第10話 くちゃいくちゃい

ママはわたしをなぜ産んだの?

わたしはどうして生まれてきたの?


わたしを妊娠してこの実家に戻った時、まだおばあちゃんは生きていたんだって。

病弱だけど長年1人暮らしだったみたい。

ママは母親の看病をして仕事して、お腹の中ではわたしを育てていた。

その頃は大変だったけど生きるためだった仕事が今では生き甲斐になって経営も順調なんだからママは幸せだね…なんて言ったら「こっちの苦労を知りもしないで」と怒るんだ。


今は幸せで良かったね、と言われたら普通は喜ぶんじゃないの?


でもおばあちゃんは入退院を繰り返すような状態だったからママはとても忙しく働いた日々だったことの、ひとつひとつを気が済むまで言いたいんだよね、苦労話を。


繰り返す話を聞いてきた中でたくさんの疑似体験をしたけれど…

ママから聞いたのかどうかもわからないシーンもあるんだよね。


あれは、急ぐママの手に引かれてやっと歩いているわたし?

まだ2歳ぐらいの頃なのかな?

手を引かれて転びそうになりながらも長い廊下の窓側を見ていた。

なぜなら、その反対側はドアの開いた部屋で、そこを通ると変な匂いがするから。

消毒液と微かな糞尿が混じり動かない空気に漂い続けて建物に染み込んだ臭気。

そこは病院で、かなり古い病棟だった。

壁の色まで覚えているよ、シミが模様みたいな汚いクリーム色。


しばらくして歩くのが少し緩み、その先の病室に入った。

わたしはママに手を引かれて一緒に歩いているように見えるけど、荷物みたいに片手で持ち上げられて浮かぶように時々足を空転しながら歩いていた。

そして病室の中に入るとママは最初に窓を開けた。

そこには小さな子供が座れるスペースがあって毎回そこで『いい子にして大人しくしているのよ』と言われて、しばらくはお人形のように静かに座ってママのすることをずっと見ていた。


おばあちゃんはもう動けない状態でママのお世話を無反応で受けていた。

病院は完全看護でも細やかな部分の手入れはママがしていた。

おばあちゃんは寝たきりでも頭は無意識によく動くみたいで後ろ髪が枕に擦れて絡まっていた。

それをほぐしていくけれど…

ママは髪の手入れがすごく下手くそで髪にクシが入る時はおばあちゃんがちょっとだけ顔をしかめて反応して力のない小声で言うの「やめて、痛いよ」

その気持ちがとても良くわかる。

ママにわたしの長い髪を結んでもらうとこめかみが引っ張られて痛くて涙が出る。


ママは形を気にするけど人の痛みには鈍感で加減が出来ない人なんだよね。

その痛みがおばあちゃんとわたしの唯一のシンパシーだったかも。


ママは続けて目ヤニを拭き取り、耳の周りを丁寧に拭いていた。

口周りに長く伸びてる白いヒゲを見つけると、うぶ毛ごと剃った。

爪も切って冷たい指先をマッサージすると、おばあちゃんはまた顔をしかめた。

でもママは気づかない、そして言うの。

「まつ毛まで全部白くなったね」

それからママはおばあちゃんの髪を撫でながら哀しそうな顔をしていた。

おばあちゃんは、それには返事も反応もしない。

会話はないまま、静かに儀式のようにママはおばあちゃんの身の回りの世話をしていた。


少し経つと小さなわたしは無情にも騒ぎ始める。

退屈したからではなくて、周囲の臭いに我慢出来なくなってくるからだった。

「ママ〜くちゃいくちゃい!」

半泣きしながら足をバタバタさせる。

おばあちゃんの濁った瞳がわたしを虚ろに見上げて、そっと目を閉じた。


きっと思いやり深い性格だったら子供の頃から自然と言動に出るだろうね。

なんでわたしはあんなに身勝手だったの?

