第6話 おばあさん、ごめんなさい
リアちゃんは時々夢の中で空を飛ぶ。
一般的にいう幽体離脱という現象だろうか?
たいがいは低空飛行で川原の流れに沿って水面ギリギリを飛んでいるらしい。
低い時は低いまま。
高い場所ではコントロールが出来ないらしい。
そして無理して上空に行こうとするととても疲れるらしい。
実際に目を覚まして起きた時には手足と頭が鉛を纏ってるみたいな重怠さだとか。
山は夜の空に穴が開いた暗闇の色。
そこから生まれる霊気が川の水飛沫と絡み合い、飛んでいる自分の顔面に触れる。
冷たさを感じる前に冷たいだろうな、と思った瞬間に意識が戻り、布団の中で横たわっているのに気がつく。
戻る時も唐突で何度も同じ経験していても悪夢と同じでコントロールが出来ない。
とても不思議なのは、リアちゃんに聞いた体験談なのに思い出すと自分が経験したような気分になっている、いつのまにか。
満月の夜
障子窓が青白く明るい光を反射していた。
そこに庭木の枝影が細部までくっきりと浮かぶ。
幻想的な模様を目でなぞりながら自然と眠りについた。
次に目を覚ましたら天井が目の前にあった。
ぶつかりそうになったので驚いてギュッと目をつむると、いつのまにか屋根のはるか上空に飛び出ていた。
足先から血の気が引いていくゾワゾワした感覚がして浮いたまま手足を縮めた。
リアちゃんは高い所が苦手のようだ。
ソッと庭の梅の木の上まで降りてから次に着地する木を探して浮遊する。
横の導線は自分の意思で動けるらしい。
近くの保育園の長い屋根には月の光が伸びていた。
真昼の小川のように反射で白く濡れた光が眩くて綺麗だったので見惚れていた。
普段とは違う視点から見る景色は新鮮で飽きないらしい。
「外に出て行くのはいいの、でも人の家の中に入ってしまうことがあるんだよねー」
勝手に呼び寄せられるので不可抗力だけど泥棒の気分になるらしい。
リアちゃんは悪いことをして捕まった人のようにその先を言いよどむので思わず「…それで?」と自分の事のように深刻な声で催促していた。
「大きな窓がある部屋なら、なんとなくそこから出て行く感じで考えているとベッドの中で目が覚めるのに、この前行った家の部屋には細長い下窓しかないから、どうしたら出られるのかわからなくて暗い室内でウロウロしちゃったの、きっとその時に音でも立てて気づかれちゃったと思うのね〝コラー!〟っていきなり怒鳴り声がしたんだよ」
リアちゃんは家の人に見つかってしまったと慌てた。
声は襖の向こう、多分廊下から聞こえたので、今にも開いてその家に住む誰かが入ってくる…顔を両手で隠して身を縮こませた。
見つかる前に出来れば逃げたい。
そんなギリギリになってまでそこから出る方法を考えていた。
浮遊している時の手は自分のバランスをとるだけで物に触れることは出来ない。
どうせ動かせないとわかっているのか下窓を開けて出るという頭で考えることじゃなくて本能に任せて体当たりの覚悟でスライディングしようと、もっと身を低くした。
リアちゃんは身を低くした姿勢のままベッドで目が覚めた。
だから、夢を見ただけと思ってすぐ忘れようとした。
でも、ただの夢としても後味が悪くて忘れることなど出来なかった。
「だからね、怒られたまま逃げてしまったから謝りに行きたいの」
「…え、どこに?」
「わたしが夜中に侵入してしまったお家に」
「どこの家かわかっているの?」
「うん、たぶん、知らない家だけど見たことある」
全く知らない家なら夢の出来事で済んだのにリアちゃんには既視感があったようだ。
「でも行ったとして、家の人にはどう説明するの?」
「家に行けたらそれでいいの、ただ…」
「ただ?」
「おねえさんは知っているでしょ、わたしはお婆さんが苦手なの」
