第2話 もう嫌だ!!

思い出したくなくても貼り付いて取れない記憶。

油断をすればちょっとしたことで塞がらない傷口から新しい血が滲む。

教師とカエデさんの私へのジャッジ。

友達が出来ないほどの嘘吐きだから放っておけない事態だという私への配慮。

大切な授業を私のことで1時間潰してまで話し合うなんて、それほど私の言動は問題だった?

2人が事前に私のことを1度でも話し合っていたこと、その様子は想像したくない、吐き気がするから。


時計は午前4時。

違う悪夢を見ていても目覚めた瞬間には忘れて、その代わりにあの時の教室のシーンを思い出してしまう。

もう17年も経っているのになぜ色褪せないの?

それどころか痛みは増している気がする。

6年ぶりに地元に戻ってきたから?

落ち着いてきたと思ったら、もう気持ちがザワザワし始めているようだ。

でも本当はもっと思い出したくないことがある。

頭の中では授業とセットになっているけど思い出すことは少ない。


その過去達を全て動力にして生きてきた。

高校を卒業してから家を出て派遣会社に登録して全国系列のリゾートホテルを転々としながら働いて回った。

怠けることを知らない働き蟻のように。

24歳過ぎて、ようやく家に戻り今度は派遣の単発の仕事をもらって働いている。


派遣の仕事は選ばなければいくらでもある。

コンパニオンなど時給が高い仕事もあるが、それだけは嫌だった。

異性に携わる仕事だけは避けてきた。

低賃金でも構わない。

働いて得たお金は親に取られるのだから、もう貯める気もない。

もともと未来への希望がないから、きっとこれが私の普通の生き方だろう。


仕事は場所によっては隣県の遠くまで行くので朝4時に起きる時間帯は珍しくない。 

だけど今日は起きるには早すぎた。

今回は隣り町のドラッグストアでの仕事、新発売になる生理用品の試供品配りだ。

この関連の仕事は接客が女性だけの対象なので気に入っている。


9時開店で8時の現場入り、家からは車で30分圏内、逆算するとまだゆっくり出来る時間。

あと2時間は寝られるけど、寝過ごすことを恐れて起きた。

社会人は時間厳守が大きな評価の1つになっているからだ。

私は仕事においては特に信用性にこだわってきた。

社会人になってからは今まで頑張って真面目に生きてきた。 

何もかもにルーズで無気力だった子供の頃とは真逆だと思う。


家を出ていた間にヒロシ君は結婚して今は隣り町の大きな工場で働いているのを知った。

子供は2人目が今年生まれるらしい。

ヒロシ君の母親に偶然会って話しかけられた時に聞かされた。

ヒロシ君は優しくて良い人なので幸せそうで良かった、と伝えた。


まだ暗い3月の早朝。

窓を開けると冷気で一層眠気が飛ぶ。

澄んだ風がそよぐのを感じる。

穢れた自分を避けないでくれることに感謝する。

甘く新鮮な空気を吸い込むと、それは全身を巡るように体温と混じり合った。

自然界は私を差別しないで受け入れてくれるから優しい。


今、同じ家の中で母親と父親の妹の叔母が眠っている。

父親はタクシーの運転手で、いつもいるのかどうかわからない。

…叔母はとても敏感なので慎重になる。

多少の音を立てても起きないだろうけど窓を閉める音にも神経を使って再びベッドに戻る。

心を病んでしまい感じる世界が人とは違う叔母が起きないように気をつけながら…。


眠れないので今日の仕事の資料に目を通した。

商品紹介の仕事はその担当によっては研修がある。

受け持つメーカーの商品を責任もって紹介したり説明してアピールするのだ。

その仕事をしている期間だけは、そこの社員のようになって働く。


何度も目にした資料を見ていたら自然とまた眠くなってきた…

うつらうつらしていると夢の続きは現れないけど、また教室の景色が瞼の裏で印刷物のように張り付いて見え始める。


ほら、こんな時間に起きるから…いじけた思考が湧き上がる。

『おまえは嘘吐きだからお似合いの仕事だな』

『偽物のくせに正社員のフリをして客を騙して恥ずかしくないのか?』

『よくも今も恥ずかしくもなく図々しく生きていられるもんだ』


あの教室で嘘吐きと言われた自分が卑怯者の曖昧な笑顔で今もまだ息をしている。


カエデさん

私は確かにあなたに嘘を吐きました。 

それはとても明白で、とてもよく覚えています。

