8.白い闇の向こう側①
8 白い闇の向こう側
「…………」
警備員は立ち尽くしていた。目の前には倒れた缶ジュース。プルタブが空いた口からは血が流れるように中身の液体が零れている。
男の喉がごくりと動くのが見えた。周囲をさりげなく見渡してから一歩を踏み出す。恐る恐る動物が罠を警戒するように慎重に缶に近づいていく。
言うまでもなく缶は先ほどまで永井かふかが口に含んでいたアップルジュースだ。通用口に詰める警備員をおびき寄せるための罠である。
永井が言うにはショッピングモールに棲みつく大型晦虫のおこぼれを狙った有象無象がモールの中にはうようよいるらしい。バスターミナルにいた連中に寄生していたタガメ型もそうだし、今、目の前にいる警備員には奇妙な色をしたキノコが身体中びっしりと生えている。しかし、あんなのも晦虫だというのか。
「ハアハア…………」
男の荒い息がまるで耳元近くで囁かれているように無人の駐車場に響く。痙攣した手が缶を掴むと缶の中身をクンクンと嗅ぐ。つんつんと脇腹を突かれたので横を向くと永井は軽蔑するような表情を浮かべていた。
「なんて顔しているのよ」
「いや……ウッ!」
男が缶を口にした。ジュースを飲むというより、缶の穴を舐めまわすような感じだ。それを見て鳥肌が立つのは決して寒さのせいだけではない。ちなみにあの中身はもはや永井かふか汁といったシロモノだ。詳細はあえて省くが、人間が口にしていいものではない…………頭の片隅にちらついただけで気持ち悪くなってくる…………。
「…………よくあんなのを口にできるな」
「あら、私とキスしていたくせにそれを言う?」
「だからだよ」
鳩尾に拳が飛んできた。「しね」と言う言葉も。しかし、事実だ。世の男性は違うかもしれないが、僕にとっては細菌と食べかすと他人の唾液が混ざった使用済のうがい水と変わらない。
とはいえ、作戦通り通用口はがら空きだ。
「パスは取らなくてもいいのか?」
「この時間帯はほとんど通る人がいないから誰もパスなんて通していないわよ。監視カメラもただ録画しているだけだから」
高度なセキュリティシステムもちゃんと使わなければ意味がない。それしても永井はなんでそんなことを知っているんだ? いや、考えるのはよそう。
僕らは通用口を抜けると関係者用の通路に入った。通路の大半は照明が消され、併設された休憩スペースや更衣室、自動販売機コーナーが緑色の光にぼんやり浮かんでいる。見慣れたショッピングモールの裏にこんなスペースがあるとは。今回のきっかけとなった秘密の隠し通路のウワサではないが、少し不思議な気持ちになってくる。
永井は迷路めいた通路を迷わずにずんずん進んでいく。白いパーカーの後ろ姿は瞬きをする度に消えてしまいそうな危うさを感じさせたが、一方で繋いだ掌から伝わる人肌の温かさは―――たとえそれが永井かふかであっても―――安心感を呼び起こした。
「ここよ」
とある扉の前に立つ。扉を少し開けるとウワサのスタート地点となる1Fスーパー側のエスカレーターが奥に見えた。
「あともう少ししたら警備員が場内の巡回を始めるからその後をつけるわよ」
「幽霊みたいに後ろを歩く、てこと?」
よりもよって深夜のショッピングモールで「だるまさんがころんだ」をやれというのか。しかも、見つかれば即アウトの。数時間後、警察署で尋問を受ける僕たちの姿がありありと頭の中に浮かんだ。
「メロスはほんとバカね」
わざらしく大きくため息をつくと、呆れて物も言えないといった調子で永井が言った。
「そこら中に動体センサーがあるのよ。今、場内を歩いたらあっという間に警報が鳴って即終了だから」
だから、警備員が場内を巡回して回る後をついていくしかないと。
「よくマンガとかで宿題や教科書を取りに深夜の学校を歩く話があるけど、あれは昔の話だから。今、やったら警備会社が10分以内に飛んでくるわよ。ふふふ、まあでもアレも抜け道があるんだけどね」
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