4.フードの青年

 塀の向こう側――古い木製の扉を開いた先に広がっていたのは、雪に覆われた街だった。

 振り返ってみるが、背後にあるのは仮面の人と歩いてきた草原だけ。隣にいる仮面の人は、私が入るまで待つ気でいるらしく、今は沈黙している。

 扉ひとつ隔てただけで、あまりにも別世界だ。吐き出す息は白く染まらないが、見えている限りの雪は本物のようにしか思えない。


 もう一度、仮面の人を見た。小首を傾げられただけで、特に何も言ってこない。さっきまでの饒舌っぷりは、一体どうしたんだよ。どうとでもなれというヤケクソ気分で一歩を踏み出した。


 新雪を踏み締めた音がしたが、だからといって特に何も起こらない。

 上から何かが降って来るなんてこともなければ、知らない人物が飛び出して来ることもない。


「……」


 うわ。警戒した自分が馬鹿みたいだ。


 まあ、本当にチュートリアルだとしたら、何かが起こったところで対処できる範囲だろう、とは思う。たぶん。二歩、三歩。そして四歩と進んでから、後ろを振り返る。仮面の人は、きちんと付いて来ていた。

 良かった。ひとりで行くイベントだったらどうしようかと思った。絶対に無理だ。

 すると、私の不安を察したらしい仮面の人が口を開いた。


「――紹介すると言っただろう? 彼は、寡黙な人物でね。初対面の君とは、きっとあまり話をしたがらないだろう。だから、私が必要になるのさ。君が不要だと言うのなら、私はここで待っている事も可能ではあるけどね。できれば、私を通す事をお勧めするよ。さて、案内は必要かい?」

「ああ、うん、えっと、……お願いします」

「任せてくれたまえ」


 説明の内容としては、さっきと同じだ。

 芝居がかった調子まで出されてしまって、どう対応すればいいのかわからない。


 紹介される人がどんな人物なのだろうかと不安になるけど、まあ、セーブするまでだ。セーブってなんだよという気がしないでもないけど、とにかく。セーブまでだ。

 そもそも、本当にセーブなんてできるのかどうかという話ではあるけれど。


 隣に並んだ仮面の人が手を差し伸べてくれたけど、首を振って遠慮した。子どもではないし。

 白レンガの塀に囲まれた街は、本当に白かった。

 雪が降り積もっているという点を除いても、本当にひたすら白い。建物の壁も屋根も、とにかく白一色だ。建物にも、雪とは少しだけ色合いが違って古そうな、軽く汚れた白色が覗いている。

 まるで、他の色の存在を頑なに拒んでいるかのようだ。こんなにも色彩が欠けていると、傍らの人が妙に浮いて見えた。


 仮面の人は案内役を自称するだけあって、迷いなく進んでいく。

 最初は隣に立っていたけど、やっぱり後ろからついていくことにした。


 どうして、扉の時だけ先を促されたのか。全くもって謎だった。


 ふと振り返ると、扉はもう既に閉じている。ように見えた。

 閉じる音は聞こえなかったけど、もう深く考えたら負けなような気がする。


 似た形の建物が整然と並ぶ道は、真っ直ぐに続いている。

 それこそ、大通りという感じの道だ。メインストリートっぽい。


 家々の間には細い路地が続いているようだけど、覗き込んでも入り組んでいて、ぱっと見ただけではどうなっているのかわからない。


 今はひとまず、大人しく仮面の人についていくしかないだろう。

 そもそも、こんなところで単独行動をするような勇気はなかった。

 万が一、迷子にでもなったら、ひとりで対処できる気がしない。


 しかし、ひたすら真っ直ぐ進み続けているだけだと、不安になって来た。


 前を行く仮面の人を眺めてみる。黒い髪は、後ろから見るとウルフカットみたいな髪型だ。脚が長いせいなのか一歩が大きくて、うっかり油断すると引き離されてしまいそうになる。いきなり駆け出されたら、追いつける気がしない。いや、そんなお茶目なイタズラをするタイプには見えないけど。