一緒に下校した日あの場所を通った時に話したことが偶然のタイミングでしたね。

驚きと戸惑いが、まだ幼い私に間違いを選択させたのです。

嘘を言い慣れていない私の大きなミスでした。


あの日、学校からの注意がありましたね。

不審者が目撃されているので決して1人で下校しないでください、と。

同じルートで一緒に帰れる人はヒロシ君の他にはカエデさんしかいなかったので2人で帰りました。

ヒロシ君はサッカーの仲間達と遠回りのコースでいつも下校していました。

私も、その後をついて行って帰れば良かったとずっと後悔しています。


カエデさん、私はあなたが苦手でした。

カエデさんはクラスで1番頭の良い優等生でした。

子供時代の私は忘れ物が多かったのでカエデさんと同じ班になるといつも頼って色んなものを借りてしまいました。

でもカエデさんは全然嫌な顔をしないで何でも貸してくれました。


算数の時間に定規を借りた時、カエデさんも必要だと思ってすぐ返しましたが…

あなたはニッコリ笑って受け取ると、私が触れていた部分を埃を払うように数回息を吹いてからハンカチで拭き取りましたね。

自分がばい菌を持っているみたいで思わず両手を広げて汚れてないか確認しました。

もちろんカエデさんには悪気はないのでしょう、私の見ている目の前で拭いていたのだから。

きっと私が気がつかなかっただけで今までもやっていたことなのだとわかるくらいに自然な行為でした。

その後も何も変わらず今まで通り普通に話しかけてきたし、その話し方は優しいし、たまに一緒に帰ることもありました。

でもそれからの私は忘れ物をしてもカエデさんを頼らなくなりました。


情けないですが、それで忘れ物をしないようになっていたら良かったけど私はあなたに苦手意識を持っただけでした。

子供時代の私は本当にぼんやりしていて誰よりも気がきかないダメな子でした。

何度思い出しても自分は残念な子供だったと思います。

 

3年生で教師に頬を叩かれたり机の上に正座させられて叱られていたのはクラスで私ぐらいだったから、カエデさんにとって私は劣悪な存在だったかもしれませんね。

頬を叩かれた理由は今も忘れてないです、何度注意されても宿題をやってこなかったからでした。

1年から3年まで担任だった教師に対して厳しくて怖い印象しかないのは私が悪い子だったからです。

きっと熱心にしていただろうと思う授業内容を私は何も覚えてないです。


でも、叱られたことだけは本当に鮮明に覚えているなんて不思議なものですね。

私は子供の頃からひねくれていたと思います。

ある時は教師に宿題のノートを提出するように言われてたのに私だけ忘れていて家に取りに戻されました。

ノートを持ってきて教師に渡すと宿題をやってないじゃないかと更に叱られました。

私はノートを持ってくるのを忘れていただけじゃなく宿題をしてなかったのです。


「なぜ宿題をしてないことを言わなかったのですか?」

ノートを忘れたのは宿題をしてないことを隠すためだと思われてしまったようです。

「今からそんな狡い考えでは良い大人になれませんよ!」

その時も私は上手く言えませんでした。


でも…

私はいつでも宿題をやってないのに、その時だけ宿題をしてない理由でノートをわざと忘れるなんてことはしないです、なんてことは言えるわけないですね。

きっと言えても余計に叱られたことでしょう。

その教師はとても怖くて厳しかったので私以外の生徒達が宿題を忘れることはほとんどなかったと思います。

教師は比べることなく生徒個人を尊重するというけれど、集団の中から嗜好選別を含めた優劣を決めて評価しているとしか思えなかった。

だから私のだらしなさは目立っていたのでしょうね。


いつも教師に叱られる私とは真逆の優等生なカエデさん。

私がばい菌扱いされるのは自分がいつも何かを忘れて叱られたり、時には同じ班ということで連帯責任を取らされて真面目な人達に迷惑ばかりかけて、それでも私は一向に改善しないから…カエデさんが私を軽蔑していたのは当然です。

私はそんな完璧なあなたを見習いもしないで劣等感から苦手に思ってしまいました。

でも警戒しているわけではなかったのです。

ただ、ヘマをしたんだと思います。

私より遥かに頭の良いカエデさんを浅はかにも騙せると思っていたのです。

 