自分の母親がしていることを真似する小さな子供って普通にいるよ。

それが躾だったり教育になるよね。

痛がっていた髪を撫でたり手を握ったり、小さな子でも出来ることはあったのに。


「バーバ」と呟きママの傍らで心配そうにして、一緒に手をさすることが出来たらどんなに良かっただろう。

そんな姿を想像するだけ虚しい。

ベッドの横、窓のそばに座って足をバタバタして、うるさく泣き喚いていた小さな子がわたしの生まれ持った本来の姿なんだ。


おばあちゃんが亡くなったのはそれからすぐだったみたい。

わたしにはその記憶が一切ない。

きっとすぐ泣いてうるさいから、お葬式の日はどこかに預けられていたんだと思う。


火葬場での話、後でママから聞いた。

「長い間、病いでとてもご苦労されて亡くなったのですね」

係の人はいろんなお骨を見て知っていて、おばあちゃんの生前の様子を当てた。

おばあちゃんの骨は拾えなかったんだって。

箸で持つとホロホロと崩れて骨上げ出来る状態ではなかったって。


「そういう骨は長年痛みに耐えた体の骨なんです」

ママは骨が拾えなくて係りの人に任せて見ているしか出来ないから、おばあちゃんが亡くなった後の処置されてたことを思い出していたんだって。

看護師さん達が壊疽で大きな空洞になった背中にたくさんの綿を詰め込んでいて、その周りの骨がどうなっただろう、と。

病んでた部分の骨の色は、いっそう黒く変色してて「お母ちゃん、痛かったね、ごめんね」って、思わずぼろぼろの骨を両手ですくって抱きしめていた。

手の中の灰は人肌みたいな温かさだったって。


「生きながら体が腐っていくってどんなに痛くて辛かったか想像も出来なかったわ」

出来る限りの看病をしてきたけど、思い出すと後悔ばかりだとママはやっぱり何度でも同じことを言い続けている。

そう、ママも可哀想だよね。


おばあちゃんが亡くなった時のわたしは3歳くらい。

まだおねえさんとは出会ってなかったのかな?

