13.光のなかの閃光②

「なあ、叩いてどうにかなるものなのか?」

「普通のクラヤミには無意味。でも、そいつは別。。だから、人間みたいにいくら食べても満足できない。まあ殴れば普通に痛いし、自己再生も止まるんじゃない? 知らないけど」

「そうか、犯人がやっぱりいるんだな」


 家族は散り散りになり、親友と呼べる人間も恋人もいない。あるのは憑りついた幽霊の底なしの悪意だけ。その悪意が自分以外の悪意を踏みにじれと叫ぶ。

 …………本当に最悪すぎて笑ってしまうではないか。


繝槭Φ繝マンマ! 繝槭Φ繝マンマ! 繝槭Φ繝マンマ!」


 バットを思いきり叩きこむと爛れた表面は風船のよう割れ、内側から腐った肉が空気に触れて涙をぽろぽろ流す。それを何度も何度もバットで叩き続ける。ミンチ肉は黒い反吐を漏らし、自分たち以外を祝福する世界への妬みが空気清浄機の吸気口に音もなく吸い込まれていく。


繝槭Φ繝マンマ…………、 繝槭Φ繝マンマ…………、」


 名前の由来となった百獣の王のたてがみは汚水のなかに捨てられ、心地のよい感触も日向の匂いも既に失われた。世界で一番愛しいヒトを見つめ続けた瞳は潰れ、子宮が奏でる音楽を聞いた小さな耳も千切れてしまった。


「…………まま」


 ねえ、どこにいるの?

 おかあさん。

 ぼくは、ここにいる、よ。


「メロス」


 肩を叩かれてハッとすると永井かふかが隣に立っていた。一糸まとわぬ姿で僕のことを睨んでいるのが暗がりでもわかる。


「とどめ、刺さないの?」


 永井が指さす方向に今や小指ほどの大きさになってしまった蛭が埃だらけの床を這っている。必死に、必死に、帰りを待つ誰かの元へ―――。


「言っておくけど、”あの子”が初めてじゃないわよ」


 そう、だろうな。

 バットを握り直そうとした瞬間、明らかに体温よりも熱い涙が流れ始めた。手で拭っても拭っても涙は止まらず、視界はもう何も見えない。

 バシン!

 鼓膜が破れるかと思うような鋭い痛みが頬から耳に突き抜けると永井の声がキーンと響く。


「殺せないなら最初からやるな! クソ偽善者ヤロウ!」


 苛立たし気にバットを奪おうとするがうまくいかず、もう一度頬を張り倒される。


「さっさとよこせ!」


 バットが蛭に向かって振り下ろされる。元より標的がひどく小さいうえにバッセンはおろかスポーツすらろくにやったことがない。が、それでも逃げる相手に当てられたのだから大したものだ。バットは蛭の胴体下半分をぷつりと切り落としたが、残り半分は猛スピードで隙間に紛れ込むとそのまま姿を消してしまった。


「あーあ、つまんない」


 永井はそう言ってバットを投げて寄越すとすっかり元の表情に戻ってしまった。


「お腹減った。帰りのコンビニ寄りたい」


 そう言うお姫様の望む通り、僕たちは行きに寄らなかったコンビニで早すぎる朝食を取った。ちなみに驚くべきことに永井のおごりだ。皺くちゃで唾の臭いのする五千円をポケットから取り出すとホットショーケースに残っていた揚げ物を全部買い占めたのだった。


「ふん」


 唐揚げ一つと鮭おにぎりとカップラーメンを僕に渡すと自分はそれ以外の食べ物をイートインコーナーに山ほど並べてガツガツと食べ始めた。どうやら晦虫に喰われた後は死ぬほど腹が減るらしい。

 ガラスの向こうは朝焼けに染まり、トラックやバンがちらほらと駐車場に停まりだしている。食欲はまるでなかったが、唐揚げを口に放り込むと香ばしい肉汁が広がった。

 ショッピングモールからずっと閉じたままの左手を広げると晦虫の残骸があった。手に取ったときは暗くてわからなかったが、灰の塊のようなものが掌に残っている。


「うわ、メロス持ってきちゃったの? きもちわる」


 肩から覗き込んだ永井が露骨に顔を顰めた。レジで買ってきたコーヒーの紙カップに入れると瞬く間に崩れて砂となる。


「…………骨?」

「水子の骨よ」

「水子って流産した赤ちゃんの?」


 永井は「サイテー」と吐き捨てると目を極端に細めて僕を軽蔑した。永井がどうしてすぐにそれが水子の骨と判った理由を僕は今も知らない。

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