第6話 平凡で居たい書店員の話。
仕事帰り、萩野雫(ハギノシズク)はお気に入りのボールペンを入手するために書店へ寄っていた。
なぜ文房具会社に勤めてるのにわざわざ自分で調達するのかというと、雫にとってベストなペンは取り扱っていないからである...
(じゃあ取り扱えばいいのだが、手作りで作られている木製のペンはそう簡単にはいかないのだ。ましてや、事務である雫の一存で取り扱いが決まるわけでもない。)
最近は文房具屋さんに行くよりも、書店に文房具を買いに行くという人が増えている気がする。うちの営業もここにはよく納品させてもらっているはずだ。
自社で扱っている商品でないものを使っていても誰にも指摘されない程度の存在感で職に従事ている。
そんな雫にはもう一つの顔がある。
綴り屋の仕事は相棒である三毛猫の音符(オンプ)と共に行っている。
今夜もオンプが役目を果たして、雫の帰宅を待っているだろう。
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【興梠翼(コオロギツバサ) 29歳】
四年制大学を卒業して、栞(シオリ)書店に正社員として就職した。一応、福岡に本社があり、地方に数店舗展開している会社だ。本が好きだったわけではない。まぁ、読む必要があれば読む程度だ。
就職活動に苦戦し、やっと内定を得た企業がここだった。
友人達は、目指していた企業を勝ち取った者、目標と全く違う業種に就いたが懸命に勤めて評価されてる者、フリーで起業した者...少なくとも、仲が良かった面々は充実しているようだ。
翼が勤める店舗は、店長と正社員が翼を含め3名、あとはパートやバイトの面々で回している。正社員とはいえ、何かあれば店長に頼り、翼は正社員の一番したっぱなので店長不在時は先輩を頼れば良い。そんな立ち位置が居心地良く、気付けば7年も続いていた。
続いていただ。
店長に呼ばれ、いつものように「はい!」と爽やか風挨拶で付いていくと休憩室に連れていかれた。
店長の他に先輩2名も居る。
「?......なんかありました?」
気まずそうに顔を見合わせる3人を嫌な予感がしながらみていると、店長が口を開いた。
「実は、僕が転勤になってね。」
「うちって転勤あったんですか?」
そんな条件、募集のときにも入社のときにも聞いていない。むしろ転勤なし!とあったから試験を受けたのだ。
「いや、無いんだけどちょっと色々家庭の事情があって本社に相談していたんだ。そこでなんだが...」
言いづらそうにこちらの様子を伺っている。
「次期店長を君に任せたい。というか、ほぼ本社からの決定なんだが。」
「は?」
思わず、絶対に上司に対して使う言葉ではなかろう発言が口からでた。失言。という言葉が頭を過ったが、今言われたことを考えると反省する必要は無い気もする。
ありがとうございます!と引き受けるか
さようなら!と辞めるか...
見込まれているのか、パワハラか...
チャンスを掴んだと言われるのか、ドンマイだねと言われるのか...
無駄に次々と2択の問いが頭に浮かんでくる。
「まっ、いきなり言われてもね。まぁそーゆーことで。
お疲れ様。」
店長の「お疲れ様」から帰宅までの記憶がほぼ無いが、
整理すると、先輩2人の内1人は家庭の事情で出張などにほぼほぼ行けない。もう1人は、パートのおばちゃん達をまとめるには色々な条件が厳しいとのこと。
いや、2人目の理由は通用するのか!?
