第5話 うるさい!!

お節介さん。

周りを見まわしたって私達以外誰もいない。

坂から見える景色の中には住宅の屋根が重なっていくつも見えるけれど、ここから確認出来る数カ所の窓にも人の気配は感じない。

パキン

時々お節介さんと鳥の声が聞こえるだけ。


鈴虫坂は地元のマップには記載されてない。

駅裏の狭い路地が入り口と知ってても、うっかり通り過ぎてしまうような場所。

これでも坂下周辺に住む人々には駅への近道だから便利なはずだけど…

急な坂だから雨の日と冬はすべり台に早変わりする恐ろしい機能を持っていた。

足腰悪い年寄りはもちろん誰にも利用されずに、やがて忘れ去られて私達だけの居場所になっていた。


小学3年のあの頃から私は時々学校をサボってここで本を読んだり、ぼんやり取り留めのない空想してはいつのまにか居眠りまでして長い時間を過ごしていた。

ここなら家や学校とは違って誰もいないから怒られることはない。

喉が渇いてもお腹が空いても学校より家より何もない坂が隠れ家みたいな居場所になっていた。

夏は夕方になると河原から風が吹いてくる。

山から吹き下ろされる新鮮な空気が水に冷やされて首をすり抜けると目が覚めて家に帰る時間だと知る。


この静かな私だけの場所にまだ4歳だったリアちゃんが来るようになったのは、多分、たまに一緒に遊んでて後追いされたからだと思う。

隠れていたら見つかった、そんな感じでリアちゃんを受け入れた。

それまではお互いの家の近くでたまに一緒に遊んでいるだけだった。


この坂ではリアちゃんにたくさんの物語をせがまれた。

毎日だから知っている話が尽きると適当な作り話をした。

小さい頃のリアちゃんは私の話を聞きながら眠ってしまうことがあった。

そんな時はお互いに身体を寄せ合って眠っていた。

お互いの寝息に誘われて無意識に睡眠を深くさせていたような気がする。

リアちゃんは子供なのに夜はあまり寝てないみたいで私の膝にコトンとすぐ倒れるように横になって眠ってしまう子だった。


思い出してみると私には物語を作るセンスがなかった。

カエデさんにした怪しい大人から逃亡する大冒険活劇の失敗を反省することもなく。

リアちゃんはそんな私の話を大人しく聞いてくれて、いつまでも続きをせがまれた。

どこかで見て知った、母親が眠らない子供に童話を読み聞かせするようなワンシーンの優しい世界観、そんな再現ごっこを楽しんでいたのかもしれない。

そして話しているうちに自分までウトウト眠ってしまう。

よく話してよく眠れる場所、2人一緒に過ごす時間はとても大切だった。


「おねえさんと、ここでゆっくりもっともっと話をしていたいところだけど、ちょうど今、緊急事態が起きてて…これから付き合って!」

わざわざ私の仕事しているところまで来てくれたのには単に会いたいだけじゃなく何か訳があったのか。

「付き合うよ、リアちゃんといると不思議なことがたくさんあって面白いからね」

いきなりリアちゃんが抱きついてきた。

「あー、やっとおねえさんが帰って来てくれた」


ここに戻るまでの6年間は時々だけど電話でやり取りしていた。

不思議なことに離れていてもすぐそばにいる感じがして家族より近い存在だった。

働いている場所の契約期間が終わる前には必ず報告をすることになっていて次の働く地域をリアちゃんはダウジングで指示してくれた。

私はそれに従って次の勤務地の希望を出した。

『あの男』を探す手掛かりを手伝わせてしまったけれど、私にはとうとう見つけられずにここに戻って来た。


1度だけタロット占いもしてくれた。

それはリアちゃんが中学生になったばかりの頃だったかな…

まだやり方に慣れない頃に練習として私はリアちゃんとの関係を占ってもらった。

『好きだけど別れる』という結果が出た。

「どういうことだろうね?」

一瞬戸惑ったけど私は家を離れることになっていたので〝そういうことなのか〟と妙に納得して当たっていると思ったけれど、リアちゃんは気に入らなかったようで「これは合わないからもうやらない」と言ってタロット占いそのものを辞めてしまった。