その先のわたしの4歳から5歳にかけての期間の記憶は今すぐにでも消したい。

ずっとずっと、苦しいよ。

でも、おねえさんと一緒に過ごした時間でもあるんだよね。

それはどれも大切だから忘れることなんて出来ないんだよ。


5歳の頃のわたしって1度寝かされるとママが戻って来ないのがわかっていたから勝手に起きてテレビを見たり絵を描いたりして夜中も寝ずに1人で過ごすようになってた。

小さい頃から自由勝手にしてたよね、かなりわがままだったかな。

保育園には1年しか行ってなくて、同じ年の子には人見知りして友達が1人も出来なかったよ。

それが思えば最初のスタートのつまずきだったね、ママの育て方のせいじゃないよ。

ずっと大人達の中にいたから生意気だったの。

だからおねえさんが初めて出来た子供の知り合いだった。


本当に規則なんてない気ままな生活をしていた。

夜更かしすることが最初の自由だったかもしれない。

そして気ままにしてきたのに自らやめたことが夜更かしだった。

夜中ずっと起きていると、ママが時々客と一緒に他の店に遊びに行ってしまうことに気がついたの。

いつも流れて聞こえる音楽が消えて無音になるからすぐわかった。


その頃は、もう入ってはいけないと言われていたママの店。

でも異変を感じたらすぐに内扉を開けた。

店内は暗闇でも今までそこにいた人間の温度と匂いが残っている。

顔の正面にその汚れた空気がモワっとぬるく被さって来るからすぐ閉めちゃった。

いつも賑やかなのが当たり前の場所で人がいた気配だけ残して真っ暗になっているのって、すごく怖くて不安になる。

わたしはそういう雰囲気を、子供時代に覚えた。


家の中には誰もいない、それに気づくとわたしは泣きながら外に出てママを探して歩いた。

今じゃ考えられないくらい危ないことだった。

夜に小さな子供が泣きながらパジャマ姿で歩いても誰も気にしないのは狭い地元でわたしを知る人ばかりだったからだと思う。

「ママがいないの」

知っている顔を見つけると誰彼構わず聞いて教えてもらってた。


それを何度も繰り返すから行きつけの店がわかって数軒の場所を覚えてしまった。

わたしが行くと「お迎えが来た〜」とママは諦めて「お開き」と言って一緒に帰る。

だけど、時々その店に引き止められてママの気が済むまでわたしはジュースを飲みながら隅で座って待っていることもあった。

お酒と煙草と化粧と人の匂いが混じり合ったのがわたしの知る夜の匂いだよ。


そのうち、1人で来たのだから1人で帰れるだろう、と追い返されるようになっちゃって…ドアを閉める瞬間…

「ひでぇ母親だな」と言う声と大勢の笑い声が聞こえるんだ。

ママはまだ若くて、やっと少し余裕が出てきた頃だったから今まで我慢してきた分、自由に楽しむ時間が必要だったのかもしれないね。


ママがいない夜

もう迎えに行くこともしないで勝手にいつ明けるのかもわからない長い夜を過ごしていた、ママを待って。

ママがいない夜中、それは家には自分以外、誰もいない空間。

突然耳が痛くなった。


耳が痛いなんて初めてだからすごく怖かった。

両耳を手で塞いで転がって「痛い痛い!」と1人で叫んでいた。

でもそれは痛みというより耳の中で鳴った爆音の衝撃だったので手を耳から離した。

だけど音は止まずに何処かで鳴り続いていた。

ママが帰って来て店でみんなと飲み直ししているのかも、と一瞬だけ思った…けど…

…それはいつもの音楽ではなかったの。

それは、激しく掻き鳴らす三味線の音だった。


家の近くには置き屋と見番があるから太鼓と三味線のその音色は知っていたよ。

いつも聞こえてくるのは昼過ぎから夕方までの数時間だったかな。

その時のは全然そういう普通に聞こえる感じではなく頭の中が掻き回されているような、異質な感覚の痛みで脳から耳全体にかけて攻撃を受けていた。

なによりも真夜中に聞こえてくるような音じゃないよ。


それでも最初は不思議な気持ちの方が勝ってどこから聞こえてくるのか探した。

誰もいない家の中って広くて大きいんだよね。

そのうちにおばあちゃんが居た部屋の方向から聞こえてきているような感じがした。


矛盾するようだけど、その頃のわたしはおばあちゃんという人のことを何も知らないで存在してたことの記憶も皆無だったと思う。

自分の記憶、刷り込まれた記憶も、もう少し成長してから思い出せたもので幼少期の頃って、その時に起きたことを対処するのがやっとだったと思う。

そうじゃなかったら、死んだ人の部屋で音が聞こえるからって真夜中に1人で行けるはずないもの。


その時は音がするから誰かがいると思い、人を探す感覚しかなかったと思う。

わたしの他には誰もいない家なのにね。

きっと店だけじゃなくて日中の家の中もいつでも他人がいる感覚に慣れて習慣になっていたのかな?

