13.光のなかの閃光①


   13 光のなかの閃光


 ショッピングセンターは混沌の坩堝と化していた。

 バスロータリーからは断続的に怒号が飛び交い、頭から血を流して横たわる警備員の横には第一報で駆けつけたらしい警察官が不安そうな顔で救急車と応援が来るのを待っている。それらを遠巻きで見つめている半分寝間着姿の周辺住人たち…………。


「暴走族が乱闘騒ぎを起こしている」

「何人かはモールの中に入ったらしい」


 ざわめく会話の中身はどれも真実であり、どれも真実ではなかった。大人たちは誰一人として、目の前で共喰いをし、内臓を吐き出す怪物たちの地獄絵図が見えていない。

 僕はフードを目深に被り直すと誰もいない自転車置き場から立体駐車場に続くアスファルトに進んでいく。その間、何人ものスマホのカメラを構えた男たちとすれ違う。降って湧いた再生数のチャンスに群がってきたらしいが、饗宴のおこぼれに与れなかった低級の晦虫たちがこれ幸いと新たな寄生先に喜びの声をあげていた。

 一時避難のために無人となった搬入口を難なく通り過ぎる。場内は外と違って曙光の色は混ざっておらず、未だ夜の色を湛えている。しかし、永井と一緒だった一回目とは違い、闇の奥深くで毒の回った無数の晦虫たちがのたうち回っているのが見えた。

 隠されたように配置された階段を駆け上り、猛毒の発生源たる王の巣へ最短距離で再び向かう。うまく言えないのだが、一回目に場内に入ったときに感じた巨大な体内に足を踏み出すような感じが無くなっていた。たぶんレトロゲームのダンジョンめいた動きはしなくても大丈夫だろうと思ったし、それは結果として当たっていた。

 怪物はまだ死にきれていなかった。

 学校一つなら容易に支配できる大型の晦虫を一刻も置かずに屠る永井かふかの猛毒でさえ、この怪物の王を殺しきることができていない。死んでも死にきれずにそれでも喰らうことを止めることができない、世界にぽっかり開いた断層のようなその飢餓感の正体は一体何なのだろうか?

 カフェを覆っていたパネルは無惨に倒れ落ち、店舗スペースからぬめりけのある巨大な身体が溢れ出ている。蛭の先端に開いた巨大な口は自らの身体を貪り食い、無数のドーナッツを形成していた。


繝槭Φ繝マンマ! 繝槭Φ繝マンマ! 繝槭Φ繝マンマ!」


 誕生会はまだ終わることができない。

 吹き消す人のいないバースデーケーキの蝋燭は未だ煌々と炎が灯っている。


「永井っ!」


 闇に溶け込んだ蛭の身体に目を凝らすが、永井の姿は何処にも見えない。既に細胞の全てが晦虫の中に呑み込まれ、消化されようとしているのか。


「永井かふかっ!」


 晦虫は人の悪意、魂そのものを喰らう。魂は借り物の器と違って一欠片でも残れば再生が可能だが、それでも死そのものから免れることはできない。


「かふかっ!」


 毒が捕食者の身体を殺し尽くす前に、魂全てを喰われてしまえばそこで終わりだ。

 そして、今回に限っては魂の容量は少ない。なぜなら、晦虫が喰らう前につまみ食いをした大馬鹿野郎がいたのだから。


「―――っ!」


 永井の小さな指が見えた気がして足を踏み出しかけた瞬間、蛭の巨大な牙が腕を掠めた。鮮血はたちまち虫の消化器官に溶けていく。他は不衛生極まりないのに深爪をした指はもう何処にも見えない。しかし、銀色に鈍く光るモノを代わりに見つけた。

 僕が家から持ち出した金属バットが晦虫の身体と身体の間に挟み込まれるように漂っている。僕がそれをぼんやりと見つめている間も巨大な尾が何度も掠めて肉を抉り取っていくが、それを無視して足を踏み出す。

 不思議と恐怖はない。

 気がつけば、バットの鈍い光は閃光となり意識を漂白していく。

 懐かしさを通り越して自分の身体の一部となったグリップが掌に収まる。僕は野球そのものよりも素振りのほうが好きだ。身体が旋回すると世界が取り残されていくあの感覚が好きだ。風と一体化して透明になるあの感覚が好きだ。

 しかし、引き抜こうとしたところ何かに引っかかって動かない。何度か力を入れてみるが、その度に逆方向から引っ張られるようだった。よく見ると腕のようなものがバットを抱え込んでいる。それを取り除こうと手を触れたとき、明らかに怪物のものとは違う柔らかな感触に息を呑んだ。


「えっち」


 胃液で溶かされた顔でふてぶてしく嗤う永井かふかがそこにいた。


「バットを返してくれ」

「いや」


 そう言ってバットを抱きしめようとするのだが、抱く腕も足もないので串に刺さるきりたんぽにしか見えない。


「なによいまさら」


 排泄物一歩手前のスライムは怒りに任せて自らの身体を投げつけてくる。

 ほんのり温かいねちゃりとした感触はトイレットペーパー越しに感じる感触そのものであり、当たり前に臭い。


「うん、そうだよ。僕は永井を助けることができない」

「…………」


 言葉では何とでも言うことはできる。

 けれど、僕は永井かふかにだけは虚構や嘘を吐きたくはなかった。

 教室の幽霊が僕に向ける悪意はいつだって”本物”だったのだから。


「でも、おまえだって生き返ったとき、隣に誰かがいてくれた方が嬉しいんだろ?」

「なっ!?」


 だって、僕自身がそうだったのだから。晦虫に殺されかけたとき、永井が戻ってきてくれたときは本当に涙が零れるぐらい嬉しかった。

 この胸いっぱいに広がる、むかついて吐きたくなるような甘い感情は何なのだろう? 間違いなく恋愛感情ではない。恋をしたことのない自分には想像でしかないが、恋は高原に吹く風のようにもっと清廉なものだと思うし、そうあるべきだ。


「生まれた母親の穴でくたばっちまえ、クソメロス!」


 だから、これはきっと憎しみなのだろう。なぜなら憎しみは死んだ後でさえ魂を縛り付けるこの世で最も強い感情なのだから―――。

 僕はこの鼻持ちならない少女の魂を粉々に打ち砕いてやりたい。 

 天を舞う粉雪よりももっと細かく。


「ははは、悔しかったら一秒でも早く生き返って、僕を殺してみろ」


 金属バットがするりと抜けると手を収まる。

 目の前にあるのは闇だけ。敵となるべき投手もグローブを構える内野手もいない。かつて声援を送りあった仲間はもうどこに存在しない。

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