こっちに帰ることを知らせた後あのドラックストアで会うまで連絡してなかった。

でも私がそこで仕事しているのをリアちゃんは知っていた。

教えてないので偶然見かけたとは思えない。

私は店内の奥まった場所にいたのだから外を通っただけではわからない。

だけど今ここで会えたことも含めて全部、どうしてなんて理由は聞かない。

ダウジングしたのかな?と勝手に思っている。

パチッ

手摺りの剥がれかけた塗装が弾ける音がした。


「おねえさんも聞こえているよね?」

プチン

パキッ

「うん…相変わらずしているね」

「お節介さん、久々におねえさんに会えて本当に嬉しいみたい」

ピキン

「まるでお返事してるようなタイミングで鳴るのね」

笑ってみたものの、気になって音がする方に振り向いてしまう。

「そう、おねえさんと一緒だといつもより盛んに鳴るんだよね、きっとこの会話を聞いて参加しようとしているかも」


リアちゃんが霊能者なのは本当だと思うけど世間で知られているのとは違うと思う。

こんな感じの現象を見て聞いて知ったからといって、誰にどう説明出来る?

そして誰が信じてくれる?

心霊現象の話なんて、大体が気のせいとか言われて変な人扱いされる。

『スピリチュアルとかそっち系がお好きですか?』と。


それにしてもなぜ、こんなに音が鳴るのか?

枝などないのに、なぜ枝が折れるような音がするのか?

一体どこから音が発生しているの?

気のせいと思う暇もないほど、相変わらずハッキリといくつも音が鳴っていた。


この現象はずっと前から続いていたけれど、私はリアちゃんとは違ってすぐに慣れるという感じにはならない。

久しぶりとか、懐かしいとか、言えるようなことでもなくて。

なんとか動悸を抑えて平静を保とうとする。

でも、じきにまた慣れるだろう、あの頃のように。

私とリアちゃんのたくさんの秘密をここで聞いて知っているのはまだ名前もついてなかった頃からのお節介さんだから、あの頃から仲間感覚なのだ。


「戻って来れたなら、おねえさんにはこれからは時々でいいからわたしを手伝って欲しいなぁ〜わたし結構忙しいんだよね、無職だけど」

「えー?リアちゃんの手伝いって?聞く前だけど断りたいよ、私には無理だよ霊感なんてないもの、時々見えるだけで」

驚きながら慌てて首を振る。

「笑える」

リアちゃんが意味深な笑い顔で答えた。

プチパキ

細い破裂音が連続で小さく響き…

…それがなぜか悲しんでいるように聞こえた。

「この音って、リアちゃんに共鳴しているのかな?」

「ちょっと違うかな、ラップ音はお節介さんとしてちゃんと自立しているよ」

ラップ音の自立?


リアちゃんは錆びた手摺りを横目で振り返り、見えないものに許可を求めるように目を空に向けた。

本人には何気ない視線の移動かもしれない。

でも私には何か意味があるように見えてしまう。

リアちゃんは両手の細い指を祈るように組んでアゴを支えた。

「これは音だけなの、本当にそれだけで、おねえさんが泊まったあの夜に起きた時もそうだったように何も見えないけど音の場所はハッキリとわかる感覚だけの現象…としか今も昔もそれ以上のことはわからないけど」