すぐに自分がいる母屋から長い廊下の先にある離れに行ってみた。

そこは自分には用のない場所だからそれまで足を踏み入れたことがなかったの。

暗い部屋を閉め切っている白い障子戸はあたりを少し浮き立たせているだけで人の気配はなかった、当たり前だけど。


三味線の音は圧迫するように頭の中でずっと不自然に響いていた。

でも、その音は恐怖を伴ってやって来たものだってことがわかったの。

音に気を取られてて視界の隅に蠢くものを見つけるのが遅れちゃった。


おばあちゃんの部屋の前の廊下の突き当たり、物置になっている薄茶の木の扉がいつのまにかユラユラしている。

変な動きだったし薄暗かったから目を擦ってもう一度よく見ると、薄い茶色だった扉の真ん中に大きな黒い影が出来てきて、あっというまに前方に浮き出てきたの。

その黒い塊の上には坊主頭が乗っていた。

頭は坊主だけど、老婆の顔がハッキリ見えた。

こっちを見て目が合ったとき人間だったんだと思って油断した瞬間だった。

いきなりこっちに向かって走って来たの。


三味線の音はいつのまにか消えて、わたしは逃げる間もなく捕まってしまった。

「おまえは悪い子だ!」

いきなり発した震えた怒鳴り声、老婆はなぜかすごく怒っていた。

「おまえは悪い子だから、こうしてやる!」

わたしは突然押さえつけられて全身をくすぐられた。

夜中、家の中で知らない人にくすぐられたんだよ。

言葉にすると笑っちゃうよね。

でも当時のわたしには恐怖の塊だったよ。


体中に指がたくさん這うように動いてわたしをくすぐり続けるの。

どんなに暴れても「やめて」と抵抗してもブルブルと指は脇の下や足の裏までくすぐるのをやめてくれない。

「お前は悪い子だ」

ヒステリックな老婆の声も止まなかった。

「ごめんなさい!」

恐怖とどうにもならないその状況とでわたしはパニックでずっと叫びながら謝り続けたと思う。

『悪い子だ』と言われる理由もごめんなさいと謝る理由もわからないまま。


解放されたのはいつだろう?

気がつくとベッドの中で朝になっていた。

こういうパターンって夢オチしかないよね。

実際にわたしは廊下じゃなくてベッドにいた。

だから、とても怖い夢を見てしまった、と思いたかった。


でもその夜から、遅くまで起きていると三味線の音がまた聞こえてくる。

津軽三味線を乱暴に掻き鳴らしたような激しく長い旋律。

そして坊主頭の老婆がどこからともなくわたしの前に現れた。

起きているとくすぐられるので家の中を逃げ回るけど必ず捕まってしまう。

ママが店にいても老婆は現れた。

そしてどんなにママを呼んでも声は届かない。


季節は冬だった。

わたしは老婆が怖くて、でも懲りずに夜更かしをしていてコタツでそのまま寝たふりをしたこともあった。

中に潜って老婆が消えるのを待つんだよ。

三味線のがなる音と共に老婆はすぐ現れるけど消えるのも早かった。


それが成功してからは三味線が聞こえて寝室のベッドに行くのが間に合わない時、すぐにコタツの中に潜り込んで隠れるようになった。

どこかから老婆がこっちに向かってパタパタと廊下を走って来る時、着物の衣擦れのシュシュっという音が一緒に聞こえて近づいてくるのがわかってドキドキしていた。

何度も来るから塊に見えてた老婆の黒装束が黒い着物だとわかった頃の話。


老婆の足音が止んだ時は自分の目の前に来た時なんだよ。

ソッとコタツ布団を開けてみる。

両足揃えた白い足袋がこっちを向いていた。


怖すぎてコタツで朝まで隠れて過ごしたこともあったけど、動けなくて汗びっしょりで気持ち悪くなって…もう逃げ場がないよね。

夜は起きずに寝ていると出てこないということにようやく気がついてからは朝まで大人しく寝るようになってた。


三味線と老婆はその時期だけの現象だったけど…

それから中学生ぐらいになるまでは心のどこかでいつも怯えていたんだ。

そのうちにまた出てくるんじゃないか?と思って…

だって、わたしは悪い子だからね。

ママには黒い着物の老婆のことを言っても信じてもらえなかった。

だけど、三味線の話をした時にアルバムを出してきて見せてくれたの。


「リアのおばあちゃんはね、三味線のお師匠さんだったのよ」

1枚の古い写真を指した。

黒い着物姿の女性が三味線を弾いている姿が写っていた。

坊主頭ではなく日本髪を結った若い顔だった。

「リアの言うことが本当なら、それは死んだおばあちゃんね」

母親の一言って、どうしてこんなにも強いのだろう?

その一発肯定はわたしへの烙印になったんだよ。


この話をおねえさんにした後も何度でも戒めに思い出していた。

なんだかね、恐怖だった『くすぐり』には意味があったと最近思うの。

夜はちゃんと自分の布団で寝るようになったことも。



 






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