5.剣の矛先
――よし。ちょっと、今の状況を整理しようと思う。
ここがゲームの世界だと仮定して――いや、そんなの有り得ないとは思うんだけど――まず、その仮定が大前提。何の因果かはわからないけど、そういうことになっている。
仮面の人は、案内役でサポート役、らしい。自己申告だから、正しいのかどうかはわからない。フードの人――ヒューノットさんは、たぶん主人公。きっと"操作キャラクター"ということで、まず間違いないと思う。
スタート地点であるタイトル画面で聞こえた声は、仮面の人のものだったからナレーション的な役もしてるのかもしれない。案内役というのなら、それはそれで適切な役割かもしれないけど、そのあたりの事情はさっぱりだ。
そして、チュートリアル。今、現在。なう。
すぐ目の前で仮面の人が剣を構えている。
「ひっ……」
私の軽い現実逃避なんて、何の意味がない。
今度こそ本気で後ずさる。すると、私と仮面の人の間に、フードの人が割り込むようにして入って来た。
深々とフードを被ったままの、――ヒューノット、さん。
仮面の人よりも顔が見えていなくて、その服装は何なんだよとツッコミを入れたい。怖いから言えない。
「ヤヨイ」
仮面の人が、落ち着いた声で名前を呼んでくる。剣を体の前に持って来て、こちらに突き付けている姿勢だ。
その行動と落ち着き払った声色がチグハグすぎて、私の頭は軽くパニックだった。 耳障りなくらいにバクバクと騒いでいる心臓が、今にも口から出てしまいそう。
慌てて顔を持ち上げると、仮面の人に石を投げ渡された。反射的に受け取ったそれは、歪な形をした白色の石。この世界は、白に対して何かこだわりでもあるのか。
「チュートリアル終了後は、自動的にセーブが行なわれる。つまり、君の名前とこれまでの行動などがこの世界に残される、という事さ。ロードしたい時は、また私を呼んでくれるかい。それで済む。ほら、簡単だろう?」
そんな普通のテンションで説明されても、状況が異様すぎて困る。
剣を構えている仮面の人に対して、ヒューノットさんは手ぶら。どう見たところで、何かが始まったとしてもヒューノットさんに勝ち目はなさそうだ。
何も始まって欲しくないけど、そういう訳にもいかない空気ではある。悲しいことに、私は鈍いなりに空気くらいは読めるのだ。
「……ええと。いや、あの、その、フルッセルさん」
「シュリュッセル・フリューゲルだよ」
名前を間違えた。前後で色々と混ざった。最悪だ。まさか、そんな、このタイミングで。
別に機嫌を損ねたい訳ではない。むしろ、穏便に済ませたい。
仮面の人に怒った様子はない。表情なんて、ちっとも見えないけど。だから、逆に怖い。やっぱり、顔は見えていた方がいい。
怒ってもいいから、わかりやすくしてほしい。いや、やっぱり怒ってほしくはない。
「……今から、何をするつもりなんですか?」
気を取り直して問い掛けてみた。
「チュートリアルさ。そう言っただろう?」
「言われましたけども」
簡潔に返された。確かにそれは聞いた。
確かに言われはしたけど、今の状況を聞きたい。はぐらかされている様子ではないが、どうにも話が噛み合わない。
いや、噛み合わないというのなら、きっと最初からずっと噛み合ってなんかいなかった。始まりから、ずっとチグハグだ。わからないことだらけで、困惑しかない。
「――さあ、ヤヨイ。君には選択する権利がある」
私の困惑なんて何のその。
仮面の人は当然のように言葉を続けた。
「勿論、選択肢は豊富だ。そして、それらには正解がない。君が選んだ事が全ての結果であり、全ての結末であり、そして手段であり経過でもある。選択肢は、常に二択とは限らない。東西があれば南北があるように。君には無限の可能性がある。そして、選ばなければ先に進む事が出来ない。時間は待ってはくれないのだから、時には選択が君を追い詰める事もあるだろう。……さあ、ヒューノット」
相変わらずの淡々とした声が流れるように響いたあと、仮面の人は唐突にヒューノットさんを呼んだ。つい今の今まで、まるでそこにいないかのような扱いだったというのに。本当にいきなりだ。
呼ばれたヒューノットさんは、肩越しにゆっくりと私を振り返った。
そのあまりにも強い威圧感に動じてしまって緊張感が増す。鼓動がまた一段、ぐっと跳ね上がったような気さえした。
どきまぎしている私をよそに、ヒューノットさんは目深まで被っていたフードを無造作にあっさりと剥いだ。
そして、ゆっくりと口を開く。
「お前が決めろ。戦うか、戦わないか」
「……た、……た??」
しゃべった。
じゃなくて。
戦う、と言われても。どうすれば良いのかさっぱりだ。
そもそも丸腰なのに、戦うも何もない気がする。いや、ひょっとしてヒューノットさんは、肉弾戦に長けているのだろうか。
というか、何だ。めっちゃ偉そうだ。主人公だとは思えない。敵役っぽい。目つき悪いし。ヒューノットって呼んでやろう。
中途半端なところで声を止めた私に対して、ヒューノットは明らかに苛立った様子で眉を寄せた。その顔立ちは端整ではあるけど、どうにも目つきの印象がキツすぎる。いや、だから、そうではなくて。
余計なことを考えていると見透かされたのだろうか。ヒューノットは、とうとう舌打ちをして前を向いた。ガラが悪い。どんな主人公だ。
どちらの選択肢も良い結果が見えない。戦えと言えば良いのか。それとも。
そうやってためらっていると、仮面の人が剣を握る腕を横に広げた。そして、ヒューノットの首筋を横から狙う。
間一髪。
ヒューノットが頭を後ろに反らせる形で回避すると、切っ先は宙を裂いただけで終わる。直後、一気に踏み込んだ仮面の人が今度は斜め下から剣を振り上げる。重い音を立てて地面を蹴ったヒューノットは、横へと飛び退くことでその一撃からも逃れた。
何だか、よく出来た芸か。あるいは、お芝居でも見ている気分だ。まるで現実味がない。
現実ではないのだろうけど、それにしてはリアルすぎる。
そんな感覚の矛盾が、どうにも気持ち悪い。
肘を曲げて一旦剣を引いた仮面の人は、片膝を曲げた直後、全身に勢いをつけて剣を突き出した。ヒューノットは、今度は避けずに突き出された剣を手で払う。
耳障りな、金属同士が擦れた音が届く。
弾き合ったかのように二人は大きく後ろに跳び、一気に距離が開いた。
ふたりの近くにいるはずの私は、既に置いてけぼりだ。もちろん、近付きたくもない。
そもそも、早すぎて、よく見えなかった。何をしているのかなんて、ちっともわからない。
辛うじて、ヒューノットの手の甲に何か金属のような、甲冑のような、籠手のような、何かが取り付けられているということだけはわかったけど。
逆に言うと、それで剣を弾いたんだな。ということくらいしか理解できなかった。
「――オイ。……戦うのか、戦わないのか。どっちだッ!」
今度は少し語気を荒げられてしまって、私は慌てて答えた。
「た、戦ってください!」
それがたぶん、きっと、おそらく、正解のはず。予想外に大きく上がった私の声に反応したのは、ヒューノットだけではなかった。仮面の人も同じ。
剣を持つ腕を下ろした仮面の人は、一気に踏み込んで駆け出した。そして、信じられないくらいに高く跳躍する。飛び上がった瞬間から剣を構え直す動きまで、一瞬の出来事だ。
視界に映るすべてが、数秒間だけスローモーションになる。
一方のヒューノットは迎え撃つ姿勢のまま、一連の動作を見ていた――ただ、見ていただけだ。彼の右肩から斜めに一閃、剣が振り下ろされて思わず悲鳴を上げそうになる。しかし、ヒューノットは背を軽く後方へと傾けただけで逃げる気配なんて全くない。
「――……ッ?」
ヒューノットが右腕を大きく振り上げたかと思えば、ガツンッと音がして思わず息を飲んだ。斜めに筋を描きかけていた剣の軌道が乱される。振り下ろされた剣を肘で払ったかのように見えた。当たった瞬間に食い込んだのか、それとも切れてしまったのか。宙に鮮血が飛ぶ。
刃に落とされた一撃による衝撃は、仮面の人の手にまで確かに伝わったらしい。
剣の先が弾かれた勢いのまま持ち上がって、一瞬ばかり動きが止まる。
それと同時にヒューノットがいきなり屈み込み、ずらしていた方の脚で低い位置から蹴りかかった。
足払いを受けた仮面の人はバランスを崩し、草の上を滑る形でその場に尻をついてしまう。その手から離れた剣は、いつの間にかヒューノットが握っていた。
声すら出せないまま、ふたりのやり取りを見ているだけだった私には目もくれず、ヒューノットは剣を両手で掴み直して大きく振り上げた。
その瞬間──仮面の人と目が合った、気がした。
右斜め上。左下へ。振り下ろされる剣の道筋は、ちょうど仮面の人の首あたり。
「なっ……」
吸い込んだ空気が一気に冷えて、胸の奥が痛くなる。
斬首を思わせる動きが怖くて、思わず両目を閉じて左右の耳を手で覆う。掌が耳に触れて、空気のこもったような音がした。
激しく脈打つ鼓動が、耳の奥から聞こえる。しかし、それ以外には何も聞こえて来ない。嫌な汗が背を伝って落ちる。数秒か、それとも数分か。時間の感覚なんてなかった。何も見ないまま、聞かないまま、時間だけが過ぎる。
何もない。
あの勢いで、あの至近距離で、あんなものを振り下ろしたら、どうなるのか。考えたくもないし、見たくもないし、何なら忘れたい。
"戦え"と言ったら、仮面の人が。
"戦わない"と言ったら、フードの人が。
そうなる、仕組みというか。展開、なのだろうか。
ひどく長く感じられる沈黙と静寂を経て、恐る恐る手を離しながら目を開く。
眼前にあったのは、スリープモードになっているパソコンとモニターだった。
振り返ると、背後にはカーテンが引かれたままの窓と壁がある。前を見れば電源の切れたモニターが、無言で私の姿を薄らと映し込んでいた。足元を見下ろしても、室内にいる私は当然ながら裸足だった。靴なんて、履いてない。
力が抜けて、よろけた拍子に椅子へとぶつかる。そして、勢いのまま腰を下ろしてしまった。
「えぇ……」
だめだ。全然、何も受け入れられない。夢だったにしては、リアルすぎた。
白昼夢にしても、あまりにも荒唐無稽だ。もっと素敵な空想がしたい。
「セーブ……」
出来たのだろうか。
出来てしまったのだろうか。
最後にとても、嫌なものを見た気がする。決定的な瞬間は見ていないけれど、あんなの結末までネタバレが過ぎる。
軽く頭を振って、深呼吸をする。夢だ。夢。あんなの夢。そうに決まってる。
大体、仮面の人もフードの人も、見るからに日本人ではなかった。だったら、どこの人だよと聞かれても具体的には出て来ないけど。でも、夢だ。夢に違いない。ゲームの世界になんて入れるはずがない。
自分に言い聞かせながら、もう一度デスクを見る。
そこには、歪な白色の石が置いてあった。
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