 大きな噴水がある十字路を右に曲がって、突き当たりを左に曲がる。つまり、ほとんど真っ直ぐだった。これなら口で説明してもらえれば自力で辿り着けそうではあるけど、案内人不在は怖いからそんなことは言わない。


 しばらくして細い路地を抜けると、急に開けた場所へと出た。丸い広場は、周囲を木々で囲まれている。雪だけがひっそりと大地を覆っているような場所の真ん中あたりで、


「――さあ、彼を呼んでみようか」


 突然、そんなことを言われても困惑しかない。


「え、呼ぶって、……どう呼ぶんですか?」

「呼び方としては、そうだね。君が思うように呼ぶといい。それで、彼は応えてくれる。右でないのなら左であり、嘘でなければ本当であり、朝でなければ夜だ。夢でなければ現実であり、事切れていないのなら生存だ。無限でなければ有限で、つまりは表裏一体なんだ。実に簡単な話だよ。天空に答えがなければ、自ずと分かる事さ」


 言っている意味が、さっぱりわからない。

 仮面の人が空を示すものだから、思わず見上げてしまったけれど。

 そこにあるのは、憎らしいほど綺麗に晴れ渡った空だけだ。



 わあ、きれいなおそら。




「――いや、全然わかんないです。せめて、何か、こう、ヒントとか……」


 ないですか、と。力なく聞いて一歩踏み出したあたりで、カツンと硬い感触を靴裏に感じた。薄く積もった雪の上、私の靴跡が残っているその下。マンホールの蓋みたいな鉄製の何かがある。


「……」


 上にないなら下。ということ、らしい。謎解きですらなかった。すごくシンプルだった。何なら、ちょっと腹立つ。


 仮面の人は無視して、屈み込んで雪を払ってみる。そうすると、長方形の板が見えてきた。


 読めない文字がたくさん刻まれているけど、読めない時点で何のヒントにもならない。英語とか、そういう身近な言語ではないらしい、ということしかわからない。まあ、英語だって読めないんだけど。それでも、アルファベットくらいなら判別できる。


 取っ手もなく、引っ張り上げることはできそうにない。扉だというのなら、そういう親切設定は必要だと思う。


 仮面の人を見上げると、口許に笑みを浮かべられてしまった。


「君の好きなように呼んで構わないんだよ。扉というものは、そもそも開く為にあるのだからね。どれほど厳重な鍵を取り付けたところで、扉が扉である以上はどうあっても開く運命にあるのさ。ただ、礼儀がなければ歓迎はされないだろう。親しき仲にも礼儀ありと言うだろう? つまり、親しくない間柄であれば、余計に礼儀は必要になるという事さ」


 やっぱり、全然、何のヒントにもならない。

 この人、チュートリアルする気あるのだろうか。


 でも、さっきのことを考えると、答えはとてもシンプルなはずだ。

 この人の言い回しが奇妙なだけだろう。そもそも、ここでいきなり捻られても困惑しかない。ああ、どちらにしても、とんだクソゲーだ。バッドエンドに辿り着くまでもない。


 刻まれた文字をなぞってみたり、上に乗っていた薄雪を全て払ってみたり、隙間がないかを探してみたり、何か押すところがないか触ってみたり、恥ずかしいけど話しかけてみたり挨拶をしてみたり、色んなことをやってみたけど特に変化はない。


 セーブ云々の前に、電源から落としてやりたいクソゲーだぞ、これは。


 見かねたのか。そもそも、そういう算段だったのか。しばらく悩む私を眺めていた仮面の人は、不意に人差し指を立てた。また空かと思ったけど、やっぱりそこには何もない。


 もう一度、仮面の人を見ると、今度は扉を示していた。ええ。何。どういうことなの。思わず眉を顰めると、今度は手が伸ばされた。ゆっくりと片手が取られて、緩やかに引っ張られる。