一緒に歩いていた帰り道、ちょうどあのホテルの駐車場の前で言いましたね。

「不審者ってなんだろう?」

私はその時、思ったままのことを正直に言ってしまいました。

「そういえばここに不審者がいたことがあったよ」と。


私はそのホテルの客に呼ばれて駐車場の奥に引き込まれたことがあったのです。

まだ1年生になったばかりの頃で、その日は1人だけの帰り道でした。

今ならわかるその行為をまだ何も知らない3年生の私は迂闊にもカエデさんにベラベラと話し始めていました。


「仔猫がいるよ」

男が手招きして駐車場に停めてある何台もの車の下の方を指していた。


猫、大好きだから慌てて駆け寄りました。

私は男に言われるまま、じゃり道を四つん這いになって仔猫を探しました。

「もっと奥の方に逃げたかなぁ」

背後から男が指図した。

呑気そうな男の言い方に、なぜ自分では探さないのか?疑問を感じながらも幼い私はとても必死でした。


なぜなら、その頃私は拾ってきた猫を内緒で庭で飼い始めてすぐに車に轢かれてしまい亡くしていたのです。

車の周りでウロウロしてたら危ないと思い必死で探しました。

「どこに行ったかな〜」

男はずっと私の後ろで言うだけだったので仔猫を探す気がないと思いました。


大人の気持ちはわからない。

狭くて小さな世界の中で生きていた自分には主に家族と教師が大人の全てだった。

近所には優しくて面白い人がたくさんいても自分に関わる者達は全て支配の圧力があったので、それが自分の中での大人のイメージだった。

小さい自分は従順でなくてはいけないと思っていた。


「変だね、いないね、もうどこか行ったのかな」

いい加減な男のそんな感じの言葉でも少し安心しました。

車から離れてくれたなら猫は安全だと思って。

良かったもう大丈夫だ、と思って立ち上がり帰りかけた時でした。

「君は先生をおんぶ出来るかい?」

え、先生?

男を振り返り見上げてまじまじと顔と全身を凝視しました。

1年生になったばかりでもすぐに担任の女性教師の厳しさの洗礼を受けていたので『先生』という響きは私には緊張と恐怖そのものでした。


男の身なりはそこら辺によくいる見慣れた観光客でした。

温泉街には浴衣姿の客が朝から晩までそこら辺をぶらぶらと歩いています。

当時は昼間から酔っ払って大声を出す人間も珍しくなく、でもそれは観光客に限ったことではないけど…。

この街は元々治安がすこぶる悪くて住人は怪しい人間の宝庫だったから見慣れていて警戒心はなかったのですが『教師』というワードには敏感に反応してしまいました。


その男は胸がはだけてだらしなく下駄をガラガラ鳴らして歩いていたので怖い教師のイメージはなく、ただの酔っ払いの観光客だと思っていた私はそれまで平気だったのが急に固まって動けなくなっていました。


「先生をおんぶしてみようか?」

両手を広げて私の背後に来ました。

急に変な提案をされて「え〜?」と戸惑うけど私は従順に少し屈んだ体勢になり小さいけれど大きな男を背負うつもりだったのです。

男は「邪魔だな」と私の大きなランドセルを背中から下ろすと浴衣の前をはだけて私を包み隠すようにしてそのまま覆い被さりました。


背に気配を感じ、後ろ手で必死に大きな大人を落ちないように受け止めようとしました。

精一杯手を後ろに回しても男の体には届きません。

私は黄色の帽子を被っていたので背後の視界が全くわからないのです。

本気で背負うつもりだったので更に屈むと男の長い手が私の顔の横から急に伸びて見えました。

男は腕をクロスしながら私の身体を囲み手を垂れ下げスカートを捲り上げるとあっという間にパンツを足首の近くまで下ろしてしまったのです。

驚いて後ろを振り向こうとすると頭上で声が響きました。

「言うことを聞きなさい、動かないように!」

酒臭い息で急に命令口調になりました。


反射的に体が強張り「はい」と返事をしていました。

私の足は男の片手が腿へ割って入るとコンパスのように横に広がりました。

下ろされたパンツが足元に引っ掛かり丸見えなのが目に入り、それがとても恥ずかったので目を逸らして私はそのまましばらく動く男の手をずっと見ていました。

男の手は私の股間を擦っていました。

なぜ、オシッコする場所に触るのだろう?

そんなところは汚ないのに、急になぜ、触っているのだろう?