…あれは、坂に行かない日にはお互いの家で遊んでいた頃のこと。

リアちゃんのママが新しい店舗を自宅の敷地内に増築した。

その増築の2階に自分の部屋が出来たから、と誘われて初めて泊まりに行った夜。

お節介さんが存在するのは坂だけではなく、リアちゃんのいる場所全部だった。

ピシッ

まだベッドがなくて部屋の真ん中に布団2組を敷いて仲良く並んで寝ていた。

新しい畳や木材、壁の匂いを嗅ぎながらポソポソとおしゃべりをしていた。


部屋の下からはリアちゃんのママが新たに経営する居酒屋で賑やかなカラオケの曲と客の歌声が直接背中に響いていた。

「前はね、barの隣りの部屋で寝ていたから歌詞のない曲が聴こえて低い音だけ壁から伝わって耳に響いていたんだよ」

ジャズ、ボサノバ、店に流れていたのは聴いたことがあっても知らない曲名達。

響いてきたのはベース音、それだけだと変なリズムの余韻だけが耳に残るようだ。


「なんかそれカッコイイ感じだね」

「うん、今度は全然違うから慣れるかな〜」

外れた音程の大声で歌っているのはヒロシ君の家の近くの電気屋さん。

リアちゃんのママは気さくでお人好し、と界隈では人望があった。

barの移転先が居酒屋になっても盛況な雰囲気を感じた。


そんな賑やかな環境の中で、その音は異質だった。

ピシパキポーン

どこからか3連続で音が鳴った。

家が新しいとしばらくは『家鳴り』という木材が乾燥して音が出る。

確かそんな現象があることは知っていた。


家鳴りは意識し始めると部屋の中で頻繁に鳴るように感じた。

パキン プチ パン

聞いていると、あることに気がついた。


窓のサッシが触れてもないのに静電気みたいにパチッと弾けた音が鳴った。

ガラス窓もピシッと何かがかすったような音がした。

電灯のプラスチックのカバーがポンと弾くように乾いた音を立てた。

家鳴りじゃない。

目に見えない虫が当たったようにも聞こえるので見回したけれどわからない。

気がついてからは、音のする方向を見るようになった。 

まるで音がするその場所に何かがいるような存在感がし始めた。


1番よく鳴っているのが天井板、それから四隅の角やボードの壁の中、くぐもった音。

天井は弾けるような音が自由に動き回り位置を変えては頻繁に鳴る。

それは人の感覚でいうと、機嫌良くスキップしている感じに思えた。

プチン、パチリ、パン、とリズミカルに響く。

気ままな性格なのかな?と擬人化したくなるほどだった。

 

私には初めてでもリアちゃんは慣れているのかラップ音を気にしてないようで私とは話し足りない様子で眠る気配はなかった。

だけど、さすがにカラオケにも負けない存在感でパキポキと音が部屋中から弾けて聞こえ続けるとリアちゃんはイライラし始めた。

私が初めて泊まったあの夜、きっとリアちゃんはもっと楽しく一緒に夜更かしして話したいのに私自身は音に気を取られてしまいリアちゃんの話をちゃんと聞いていなかったからだと思う。


「うるさい!!」

突然リアちゃんが天井を見たまま叫んだ。

何も見えないけれど、音のする天井に向かって怒鳴っていた。

数秒、空間の広がりに緊張感が張り詰めたようにシンとした。

『ドカ』『ドスン』

途端に今まで聞いたことのない鈍くて重い音が天井のあちこちから響いて、音が揺れるのを感じた。


天井が降ってくる?

そう感じるほどの大きな響きに思わず2人揃って無言で布団を被った。

リアちゃんを見ると布団を被って耳を塞いでいるけどどんな表情でいるのかは見えなかったのでわからない。


心のどこかでリアちゃんが『うるさい』と言ってしまったことを早く謝ってしまえば収まるのでは?と思ったけど私の口は閉じたままだった。

『ズシ』と空気をミシミシビリビリする音は天井裏を巨人が歩いていて、そのうちに天井が抜け落ちるのでは?と不安になった。

『ドシン』『バシン』

振動を伴う音がする長い夜を、私達は耐えなければならなかった。

布団に潜りながら自分の心臓が音が鳴るとバクバクと身体の中で振動して苦しくなるのを感じていた。


音はそれまでとは違い間隔を開けて一晩中鈍く太く鳴り響く。 

『怖い』と思いたいけど、音程の外れた歌声が下からも響いていた。

布団を被ったまま、どのくらい経ったのだろう?