と思うが、とりあえず無職になるわけにはいかないのでダラダラと引き受ける方向で進むしかない。
こんな自分が店長など引き受けて良いものかと考える。
通告を受けて1週間程経った今日、本社に出向く店長の代わりに(仮)として、数日店長をすることになった。
想像していた以上に店長が仕事をしていたことや頼られていたことが分かる。朝から1日パートのおばちゃん達からの質問攻め&不満のオンパレードだ。
何かあればすぐに店長に回していたことを少し申し訳なく思う。
ふと、最近採用されたパートの女性が目に入る。確か美千留(ミチル)さんだ。田中という名字が3人居るのでしたの名前で呼ぶことになっている。
結婚で退職し、しばらくたっての再就職だという。おそらく、退職前もバリバリ仕事をしていたのだろう。パートで、しかも新人でありながら既にほとんどの仕事をマスターしている。
こんな人が店長をやるべきでは?といった考えが頭を過る。
(仮)店長2日目の朝、開店前に店の前を掃除するのも店長の仕事だ。他の従業員が出勤する少し前に出社し、軽くゴミを集める。11:00~21:00までの営業時間なので朝は少しゆっくりだ。まぁ、出社は諸々の準備があるので9:00頃なのだが。
周囲のゴミを拾い、店内に戻ろうとすると一匹の猫がいた。実家で飼っていた猫と同じ三毛猫だ。
首輪が付いているので飼い猫だろう。人馴れもしてる。
「どうした?迷子か?」
翼も慣れた手つきでなで回す。
「ミャアオ」
と愛想良くすり寄ってくる猫をみていると、実家で世話をしていた時のことを思い出した。
家族の誰よりも面倒を見て、こまめにこまめにありとあらゆることをしていた。
「面倒くさいわけじゃないんだよ。ただ自信がない。何か売り上げに貢献してきたわけでも、正直何かに役に立てたことすら記憶に無い。何してきたんだろうな...」
気が付くと三毛猫はどこかへ行ってしまっていた。
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お気に入りのペンをゲットした雫はルンルン気分で帰宅した。大奮発で3本!そして替芯も3本購入してきた。
3本は黒、赤、そして青の芯だ。
綴り屋の仕事もこのペンを使っている。
なんでも良いのかよ!と思われるかもしれないが、雫がこの仕事をするにあたり一番相性が良かったのだ。
いつも通り机に向かい、オンプが出会った人の声を見聞きする。たった今行ってきた書店。そして、この大事な相棒(ペン)と出会わせてくれた店員さんだった。
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朝、玄関からのゴトンという音で目が覚めた。
「なんだ?」
身体を起こして、しばらくボーッとしていた。睡魔と寝起きのダルさには勝てない。
なんとか、身体を動かして玄関のポストを覗くと
洋書の装丁が絵になった封筒が落ちていた。
【興梠翼 様】
こんなお洒落な便箋で文通をするような相手がいただろうか。怪しいと思いながらも、差出人が女性な気がして(雰囲気的に)開けてみる。
【興梠翼 様
あなたが気づいてないだけで、
実はあなたに助けられてる人がいます。
あなたが何気なくしていることが、
誰かに安心や喜びを与えてることもあります。
いつもお疲れ様です】
何かの勧誘か...
可愛らしい女の子からの今時珍しいラブレターをイメージしていたがどうやら違ったらしい。
靴箱の上にポンっと置いた。
今日が(仮)店長最終日だ。
ここ数日の記憶がない。雑誌を運び込みながらタメ息がでる。
「興梠さん」パートの美千留に声をかけられてハッとする。
「ずっとお伝えしたかったことがあって...」
思わず構える。美千留は既婚者だったはずだ。
どうやって断ればいいのだろうか。気持ちは嬉しいが、今後の仕事がやりにくくならないようにしなければならない。
などという無意味な悩みを抱えていると、美千留が話し始めた。
「実は、私元々ここの常連だったんです。セルフレジが導入されてからレジが混んでることが多くて。おばあちゃんの後ろに並んでた人がイライラしてたんです。そんな時に隣のレジをすぐに開けて対応してくださってたの興梠さんだったんですよね。パートのおばちゃんたち見て見ぬふりで。いつか直接お礼をお伝えしたいと思ってたんです。ありがとうございました。」
そんなことを意識したこともなかった翼は早口で言われた内容を頭の中で整理した。どうやらおばちゃんたちが来ないうちに話そうとしてくれたらしい。
「あっ、あと」
「?」
「以前、興梠さんが案内されてたお客様。ボールペンリピートしてましたよ!うちの旦那にも買ってみます!」
捨て台詞のように言葉だけを残して去っていった。
少し照れくさくなる。
いや、大丈夫。変な勘違いはしていない。
ぜひ、旦那さんにも買ってあげてほしい商品だ。
時間になる。
さて、気合いをいれるか。
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