第4話 お節介さん

子供の頃の遊びのひとつ。

「ねぇ、今度はあの大きな雲はどう?」

「入道雲かー!厚くてすごく手強そうだね」

「あの真ん中なら出来るよ、おねえさんやってみようよ」

「うん、いいよ」


出来るなんて思わなかった。

例えば手を伸ばせば届く位置だとしても…。

だけど、ぶ厚い層の真ん中を見つめているだけで雲には円形の穴が空いた。

「白いおうちの青い窓みたいだねー!」

計っていたわけじゃないけど、数分もかかってない。

風のない日の無邪気な遊び。


「なんだかお腹空いちゃった、この遊びはお腹が減るよね」

「今日はもう帰ろうか?」

「えー?まだまだ遊びたいよ」


空に浮かぶ雲を崩すのは、いつもリアちゃん1人でやっていたことだった。

私は一緒に雲を見ているフリをして横目でリアちゃんの真剣な眼差しを見ていた。

真っ直ぐ、山の背を超えて遠く高く立ち昇る真っ白な雲を瞬きせずに見つめていた。

雲の真ん中で大きな揺らぎが始まると、周囲が溶けて崩れるように歪な丸い穴が出来てきて、私は無表情にしていたけれど、いつも驚いていた。


「また出来た」喜んで視線を私に移して言葉を発すると雲はたちまち形を崩して元に戻る。

きっと誰も知らない。

穴の空いた大きな入道雲なんて見たことないだろうな。

私達の住む街には空を見上げて雲を眺めるような大人はいないから。

私はどこにいても変な形の雲を見るたびにリアちゃんを思い出していた。


「いつか、雨の日の空に穴を開けてみたいな〜」

挑戦しても全然ダメなんだと言っていた。

「きっと綺麗だよ!灰色の空の下でキラキラした光が自分だけを包むの」

その頃は知らなかった言葉『天使の梯子』

リアちゃんが自ら作り出そうとしていた憧れの景色。


もう1つふたりで作った『おまじない』の秘密の儀式があった。

『おまじない』は願いと呪いのエゴイズム。

人を嫌いになる理由を口に出して言えるものなら気楽に『嫌い』と言えたのに。

理由は言えず、言える言葉も見つからず幼い心に憎悪だけ膨らませた私達は吐け口を作って遊びにしていた。

私達は嫌いな人間が不幸になるように念仏みたいにひたすら名前を唱えて試した。

でも、それはただの時間潰しで、叶ったことなど無い…と思っている。

 

「トモシビトモシビトモシビトモシビ…」

人の気配がない鈴虫坂で幼くて可愛いハモリ声が囁く。

風に揺れて坂の手摺りと同じ錆び色の枯れ草がクルクルと舞って何処かに運ばれた。

名指しの『ともしび』は何事もなく毎日元気に悪事を繰り返していた…。

『おまじない』は自分の尖る感情を抑えるために必要だった儀式。


子供時代の体験は知らず知らずのうちに意識化の土台になる。

それに気がつくのは人それぞれで私は大人になるまでわからなかった。

リアちゃんはどうなのかな?

私より遥かに聡いから、きっと…。


私が家を離れた時はリアちゃんはまだ中学生だった。

あれからすっかり雰囲気が大人っぽくなって私の目をとらえたまま、みじろぎもせずにゆっくり小首を傾げる。

お互い会えなかった6年間を見透かすような時間が流れる。

リアちゃんは笑うとまだ高校生のようにも見えて、あどけなさが残っていて可愛い。

 

電話でやりとりしてた時の声は変わらないけど確かに月日は流れてたんだね。


リアちゃんに会えたら今までの6年間が大昔みたいで、もう懐かしい。

離れている間、数ヶ月ぶりの電話でも昨日の続きのような話をした。

『ね、リアちゃん世の中ってどうなっているの?また見つけちゃったよ』

『え、どんな?』

『夜の電車内で女子高生睨みながら性器しごいていたのが背筋伸ばした偉そうな爺さん座席で足を広げたまま人が通ると新聞で隠していた』

『で、どうしたの?』

『見つけてすぐに電車動いていたけど女子高生の前に移動して爺さんの前で仁王立ちしてやったよ』

『おねえさん、ウケる〜!』


たわいなく笑って終わった数日後、新聞の片隅にあの爺さんの顔写真と共に行方不明の掲示を見つけたが、それはリアちゃんには報告しなかった。


ちょっとだけ浸ってしまった、仕事中なのに…


「良かった、おねえさんが元気そうで」

そう言いながら、リアちゃんは青い髪の子が持っている私が渡した試供品を素早くもぎ取った。

「あ、」

「あ、じゃないの!アンタには関係ないでしょ!」

「せっかく俺ももらったのに?」


俺?

女の子で『ボク』呼びする子はいる。

『俺』呼びでもとりあえず違和感は…ない…?

見た目は美少女…だけど声は完全に男の子だった。

着ているものがボーイッシュでも顔立ちが美しく、そちらに全部目を奪われていた。

私は男の子に生理用品を渡してしまった。 

 

最初に見た時に友達連れなんて、珍しいと思っていた。

私と同じでいつも1人だったリアちゃんのイメージではなかったけど、まさかの男の子の友達だったのか。

もちろん、だからといって恋人かも、なんてすぐには思わない。

でもいつかはそんなふうに誰かを紹介される日が来るかもしれない。

そうしたら私は戸惑うかな?

そういう感情が欠如しているので正しい反応が出来るだろうか?

自分には不必要な存在だから、想像しても喜び方がわからない。

そう、わからない。

私の中では男といえば『あの男』が浮かび、そして憎悪が湧き出るので困る。


「じゃあね、おねえさん」

リアちゃんは本当に私に会うためだけにここに来たみたいだ。

「俺も挨拶〜じゃあね、おねえさん!」

「青がおねえさんって言うな!10年早いよ!!」

リアちゃんは男の子の背中を叩いて、そのまま後ろを向いて颯爽と歩き去る。


一瞬のやり取りに呆気になり、あの子は『青』という名前だから青い髪なのか、という妙な納得の余韻だけが残った。

リアちゃんの男友達が女の子みたいな綺麗な子で良かった。

でも男の子と知っても私の心の奥底から来る拒絶感が全然無かったのは綺麗というだけじゃなくリアちゃんが心を許しているように見えたからだろう。

 

昼休み

さすがの日曜日で昨日よりは来客が多くて少し遅くなったのに、昨日と同じタイミングで若い店員さんと一緒になった。

「今日は忙しくなりましたね」

「ここは暇でも忙しくても油断出来ないんですけどね〜」

「?」


油断出来ない?疑問に思う前に店員さんは「そんなことよりも」と身を乗り出す。

「朝イチでビックリしました、まさかリアさんが来るなんて」

「え、リアちゃんを知っているのですか?」

「すごいですね、お知り合いだったなんて、彼女は有名ですからね!」

あの時店員さんは『青』って子の方を見て騒いでいると思っていた。

とても綺麗なのでビジュアル系か何かの人で、ミーハー的に店員さんは興奮していたと思い込んで誤解していた。


「知らないのですか?リアさんは霊能者なんです、この地域では知らない人はいないと思います」

知っているけど、面倒なので黙っている。

店員さんは私が派遣なのでここの地元民だと思ってないようだ。

それにしても、リアちゃんは私がいない間に有名人になってしまったみたいだ。


「やっぱり霊能者は何でもお見通しだから、ここで知り合いがいることも見通して試供品をもらいに来たのでしょうか?」

店員さんのまさかの推理に不本意だけど笑ってしまった。

「それも霊能力ってことだったらとても便利ですね」

思わず冗談で言ったけど、店員さんは笑わずに力強く頷いている。

…冗談と受け取ってなかったようだ。


「5~6年前のですが…」

店員さんは私が何も知らないと思って、リアちゃんが有名になったというきっかけの動画を自分の携帯電話で見せてくれた。

見覚えのある景色、県境の橋の近くにある廃墟のモーテル。

そこは一時期心霊スポットとしてその周辺が賑わって話題になっていた。

久しぶりに見たので忘れていた。

その入り口で2人の中学生が口論しているのが遠目から撮られていた。


「何でまた来たの?」

「だって、みんなに誘われたから」

「だから誘われてもここはダメって言ったでしょ!」

「そんな何回も取り憑かれるわけないと思ったから…」

「もう知らないからね!」 

「えー、助けてくれないの?」

「前より強くなっているのに?簡単に助けてもらえるなんて思うな!!」

「よくわからないけど助けてよ」

「面白がってここに来たがるその誘ってきたみんなって人達に助けてもらえば?」


…見終わる前にわかった。

見た目は変わっているけど、動画の2人のやり取りが今朝来た2人のテンションだった。

なんだ、一緒にいたのはあの時の男の子だったのか。

でも店員さんはそれには気が付いていないようだ。


「この女の子がリアさんです。相手の男の子に取り憑いた霊を1度祓ってあげたような会話からの推理ですぐに彼女は有名になって数年経った今では心霊相談する人が後を絶たないくらいの人気らしいですよ」

「あぁ、そういうことなんですね」

「この動画を撮ったのは心霊スポットと知ってたまたま来ていた人で2人のやり取りが面白いからって撮ったらしいのでリアさんとは無関係な人なんですよね、だからヤラセじゃないってことで本物なんです」


店員さんの話を聞きながら全然違うことを考えていた。

リアちゃんはきっとあの坂で待っている。

今日ここに会いに来たのはそういうことだと直感した。

挨拶だけで何も告げずに去った後ろ姿がまだ脳裏にしっかり残っている。

私が小学3年生から高校を卒業するまであの坂でリアちゃんと会っていた。

たくさん話したけど、どれも他の誰には言えない秘密の話ばかりだ。

休日を取ってあの坂に行こう。 


閉店後

たった2日間の付き合いだったのに、名残惜しい。

店長とはそんなに話をしてないけど親しみを感じた。

「今度は客側としてここに来ます」

初めてそんな挨拶をして別れた。


事務所に戻ると仕事をコーディネートしている豊田さんがいたので良かった。

「近々に休みを入れて欲しいのですが、出来れば続けて2~3日」

約束してないからその日に会えるとは限らない。

でも、わかる。

お互いの家は知ってても、リアちゃんと久しぶりに話すなら鈴虫坂だろう。


「あれあれ?もう調子に乗っちゃったかな?」

うわ〜奥から部長が出てきた。

「あ!今、居たのかってイヤ〜な顔したね」

「人の顔色読んで当てないでください」

「ついでに言えば自信過剰になっている顔色だよ、キミ」


部長の嫌味を無視してると豊田さんが3日後からなら大丈夫、と調整してくれた。

「水内さんが自分から休みを欲しがるのは初めてだからなんとかしますね」

「急なのにありがとうございます」

「当日にドタキャンする人が多くて水内さんにはそれをカバーしてもらってるんだからたまには恩返しさせてください」


豊田さんの配慮ある嬉しい言葉を部長が遮る。

「その分特別に多めの時給なんだからさ、キミには得なことでしょう?」

人差し指を私の目の前に突き出すとクルクル回している。

部長は人よりも休まずに働く私がお金に困っているとでも思っているのかな?

豊田さんは背筋を伸ばして指をクルクルしている部長に強い眼力を注いでいる。

「部長、1回でいいから現場に出てください、お金の問題じゃないんです」

強い女性は煙たがれるらしいが豊田さんはカッコイイ女性だ。


休みの日の朝。

子供の頃と同じように親には黙って…当時は学校だったのを今は仕事に行くフリをして早めに坂に行く。

なんとなく、そうしたかった。

小学3年の、あの頃以降はよくサボってここに隠れていた。

ずいぶんと学校へ行かなかったけれど母親には何も言われなかった。

当時はバレていたのか?それともやっぱりそこまで私には関心がなかったのか?

今もわからないままだけど今さら聞いて知る勇気はない。


もう親に気を遣う必要なんてないのに、なんとなく子供の頃の行き場をなくしたみたいな気持ちで来たかった。

あの頃は学校をサボったけど今は仕事をサボった雰囲気で。

ただし、子供時代とは違って車があるから休みなのはきっとすぐバレてしまう…

いや、バレるって?誰に?

私はもう自由なはずなのに…家に戻ったせいかな?


もう支配されている恐怖はないはずなのに…

親の存在を意識するだけで後ろめたくて叱られるような落ち着かなさと同時に誰もが自分に無関心なのを思い出す。

そんなのはもう要らない不安なんだよ、と自分で自分に言ってみる。

…思っていたよりも私はまだ子供の頃の呪縛に囚われているのかもしれない。


ゆっくりと坂に向かいながら、どんどん近づくと、もしかして?と予感がした。

会う約束なんてしていないから、いないと思う方が正しい。 

まだ読んでない本を家から持ってきた。

待ちぼうけでもいい、あの場所でゆっくり本を読みながら待っていよう。

思い出さずにいる秘め事も染み付いた場所だけど。


でもやっぱりリアちゃんは、すでに坂の途中で待っていた。


私が驚かずにチラッと持っている本を胸の前で見せると、少し笑ってみせた。

「おねえさんのお話、出鱈目でいろんな本のストーリーを混ぜた物語が好きだった」

改めて久しぶりなリアちゃんとの再会。

この場所で2人だけで。

変な恥ずかしさが込み上げると共に少し胸が熱くなる。


「リアちゃんにはバレてたか、盗作でごめんね」

「ううん楽しかったの、わたしはおねえさんが紡いで作った物語のルーツを知りたくてパズルをはめるみたいに本を探すうちに他の沢山のまだ知らない物語も読むようになっていたよ」

そうだったんだ…

リアちゃんも学生時代に図書館に入り浸っていた様子が目に浮かぶ。


「おねえさん、とにかく戻れて良かったね」

自然と2人は以前のように土手側の手摺りを背にして体育座りをした。

どんなに長く会ってなくても一瞬で2人の距離は当時に戻る。

カツン

…パチッ

鉄製の手摺りはあの頃から錆びたまま。

古びたものはそれほど変わらないのか時を止めていた。

軋むような妙な音を久々に聞く。


「お節介さんも来ている」

「そうね、懐かしい」

ピシ…





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