい。表面には水面を思わせる模様が彫ってあった。
少年はその小さな石をつかんだ手を月にかかげる。天にかざせば闇夜と月の光の間でちらちらと冷たい火のようにかがやいた。彫られた模様が金や橙にも見える色に変わるのだ。
これを売ればしばらく過ごせるかもしれない。少年がそう思った時、ひゅうっと柔らかな風がふいた。風が通り過ぎる時、手の中の石に触れて透き通った音を立てた。
その音はどんな鳥の声とも違う、町に来た楽団の楽器とも違う、奇妙な音だった。軽やかに伸びやかに鳴ったというのに、深く深く複雑な音色を含んでいて、余韻を残してふっと消えてしまった。少年の聞いたことのない音だった。町に来た宣教師とやらがいう神の世界があるとすれば、こんな美しい音で満たされているのではないか。
少年は、そっと自分の唇に石の孔を当てた。すごく弱く息を吹き込む。すると石はかすれた音を鳴らした。少し強く吹いてみる。石はかんだかく耳障りな音を出した。もう少し弱くして吹く。かすれた音が、少しずつなめらかになって柔らかな音に変わった。これは笛だ。少年はこの天から落ちてきたようなふしぎな笛に夢中になった。誰が売るものか。この笛を、あの風が鳴らした時のように吹いてみたい。
暖かな陽の光が森の中にも届く頃、少年は目を覚ました。手には石の笛があった。どうやら練習の途中で眠ってしまったらしい。それなりに音を出すことはできたが、どうしてもあの言葉で言い表せないうつくしい音は出なかった。
森では鳥のさえずる声があちこちに聞こえる。少年はもう鳥を獲ることへの興味はなかったが、まねをするように笛をに息を入れた。おどろいたことに、笛はすんなりと鳥のようなきれいな音を出したではないか。風の音とはまるで違うが、鮮やかで華やかでにぎやかで、それなのにうるさいところのない音。少年は違う鳥の声に合わせて吹いてみる。それもまた違う、うつくしい音を奏でた。
森を町に向かって歩きながら、少年は音を探した。木々の葉が擦れる音。小川が流れる音。小型の動物が走り去る音。自分が土をふむ音、自分の心臓の鼓動。それぞれに音があり、笛はそれぞれにすばらしい音楽をつけた。
町に出て、昼の鐘に笛を吹く。重々しく、厳格な音が町中に広がった。少年の笛に鳥は寄ってこなかった。しかし今度は人が寄ってきた。そして今の音は何かと口々に聞いた。もっと吹いてくれないかという人もいた。それだけでお金が集まった。服も靴ももうボロではなくなった。大きな街まで呼ばれるようになりお金が余るほどになった時、少年は大きな家を建てて多くの人が住めるようにした。
少年が老人になった時、彼はもうあの石笛を持ってはいなかった。けれども葉をとって笛を作ると、草笛とは思えないさまざまな音色を奏でたと伝わる。
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