爆音が止んだのか?カラオケも止んだのか?自然と眠くなったのか?私達はいつのまにか眠っていた。


その翌朝、現象は消えていて何事も無かったような静かな部屋で目が覚めていた。

不思議なことに普通に目覚めると昨夜のことは夢だったのか?と一瞬思ってしまう。

でもあとで話を聞くと

「…それでね、すごく懲りたから次の日の夜寝る前に天井に向かって謝ったの、ごめんなさい!もう2度とうるさいって言いませんって」

「それで、許してもらえたの?」

「わからない、それからピタッと音が鳴らない期間があったと思うけど、いつのまにかまた鳴っているよ」

「そう」

リアちゃんはずっとラップ音と一緒に普通に生活していた、ということがわかる。

名前を付けて呼んでいるくらいに。


私がリアちゃんの部屋で初めて感じたことは不思議な家鳴りが爆音に切り替わった時点で『ナニモノ』かに思えて存在するモノとして意識した。

意識したからなのか?

それとも、それ以前から鳴っていたのか?

鈴虫坂でリアちゃんと話しているとラップ音が時々聞こえるようになった。

確かに音が鳴っているだけで、だから何かが起こるという事象は1度もなかった。

『ナニモノ』が何かが起こる前兆ということでもなかった。


「ねぇ、あの時リアちゃんがうるさいって言って怒らせたよね、でも謝ったら許してもらえたってことかな?」

人間同士で喧嘩した後の仲直りみたいな…

「うん、それからは時々話しかけるようになった」

「会話出来るの?」


「ラップ音はこっちが一方的に言葉で『おはよう』や『おやすみ』を言うといろんな音で返事してくれるの、その逆もあって音が聞こえた後に挨拶することもあるし、それに便利なこともあって朝とか起こしてもらえたり、予期しないこともお知らせの感じのラップ音で家に突然人が来るとか前もってわかるから助かってるの、宅急便の荷物とかも…いつもってわけじゃないけど」

「…それは何だか、面白いというか、不思議なふれあいなのね」

しっかりとコミュニケーション取れてる感じがした。

「だから、お節介さんて呼んでいる」

「すごいな、便利屋さんの一面もあるんだね〜」


「でも、いつもそばにいるわけじゃないし、音がするだけで他には何も特別なことはないよ」

「うん、音だけってことはよくわかるよ」

「この話をしたの、おねえさんが初めて」

「えっそうなの?」


「だって、おねえさんみたいに一緒に体験してもそれをわたしと同じように理解してくれる人なんていないもの」

「理解も何も、あの場所で聞いて知っているから否定はしないよ、今だってこんな外でも鳴っているんだもの」

パシッ

「うん、でもね、中学2年の時に心霊現象に興味があるって同級生がいて少し話してラップ音にも興味があるって言うから遊びに行って置いてきたの」

「置いてきた?ラップ音を?」

「わたしは初めての試みって感じだったから付いてきたのをその家に置いて帰るというイメージでやってみた」

置いてくる?…音を?


「おねえさんにはラップ音は聞こえてたけど、もしかしたらこの現象は他の人には聞こえないのかもと思って、不安だからいつか他の人でも試したかったんだよね」

「私が感じたことも含めて幻聴かもって?…それは確かに私も不安になるわ」

集団催眠という現象は存在すると思うから何でも心霊に結びつけるのは危険かも。

「試すことそのものも、それがどうなるのかなんてわたしにも全然わからなかったけど、その結果が夜になって電話が来て、家族がパニックだからどうにかしてって…」


「うわ、それってリアちゃん本当に置いてくるのに成功してたのね!」

「でも夜遅かったからもう迎えに行けないし、とりあえず音だけなので大丈夫、と言って翌朝すぐ学校行く前にその家に行ったんだよね、ちょうど玄関に同級生の弟がいて、こっち見て叫んで逃げたの『うわ!宇宙人が来たー』って…登校前なのに部屋に閉じこもってしまったって…わたし、それ以来お節介さんの話は誰にもしてない」


『宇宙人』と呼ばれる経験はなかなかないだろうな。

リアちゃんの話を聞いて笑っていいのかダメなのか、わからないので黙っていた。

 

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