私は男の指の動きを凝視していました。


「くすぐったい」

男の指がまさぐり続けるので身を捩ると

「動いちゃいけない!」

男は指を動かすのをやめずに言いました。

「あと100回」

100回?お風呂に入って数を数えるように男はゆっくり言う。

「い〜ち、にぃ〜〜い」

数える声はゆっくりなのに動く指は速い蠢きで気持ち悪くて見るのをやめました。


男は「動いてはいけない」と強引な言い方をして浴衣で私の体をカーテンのように包み隠して完全に視界を遮断していました。

だけどまだ午後の明るい時間帯で薄い浴衣生地に覆われても視界は丸見えでした。

私は立たされたまま男が数を数えている間の動けずにいる状態になってしまうと不思議な気持ちで次々と疑問が湧きました。


なぜ、知らない大人におんぶしてみろと言われ、そうしなければいけなかったのか?

なぜ、この男は数を数えながら私の股間を触っているのか?

なぜ、そんなことをずっとしているのか?

一体、猫はどこに行ったのか?

そんな状況でも最初に声かけられたキッカケの猫のことだけが気になっていました。


不思議に思っても喋ったら注意されそうで黙っているしかありませんでした。

息を殺し触られているのを我慢して男のすることをうつむいて見ているだけでした。

それは初めて見る虫を観察しているような気持ちでした。

その不思議な動き、違和感しかない視覚と身体のくすぐったいという感覚がチグハグで頭の中では整理出来ず、よくわからない状況をただひたすら我慢していました。

ちょっとでも動いて身を捩ると舌打ちされるので緊張しながら数が100になるのを待っていました。


長かったのか短かったのか、時間の感覚は思い出せません。

男が数えるのを止めると一瞬終わった?と期待するのに「気持ち良いだろう?」と聞かれただけだったので首を横に強く大きく振り続けました。

男の言う『気持ち良い』ということの意味が何のことかも知らずにいました。

「変だなぁ」

男は落ち着きなく動いてソワソワし始めていました。

「気持ちいいだろう?」

強引な叱る口調に変わっていました。

男の顔がすぐ横にあるので息がかかり、気持ち悪くて嫌でした。

私は首を思い切り逆にひねって息を一瞬止めて自分の口を閉ざしました。


くすぐったくて、とにかく男の動く指が気持ち悪いから早くやめてほしかったです。

広げられる足を戻そうと膝を動かすうちにパンツがとうとう足首まで落ちたのが気になりました。

「早く100回終わらないかな」と、ついに小さい声で言うとたちまち「しっ!」と強く舌打ちする声が返ってきました。

その瞬間、私は叱られる恐怖と緊張で前屈みの身体に力を入れて真っ直ぐに立ち直そうとしました。

自分のされていることの意味を最初から最後までわからなくても、その男に対する違和感は次第に増大しました。


やがて静かだった場所に徐々に複数の声が聞こえ、近づいてきました。

通りの方から保育園帰りの園児と保護者の集団が賑やかに歩いて来たのです。

男は慌てて早口で「向こうの方へ行ってあと100回」と言いました。

私の足の間で動かしていた手が消えて今度は私の肩を掴んで駐車場横の林の方へ移動しようとしました。


「もう嫌だ!!」

思い切り叫んでいました。

その林の方は絶壁で子供は近寄ってはいけないと言われていた場所でした。

危険な場所というのは見てもわかるし、道路からの人目には完全な死角になります。

子供心に入ってはいけないと知ってても『先生』の命令で連れて行かれるその状況はとっさには逆らえないです。

だけど…

それよりもなによりも今までのことがもう嫌になっていたのです。


おんぶする恰好をしてパンツを下ろされて股を触られる、そんなことをする意味がわからない。

なぜ?と少しイライラしてきました。

これ以上男の言うことに従うのも男の指が自分に触れるのも、全部嫌だったのです。

そして、覆い被さって密着してくるのがどうにも気持ち悪かった。

こんな変なことをされるぐらいなら最初に無視して帰れば良かったと思いました。

猫のことは気になったけど、気がついているその男が何とかすればいいのに、と。

どんどん腹が立ってきて、もう叱られてもいいと思い、ようやく逆らったのです。


思い切って叫んで男をおんぶするのをやめると浴衣に包まれていた視界が開けました。

ちょうど通りかかった集団の中の1人の母親が道の向こうからこちらを見て立ち止まったのが同時に見えました。

男も横を向いてその集団を見たようでした。

私は咄嗟に下ろされたパンツを勢いよく引き上げると、横に置かれたランドセルを持って一気に走り出しました。

他の大人にもパンツが脱げているのを見られたかもしれない!

自分で脱いだわけじゃない、でも恥ずかしくてその場からすぐ離れたかったのです。

猫もいないし、ここから早く逃げなきゃ!

1年生の私はその時だけはネズミのように素早かったと思います。


男の『先生』の言うことを聞かなかったのだから追いかけて来て私の学校の担任教師のように怒鳴って叱るかもしれない。

そう思って振り向きもせずに逃走しました。

「あ、待って」

男が『先生』らしからぬ気弱な声を投げかけてきたのを背後で聞いたけど振り向かず構わずに走り続けました。

その場所から離れて男の姿が見えなくなり、景色が変わり、追いかけて来る気配がないと感じてもずっと休まず家まで走りました。


この出来事を全部カエデさんに話したわけではなく…

駐車場で猫を探してたのに自分のことを『先生』と言う男におんぶ出来るか?と言われたところまでしか、私は話せなかったのです。


なぜなら、パンツを下ろされたことが恥ずかしくて言いたくなかったから。

そして、話しているうちにカエデさんが異様な食いつきで聞いてきたので戸惑ってしまったのでした。

「それで?」「なんで?」「本当に?」

少し話しただけで、その場に立ち止まりしつこく細かく状況を聞きたがっていましたね。


そのカエデさんの尋問するような態度が、どうしたわけか危険だから本当のことは話すな、と幼いながらも私の本能が頭の中で忠告していたのです。

その時どうしてそう思ったのか?今でもわからないのですが…。

3年生だった私はカエデさんに話そうとしたその時も、男にされた行為の意味は全然わかっていませんでした。

でも…

カエデさんの聞き方には、いつもと違うただならぬ雰囲気がしていました。

私は途中からそんなカエデさんの期待に応えたいと思ったのか奇想天外な作り話に切り替えていました。


それは、突然私を捕まえようとする謎の大人の男女が現れたので走って逃げ回るという話でした。

大人達はトランシーバーを使い私が逃げても逃げてもどこまでも追いかけたり先回りしていたりで私は行く場所がなくなって身動き出来ずに他人の庭に隠れていて、そして保育園のお帰り集団が来るのが見えたので、とっさにその中に紛れて無事に家に帰ることが出来た、そんな物語でした。


もちろん利口なカエデさんが途中から冷めた目で私を見ていたのを知っていました。

これが『嘘吐き』と言われた理由でしょう?

あまりにも酷い創作話をしたので私のことを教師に相談したのですね?

きっとカエデさんも教師も嘘吐きな私を憂いていたのでしょうね。


でもカエデさん。

私は今もそのことは後悔していないのです。

あんなことを知られるくらいなら嘘吐きのままで良かったのです。


あんなことがあったのに、私はそれを思い出すことはしばらくありませんでした。

変な観光客がいたが猫は無事だったろうか?

そんな程度で見てもいない猫のことだけが気がかりだったのです。

学校帰りのしばらくはその駐車場の前を通るたびに猫がいないか?と心配で確認していました。

だから、あの意味を知るまでは教室での時間の方が遥かにショックだったのです。


その教師が担任としての最後の3学年の通知表には『リナさんはどこか尋常ではないように思われますので春休みの間に精神科の受診をお願いします』と書かれてありました。

私は家でも疎まれていたので、それを両親に提出しても見ることも心配されることもありませんでした。

仕事が休みの日の母親はお茶を飲みながらテレビを見て「今忙しいからそこら辺に置いとけ」と煩わしそうに言い、通知表はいつまでもそのまま放置されていました。

見られず捨てられそうになったその通知表だけは今も自分の手元に置いてあります。

…自戒を込めて。


両親が私の学校生活にも関心を持ってないのは幸いなことだったかもしれません。

自分の娘が学校でどんなだったか、なんてことを考えることすらなく6年間の学校の行事には母親が入学式と卒業式に来ただけでした。

父親の方は存在しないより非情な存在でした。


カエデさんのお母さんは保健婦さんでとても優しいと言ってましたね、カエデさんから聞いたことでそれだけは今でも覚えています、羨ましかったので。









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