「…そうだったね」
「コラ!って言ったのはお婆さんの声だから、ちょっと怖くて1人では行けない」
リアちゃんは思い切り眉をひそめて「一緒にいて!」と懇願した。
その家はすぐに見つかった。
夢の記憶を確かめながら探す時にリアちゃんは屋根や木の高さに目を丸くしていた。
暗い夜に自分が飛んでいた空間を朝の明るい時間に改めて確認して想像して鳥肌を立てていた。
「あ、見つけた」
住宅地の奥の隅。
数軒が雑に向きを変え点在していて道なのか庭なのかわからない。
スペースの狭いどん詰まりにある一軒家の前でリアちゃんは立ち止まる。
「ここだよ」
「確かに特徴的で覚えやすい場所だね」
その家からジョウロを持ったお婆さんがタイミング良く出て来て玄関前に並べている植木に水を差し始めた。
その家には本当にお婆さんがいた。
「あの、、すみません、お婆さん、おはようございます」
リアちゃんは少し離れた場所から台詞読みのような声掛けを別人みたいに小さな声で呟きオドオドしながら玄関に近づいた。
お婆さんはリアちゃんに気がつくと水やりしていた手を止めた。
黙ったままリアちゃんの顔を凝視して驚き、水が入ったジョウロを持ったまま、慌てて玄関の中に入って扉を閉めてしまった。
それは老人とは思えない素早さで声をかける暇もなかった。
だけどリアちゃんはお婆さんが家に入ろうとするのとちょうど同じタイミングで頭を思い切り下げ、身体半分に折りたたんで謝っていた。
「お婆さん、ごめんなさい!この前は知らないうちに申し訳ございませんでした!」
頭を下げたままのリアちゃん。
お婆さんはすでにそこにはいないけど、あっという間だったから気が付いてないんだろうな、と声をかける。
「リアちゃん、もうお婆さんは中に入ってしまったみたいだよ」
頭を下げたまま動かないので肩を抱き起こした。
リアちゃんを支えながら玄関扉の真ん中にあるガラスの飾り窓を見ると、お婆さんの姿がおぼろげな影の動きで奥へと素早く消えていったのが確認出来た。
リアちゃんの謝罪はお婆さんには届かなかったようだ。
「おねえさん、なんて?」
「え?」
「今、お婆さんが中に入ったって言った?」
「え?うん、まぁ、逃げたというか、そんな動きに見えるくらい素早かったよ」
「…お婆さん?」
リアちゃんは改めて閉じた玄関前で呼びかける。
「だから、ジョウロ持ったまま、慌てて入って行ったって」
「ごめんください」
突然その家の呼び鈴を押し、今度は大きな声で呼びかけた。
すぐに誰かの影がガラス窓にボヤけて映り、女性の返事とともにドアが開いた。
「あら、あなた、見たことあるわね!」
さっきのお婆さんではなくて中年のおばさんが出て来た。
おばさんもリアちゃんを見て驚いている。
そうだ、忘れていたけどリアちゃんは地元では有名人だった。
リアちゃんを見て反応する一般人を目の当たりにして自然と一歩引いて見ていた。
おばさんはリアちゃんを見て、突然訪ねたというのに愛想良い笑い顔を見せた。
「うちに何か?」
「ここにお婆さんが…」
リアちゃんがまだ何も言い終わらないのにおばさんの目が見開いて両手を口に当てた。
「母を知っていたのですか?」
「はい、少しだけ…」
「ごめんなさいね、あの、先月亡くなりましたの」
「えぇ!!」
思わず出た声がリアちゃんではなく自分だと、出た後で気づき叫んだ後だけど慌てて口をつぐむ。
リアちゃんは今までと変わり少し引き締まった表情になる。
「玄関先でよく水やりしていませんでしたか?」
「はい、はい、そうです!」
おばさんは頷きいつのまにか子供のような警戒のない返事をしていた。
「ジョウロを持ったまま、いつも玄関に入っていきました?」
