小さな小さな物語 (「一行作家」とタロットより)
星見守灯也
魔女の果実酒
結婚式の日に 雲の十字路で 果実酒を 買えるお店を開きました。
(11正義正、ワンド5正)
魔女の工房は森の中。木陰から木漏れ日を眺めるように、大小の小瓶が並んでいる。なかの液体からはほのかに甘く酒の匂いが漂う。ぼろぼろのラベル、ま新しいラベル、貼り替えたラベル。魔女の文字は下手くそで、買った人間で読めたものは誰もいない。
工房の入り口では魔女が籠から赤い実を取りだし茎を切っては瓶に色とりどりの果実を詰めていく。ここに砂糖を足して蒸留酒を注げばあとは時間が作ってくれる。秋は実りの季節だから、魔女が忙しいのもこの季節。
七羽のカササギが降りてきて口々にカシャカシャと鳴いた。どれ、と魔女は腰を上げる。だれかさんの結婚式だ。この魔女がお祝いしにいかねばならない。
真白いドレスに古光りする耳飾り。新しい手袋をはめ、幸せに満ちたベールをつけた花嫁は、青いリボンで黒髪を結い、靴の中には銀貨が隠されている。これからのふたりの幸せを大いに願われて、彼女は花婿を待っている。
それなのに浮かない顔でうつむいている。もうどうしたって後戻りできないのに。彼から交際したいと告げられたとき彼女は驚いて、困惑して、そうして了承した。そこに不満はなかった。結婚を申し込まれた時もそうだった。彼女は昔読んだ物語の一場面を思い浮かべる。悪い男と結婚させられようとした娘を、直前に王子がさらって逃げる話だ。王子は娘の手を掴んで遠くへ連れ去ったのだ。
高く透き通った青空を、真白いすじ雲が流れてくる。向こうからも細く薄い雲がやってくる。天のはるか高いところで風が交わったとき、そこに奇妙な店があった。
「やあ娘さん、景気づけに一杯どうだい?」
黒いワンピースを着た女性がいた。そこは木のうろの中のような場所で、店だと思ったのはカウンターらしきテーブルがあったからだ。あちこちそれぞれ色の違う中身の瓶が形も様々に並べられていた。
店ならと何の気なしに椅子に座ろうとして彼女は椅子がないことに気づいた。歳のよくわからない女性はにかあっと笑い、
「ここは長居する店じゃないからね」
そこでようやく彼女は、ここが先ほどまでいた教会ではなく、また自分で歩いてきた記憶もないことに気づいた。手を見ればやはり美しいレースの手袋に包まれており、花嫁衣装はそのままに夢を見ているような気持ちになる。この店が夢なのか、今までの自分の人生が夢だったのか。
「結婚するんだね。おめでとさん」
おめでとうと言う言葉にひどく重たいものを感じて、彼女は答えられない。誰も彼も彼女が幸せになれると信じている。彼女は決して不幸ではなかったけれど、幸福になれると心から信じることもできなかった。
「おまけしとくよ。どれにしようか?」
ずらりと並んだ瓶の山を指し示され、彼女はぐるりと店内を見回す。古びた木の匂いに甘い匂いとお酒の匂いが混じった空間は巨木のように落ち着いていて、まるで時間が止まっているかのように思わせた。彼女は数歩進んで棚の瓶を見上げ、くるりと方向を変えて地面に置かれた便を見つめた。
結婚式の直前に夢の中でお酒なんて! そう思うと面白くて仕方がない。べろべろに酔っ払った私をあの人はどんな目で見るのだろう。くすくす笑って瓶を見て歩く。それぞれ丁寧にラベルが貼ってあったが、残念ながら彼女には読めなかった。
「これがいい」
影に隠れた棚のやや上から取り出したものは、小さめの細身な直方体をした透明の瓶だった。瓶自体はシンプルで装飾も何もない。中には濃い青い実と紫がかった青い実、鮮やかな青に染まった液体が詰められていた。よく見ればその実に埋もれるように小さな銀のカギが入っている。
「そうかい。じゃあお代はそのリボンでどうかな」
ためらいなく髪から青いリボンをするりとほどいて女性に渡し、瓶のコルクをとった。鼻を近づけて嗅ぐと、酒の匂いに混じり土のような匂いと砂糖とは違う甘く強いにおいが感じられる。彼女はドキドキしながらその酒を一気に飲み干した。ああ、行儀が悪いって思われる。でもいいじゃない。夢で誰がそんなこと気にするというの。
瓶をことんとカウンターテーブルに置いたとき、くらりとめまいがした。そこは教会で、隣には彼がいて、家族たちが見守っている。結婚式の最中だ。何が夢かもわからないまま、彼女はそこに立たされている。いやだ、このまま結婚したくないと思った時、誰かが入ってくるのが見えた。逆光で顔は見えない。見えないけれども男だとわかる。豪勢な服を着た、偉そうな男だ。
「彼女を好きなのは僕だけだ。彼女だって僕のことが好きなはずだ」
それは物語の王子のように男は彼女の腕を掴んだ。しっかりと、強く、強く、離すまいと。そうして力任せに引っ張った。乱暴に腕を引かれて彼女はよろけるように二、三歩動いたが、震える足でそれ以上動くまいとする。あの人はこんなことはしなかった。しない人だ。絶対に。
「私は、あの人がいい」
「花婿殿、もうすぐ到着だって」
年上の従姉妹が連絡してきた。彼女はそれを聞いてはっと顔を上げる。気がつくと結婚式直前のあわただしい雰囲気の中だった。誰も彼も自分のやることに夢中で忙しそうだ。花嫁だけがなにもすることなく、青く澄み渡った空を見上げた。高いところを真っ白いすじ雲が流れていく。
花嫁は思う。今の自分は秋空のような晴々とした顔で彼を迎え入れられるだろう、と。
魔女は工房に座って腰を伸ばし、彼女の支払ったリボンを木箱の中に入れた。箱の中にはリボンやボタンや指輪や時計、お守りやらがたくさんしまわれていて、一つ一つに願い事があった。人々は青は幸せの色だといっている。それがどうだか魔女は知ったこっちゃないが、このリボンもまた誰かの幸せのために使われる時がくるのだろう。いつになるかは知らないが。それもまたいいこと。
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