「えっと、何ですか?」

「扉は開くもの。しかし、開きたいのなら、扉の前に立たなければならないよ。このままでは、扉に気が付いてもらえないからね」

「ええと、つまり……?」

「こういう事さ」


 エスコートする形で扉の上へと誘導された。私が乗ったところで、鉄製のそれはビクともしない。というか、ビクともしたらショックでしかない。

 ゆったりと私の手を解放した仮面の人は、さっきまで私がしていたように扉の脇に屈み込んだ。そして、静かに文字をなぞったあとにコンコンと軽く叩いた。


 次の瞬間、急に地面の感覚がなくなったことに慌てて視線を落とせば、底の見えない穴が広がっていた。


「――――はっ!?」


 ぽっかりと口を開いて、落下する身体を待ち受けている穴。それは一瞬の出来事のようでもあり、ひどく長い時間のようにも感じられた。ぐらりと身体のバランスが崩れ、続いて傍らに立っている仮面の人の姿が目に入り、それがすぐに消える。

 真下から吹き上げてくる風に逆らって体が落ちていく中、次の瞬間には頭上の穴を見上げる形になった。足元の不安定感にぞわりと肌が粟立つ。


 これはやばい。やばいやつだ。これ。

 恐怖心が足先を震わせて背を駆け抜け、頭まで痺れさせて来たその時──強く目を閉じたと同時、唐突に落下は終わった。


 着地した、わけではない。そんな衝撃は全くなかった。


「扉に対するノックは、最低限の礼儀だ。そうだろう? ヤヨイ」


 恐る恐る目を開くと、あろうことか、私を罠にハメた奴に抱えられていた。死ぬほど恥ずかしい上にぶん殴りたい。しかし、衝動はあっても勇気がなかった。我ながら情けない限りだ。


 仮面の人は衝撃もなく、まるで羽根のようにふんわりと地面に降りた。


 いや、それよりも私のことをすごく軽々と抱えている方が気になる。私は太ってはいないけど、だからといってガリガリに痩せてもいない。そして、仮面の人はものすごく力持ちという感じでもない。


 というか、私も抱えられている間に自分の重みで沈み込む感覚もなかった。五感が麻痺した気分になってしまう。


 ゆっくりと降ろされたのは、木製の床の上だ。お礼を言おうかどうか。少し迷ったが、結局は言わないことにした。


 少し離れた位置にある椅子に、知らない人が座っていたからだ。


 傍らに背の高いランプとテーブルを置いたその人は、退屈そうに背を折り曲げて私達を見つめている。驚いた様子はない。とても自然な、それでいて当たり前のようにそこにいた。

 そして、両膝の上に腕を置いて、左右の手指を組んで口許に当てた姿勢のまま、ただ見つめている。


 黒いフードを目深に被っているせいで、顔はほとんど見えていない。挙句、幅の広いタートルネックのような服で口許は完全に隠されている。辛うじて鼻筋が見える程度だ。


 やばい。服装だけでやばい。見た目で判断するなとは言うけど、相手は不審者以外の何者でもなかった。仮面の人の方がマシにすら思えてしまう。


 というか、ここの人達は顔を隠すのがデフォなのだろうか。文化なの、ファッションなの。理解できない。仮面の人を筆頭に。


 あまりにも、まじまじと見てしまった所為だろうか。フードの人物は、不意に顔を上げて顎先でこちらを示した。

 正確には、私の隣。仮面の人に対して、合図をしたようにも見える。


「――さあ、ヤヨイ。それでは、紹介しよう。彼はヒューノット。この世界において、君の手となり足となり、君の選択を実行してくれる人物さ。君に出来ない事をやってくれて、君が選んだ行動を行なってくれる。君の為に彼がいるのさ。そして、ヒューノット。彼女はヤヨイ、我々の招きに応じてくれた奇特な人さ」