「ええそうなんですよ、ここは吹き溜まりで外に出しておくと水が入っていても突風が吹くと倒れてどこかに転がっていくので今もそのまま玄関の中に置いています」
「そうでしたか、それからおばさん、お家の中に下窓しかないお部屋はありますか?」
「ええ、あります」
おばさんは、なぜ知っているのか?と言いたそうな表情だった。
でも深くひと息吐くと「それは母の部屋で、今は仏間です」と答えた。
「ごめんなさい、わかりました」
リアちゃんはスッキリと納得した明るい表情になる。
「おばさん、植木に水をやるのを忘れないでくださいね、きっとお婆さんは気にしていると思います」
それは些細なことだけどメッセージとしての強い言葉に感じた。
亡くなった家族からもう2度と聞くことのない意思表示だから。
口に手を当てたまま、おばさんは呆然として動かない。
「それでは、今日は突然失礼しました!」
リアちゃんはおばさん越しに家を見上げ、もう1度深く頭を下げた。
そしてこっちを振り返り「帰ろう」といつもの表情で微笑んだ。
2人並んで歩き出すと「ちょっと待っててください!」と、おばさんが呼び止める。
おばさんは玄関に入るとすぐまた出てきた。
「ごめんなさい、これ少ないけど」
おばさんはリアちゃんの手にお金を握らせようとしている。
「どうしたのですか?」
お金は見ずにおばさんの目を見た。
おばさんの目には涙が溢れて細く啜り泣いている。
「母が植木を大事にしてたのに水やりしてなかったわ、ずっと」
「そうでしたか」
「植木は生きている植物を鉢植えにしているのだから人間は責任持って育てるの、と母が言っていたのを思い出しました、大袈裟な物言いが鬱陶しくていつも聞き流していたわ、ごめんなさいね」
リアちゃんはおばさんの手を包み込んでお金は受け取れないと謝った。
そこで別れて私達が道を曲がり姿が見えなくなっても、しばらくは頭を下げて見送っているような気がした。
「おねえさん、アシストありがとう」
リアちゃんはイタズラっぽい笑顔を見せた。
そして起きたばかりのように全身をグンと伸ばす。
「良かった、これでスッキリした」
急にご機嫌になって鼻歌が聞こえそうだ。
「わたしはお婆さんの部屋へ行って見つかって悪いことした気分だったけど、こんなことってあるんだね」
「リアちゃんはあの家のお婆さんに呼ばれたってこと?」
「どうかな?自分の意思で動いてるわけじゃないから夢遊病みたいだよね」
「夢遊病だとしても、なんだかあのお婆さんに導かれてた感じよね」
リアちゃんは慎重に答える。
「でもわたしはお婆さんの部屋に勝手に入ってしまって怒鳴られたんだよ、そして謝りたいと思っても相手がお婆さんだとわかっていたから困っていたの」
そこまでは理解出来る?とリアちゃんは目で聞くので私は頷く。
「そこでちょうど帰ってきているおねえさんが目に浮かんで頼っちゃえと思った」
「おねえさんは何かを察してくれて坂にきたでしょ?そして付き合ってくれて…わたしはあの家の部屋に向かって頭を下げて謝ってそれで済ませたつもりだった、声の主の姿は1度も見たことないし最初から何も見えてなかった」
「え、あんなにはっきり見えたのに?現実の人だと思っていたよ」
「おねえさんは見える人だもんね、わたしは見る確率が低いから助かる!」
リアちゃんは出会った時と変わらない屈託のない笑顔を見せた。
「たったこれだけでも偶然という奇跡がいくつあったのかなんて、おねえさんはきっと何も考えてないと思うけど」
意味深なことを言った後、もっと意味深なことを言った。
「生きているうちだよ、いろんなことを思ったり考えたりしようよ!死んだら終わり、脳みそがなくちゃ思念しか残らないんだから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます