第3話 真面目に仕事されてました。
仕事先の現場に着くと、まず入店する前に事務所に一報する。
「おはようございます水内です、これから入ります」
「はい水内リナさん、了解です」
退店の時にもする作業、携帯電話はそれだけのためのもの。
連絡が終わると車の座席にその携帯電話を放り投げた。
あとは仕事終わりに報告する以外はもう使うことはない。
会社とリアちゃん以外にこの番号を知る者はいない。
ドラックストアには店長と2人の店員さんがいた。
店舗としては大きくはない。
開店前の裏口、準備や掃除をしている中に私が入っていくと笑顔で対応してくれた。
店長は丸メガネが似合う人の良い雰囲気で柔らかな話し方をする人だった。
「どこでも好きに動いてください」
案内してくれながらスペースにこだわらないと言ってくれたけど商品が生理用品なのでそのコーナーの持ち場から動かないでいようと思う。
仕事でいろんな現場に行っていると不思議なことに初めての場所なのにまだ何もない最初から好意的に感じることがあれば逆にまだ何も始まってないのに不穏で憂鬱になることもある。
だからこういうマッチングの妙に助けられると単にラッキーと思うより関わった人との間にある見えない繋がりに感謝するような気持ちになる。
常にではないけど、外の世界は優しくて情に溢れていた。
開店少し前に店員2人がレジカウンターから私を見てコソコソ話している。
「ねぇ、後でもらっちゃえば?助かるでしょ」
「嫌ですよ、恥ずかしいです〜」
年配の小柄な女性店員が朝からテンション上がっている若い女性店員と突き合いながら開店までの短い待機時間にはしゃいでいた。
これが家の中なら若くてお茶目な祖母と純情で人懐こい孫娘のように見える。
私はいつのまにか、こういう人間観察をするのが楽しみになっていた。
雰囲気の良い店舗で良かった。
この土日の2日間は楽しく働けそうだと安堵した。
土曜の午前中は人の入りが多くない。
早めに昼食にしようとコンビニでサンドイッチと飲み物を買ってバックヤードに戻ると若い店員が先にお弁当を広げて食べていた。
「同席失礼します」と言うとペコッと勢いよく頭だけ下げた。
口の中に食べ物が入っていてすぐには話せない様子で慌てて水を飲む。
「あの、もしかして本社の人ですか?」
「え?」
「あ、直のメーカーさんなのかな?って」
一瞬、そうですと言って適当に話を合わせようと思った。
私が来客に製品の説明や試供品を渡している時もチラチラと見られているのを知っていたが、その理由がわかった気がする。
だけど眼差しがキラキラしていて最初から好意的な視線には少し戸惑う。
塞がらない傷口を持つ動物は優しく接してくるものにも唸り声を発しそうになるが、警戒心がまるでない人間に噛み付くわけにはいかない。
「いえ、派遣ですよ」
どう見ても自分が大手有名メーカーの社員に見えるわけがない。
人の期待に応えたくても偽るのは卑怯だと考え直し素直に答えた。
そもそも、自分の見た目が色々アウトなのだ。
顔は化粧もしないでリップだけ。
髪は1つの束にして結び長くなると自分で適当にパッツリと切る。
美容院を利用したことなんてない。
高校卒業して6年間、いや、もともとオシャレには縁がない。
興味がないわけではないけど、そうしなければいけない理由がある。
そんな私の身なりは他のキラキラしている社会人の片鱗すら無い。
「そうなんですか、お仕事ぶりが素敵だなと思って」
「え?」
意外な言葉にまた戸惑う。
「今までの派遣さんとは全然違うからてっきり本社の人かと思ってました」
これが媚びでもお世辞でも嬉しいと思う、でもよく考えたらこの店員さんが私に媚びる理由などないのだから、本当にただ感想を言ってくれたと思うと改めて自分の仕事ぶりが現場で認められてることを実感する。
この店員さんは私の見た目でなく仕事してる姿を見て言ってくれた、だから嬉しい。
屈託ない人柄なんだろうな、周りに愛されて育った感じがする。
「わたし〜、もっと真剣にお仕事しなきゃって思います」
ちょっとだけ舌を出して店員さんは笑う。
昼食が終わると私は試供品を店員さんに渡した。
「使ってみて気に入ったら、ここに来るお客様にこの先もし聞かれたらオススメしてください」
店員さんの言葉と笑顔に癒されたお礼の気持ちは秘めたまま試供品をついでのように渡した。
両手に掴んだ試供品を見て今度は店員さんが少し戸惑っている。
この店舗は来客が少ないから試供品が余りそうなので、とは言えない。
「もう1人の店員さんと分けてください。何なら店長さんでも…男性だけど奥さんとか彼女さんとか妹さんとかいるかもしれないから」
私の言葉に店員さんは澄んだ笑い声で肩を揺らした。
「店長はまだ独身なのでこれ持って帰ってもきっと困りますね〜!もう1人と分けさせていただきます」
「私も店員さんにお渡しするのは初めてですが、これはこれで良いアイデアだと思いますよ、ここに来るお客様への説明で今後に繋がると思うので」
「もう1人はきっと娘さんにあげると思うので一応宣伝にはなりますよね!」
店長は独身で同僚には娘がいる…
普段から家族的な話題でも会話しているのが伝わってくる。
いろんな仕事関係者を見てきたが仲間内の温かさというのは自然体で心地良い。
今日初めて会った人と同じ空間で屈託なく笑い合う。
店員さんは笑ったままの延長で「もらえて嬉しいです、ありがとうございます」と言う。
私も笑顔だけど…心の中までは笑えない。
上手く一緒に笑えているだろうか?変じゃないかな?
その店員さんの純粋な笑顔が気持ち良くて素敵で自分より年下っぽいけど憧れそうになる。
私には一生持つことが出来ないもの、魅力的でずっと見ていると眩しいもの。
扉を開けて店内に戻る途中で交代のもう1人の店員さんと入れ違いになる。
お互い頭を下げてすれ違うと、肩越しに若い店員さんの声が聞こえた。
「あー、諏訪さん見て見て!たくさんの試供品、初めて貰っちゃったよ!」
「あら、良かったじゃないの〜」
「諏訪さんにもどうぞ、って」
「あたしにもくれるの〜?」
2人の楽しげな笑い声がコロコロといつまでも背中に響いた。
夜はガクンと来客が少なくなる。
21時の閉店。
レジで精算中の店長を少し離れたところで待っていると手招きされた。
まだ処理が全部済んでないのに私が持ってる日報を手を差し出して促す。
「ちょうど知りたい情報が入って区切ったところなんで」
店長は日報に目を走らせながらチェックを入れて、最後に私の仕事ぶりを要望欄に書き込んでいる。
今時に手書きでお願いするのはいつも気が引けるが不正防止の会社側の方針なのだ。
それにしても…長い。
普通は1~2行で『真面目に仕事されてました』とか、よほどのクレームがない限りサラッと無難に終わる。
「はい!お疲れ様でした」
店長の気合いのこもる強い口調と笑顔を添えた日報を受け取る。
何が書かれているか気になるけど、ここでは読みにくい。
「ありがとうございました」とだけ言って日報を胸に抱く。
「これから会社に戻るんですよね、気をつけてお帰りください。また明日もよろしくお願いします」
もしかしたら、作業の途中なのに対応してくれたのは私を少しでも早く帰らせてあげようという配慮があったのかも、と思った。
でも自惚れかもしれない。
すぐ私にはそんな人徳などないことを思い出す。
子供の頃から大人に嫌われ続けた自分には有り得ないこと。
人の善意はどんなに些細なことでも見逃したくないけど…
この店長は少しお人好しが過ぎる性格なのかも。
2人の店員さんとも挨拶をして裏口から店を出て車に乗る。
シートベルトを締めながら助手席に置いた日報を横目で見ると細かな文字が5行くらいに並んでびっしりと空白なく埋まっていた。
要望欄の枠いっぱいの文字は小さくて読みにくく事務所に着くまで気になりながら運転した。
事務所には部長が遅番で待機していた。
仕事終わりで一報入れた時の電話の声ですでにわかっている。
部長は社長の娘の婿養子で明るいだけの無能扱いされているがいつ見ても気楽な感じで私も気が楽になる。
日報を部長に渡す前に明るい室内でようやく店長からのコメントに目を通した。
「わぁ、珍しいくらい書き込まれてるねー」
部長は暇らしく、すかさずこちらに回り込んで来て一緒に読むことになってしまった。
そこには私の仕事ぶりを褒め称え担当した商品の売り上げがいつもの10倍以上だったこと、今後の働き方の参考になるという内容でベタ褒めな文章だった。
正直、過大評価で驚いてしまう。
その店舗では特別頑張ったつもりはなく、いつも通りの仕事をしただけだった。
そういえば、あの若い店員さんも褒めてくれていたことを思い出す。
「凄いね、キミは評判良いけどここまで褒められるなんてね」
「はい?私は評判良いのですか?」
「メーカーさんの仕事依頼で前と同じ人が良いって言う時は大体キミのことなんだよな〜」
「そうなんですか、初耳ですね」
「あまり褒めると時給上げろと言う強者がいるからね、そういう習慣は持ちたくないんだ。クレームはすぐ伝えるけど褒め言葉は黙っておくんだ」
本人を目の前に悪びれる様子のない部長は「みんなには内緒だよ」と普通のテンションで言った。
どんな心境で言っているのか、部長のそういうのが全く理解出来ない。
「時給はともかく、モチベーションが上がって困らないことはないのだからちゃんとそういうことも当人に伝えて褒めてくださいよ」
部長はふふん、とアゴを上げただけで返事はしなかった。
自分の仕事ぶりは評価高い方だったの?
少し嬉しい反面、少し複雑だ。
子供の頃から家事全般をやらされてきた。
母親のヒステリーが今も心の中のどこかで恐怖を保っている。
でも、身についた家事の基本は今はいろんな仕事の機微に通じている。
母親に感謝しなきゃいけないかな?
でもあれは躾ではなく虐待だった。
そして今も関係性は脈々と続いている。
働き始めた頃に思ったことがある。
リゾートホテルでたくさんの幸せそうな家族連れを見てきた。
自分の家族とは真逆で親しげな態度で接し合う人達。
テレビドラマや本の中の世界で知るよりも見て感じた世界は心の奥底にまで響いた。
母親には子供の頃から家事をしないと心身共に痛めつけられた。
働いていてもお金を入れずアテにならない父親の代わりに仕事と家庭の両方をこなしていた母親は子供の私で鬱憤を晴らしていたのかもしれない。
同じ世の中でパートナーに恵まれた者同士の家族をたくさん見てきたせいだろうか、いつしか母親には恨む気持ちと同じくらいの同情をしていた。
だけど私には母親に感謝する気持ちは無い。
翌日の日曜日。
久しぶりに心から会いたかった人が来てくれた。
開店と同時に、真っ直ぐこちらに向かって来る2人の来客。
黒くて長い髪の女性と青くて短い髪の若い子。
どちらも人形のようなビジュアルの美しさだ。
特に青い髪の子は色白のきめやかな肌でメイクが上手くてカラコンの澄んだブルーに長い上下のまつげが人形より美しく長いカーブで完璧な作り物に仕上がっていた。
それからチークがほんのりとしたオレンジイエローで可愛い。
それに合わせた口紅がはっきりした輪郭を描き口角がピンと上がっている。
描かれた笑顔のマスクは完璧な造形美をキープしていた。
出入り口近くのレジにいた若い店員さんが今までで1番高いテンションの声を上げる。
「あ、もしかして!!」
その声には微動することなく、2人は生理用品コーナーがある奥の方にいる私の場所へと迷わずに来る。
若い店員さんがもう1人の店員さんを呼び込み何か話しているけど、ここまでは聞こえない。
「良かったらどうぞ」
1人は昔からの知り合い、もう1人は高校生くらいだと思ってそれぞれに試供品を手渡した。
「おかえりなさい、おねえさん」
黒髪の方が落ち着いた雰囲気の声で私に話しかけてきて『おねえさん』って呼んだ。
無表情から一転した満面の笑顔を久しぶりに見ることが出来た。
これでようやく生まれ育った故郷に帰ってきた実感がした。
「また鈴虫坂でたくさんお話ししたいね」
「そうね」
鈴虫坂。
お話し。
それだけで一瞬で当時に戻る。
『ねぇねぇ、次は怖いお話しして!』
思い出すのは小学生時代の夏の記憶、あの時の私達。
怖いお話しをして、とねだりながら、そのお返しにしてくれた彼女の実話は私の作り話を遥かに超える怖さだった。
私を見上げてニッと笑うと前歯が数本生え変わりで欠けていたね。
あれはまだ無邪気だった少女の笑顔。
リアちゃん
私と似た名前、ずっと一緒に遊んでいた近所の女の子。
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