 何という紹介をしてくれるんだ、この人は。奇特とか言われた。


 色々と言いたいことはあったけれど、ここは何とかぐっと堪えておく。

 仮面の人の傍から離れて、黒いフードの人の近くに寄ろうとしたけど、二歩でやめた。

 こうやって比較すると、やっぱり仮面の人の方がマシだ。フードの人が、あまりにも怪しい。


「あの、弥生、といいます。ええと、チュートリアルで来ました」

「……」

「ヒューノットさんに会ったら、チュートリアルは終わるんですか?」

「……」

「……あのー」


 何か、せめて一言くらいは話して欲しい。完全にシカトは辛い。

 本当に寡黙な人なのか。意地悪で黙っているのか、ちっともわからない。いや、でも、寡黙ってそういう意味ではなくないか。これだと、悪意の無視にしか思えない。


 私の自己紹介も大概だとは思うけど、だからといって無視で対応なんてひどすぎじゃないのか。


 フードの人が怖すぎて、仮面の人を振り返ってしまった。

 どうにも、仮面の人を頼るクセがつきそうだ。いや、でも、さっきは、この人に落とされたんだった。それは、忘れないようにしよう。


「すまないね。彼はとても寡黙なんだよ、ヤヨイ。そのうち、分かってくる事もある筈さ。さあ、では次の段階に移ろうか。君と彼の相性を、確認しなければならない」

「ええっ、まだ続くんですか?」

「それは勿論だよ。今はただ、紹介をしただけだからね。知るという事は大切さ。それに扱い方が分からなければ、それは道具とは呼べない。どんな便利な道具も、あるべき姿と正しい使い方を知らなければ意味なんてないのさ。間違った使い方は、道具にも失礼だしね。そう、最低限の礼儀だよ」


 さらりと、フードの人――もとい、ヒューノットさんが道具扱いされている。これは怒っていいんじゃないかと思ったけど、怖くて視線を向けられない。

 謎の威圧感がある。猫の仮面とはまた違う。やだもう、絶対に相性とか良くない。ていうか、"最低限の礼儀"とやらは、扉に対するノックのことではなかったのか。

 どうしたらいいのかと溜息をつきそうになった時、仮面の人が両腕を広げたのが視界に入った。誘われるようにして視線を転じれば、周囲はもう景色が変わっている。


 最初に立っていた草原だ。


「…………」


 三歩進んで二歩下がった気分。


 こうやっていきなり景色が変わるのも、ちょっと慣れてきた自分がいる。この奇妙な順応力の高さに自分でびっくりするくらいだ。人間って、何かしらの才能があるものなんだな。なんて思ってみるけど、現実逃避でしかない。


 フードの人――ヒューノットさんを見ると、びっくりするほど近くにいた。悲鳴を上げなかった自分を褒めてあげたい。腕を伸ばして、半歩くらい近付いたら届きそうな、絶妙な距離感だ。


 ヒューノットさんも背が高いが、がっしりとしている。仮面の人と比較すると、すごく男性的。というか、仮面の人に至っては、いまいち女性か男性かの区別もつかない。仮面だし。スレンダーだし。仮面だし。


「……えー、それで。その、何をすればいいんですか?」


 色々と諦めて問いかけると、仮面の人は薄く笑った。

 仮面の所為でわかりにくいけど、この人は基本的に笑っているように思える。にこにこと愛想が良いというよりは、無表情と微笑の二択しかないような感じではあるけれど。


 どちらにしろ、無表情一択しかないヒューノットさんよりは断然マシだ。


 仮面の人が、一歩だけ後ろに下がった。


「――ヤヨイ。彼は、君の手足さ。彼は盾でもあり剣でもある。君を守る為の鎧にも成り得て、君の望みを叶える為の手段にも成り得る。そして同時に、君は彼にとって定めそのものだ。ヒューノットは君に選択肢を委ねる存在であり、君に運命を託している存在でもあるという事さ。逆に君は、彼を守る事も救う事も出来るが、勿論見捨てる事だって可能だ。君を制する存在など、この世界にはいないのだからね。君は君の思うがままに――――」


 決められた台詞を口にするように、相変わらずよどみもなくすらすらと言葉が出て来る。何の迷いもなく詰まることひとつなく、当然の事実を口にしているだけのようにさらさらと言葉が流れていく。仮面の人から出て来る声は一定していて、朗読のように安定していて穏やかだ。

 言っている内容は、やっぱりちょっとよくわからないけど。いや、全くわからない、けど。


「ちょ、ちょっと待って……」


 でも、見るだけで明らかなことはある。ゆっくりと動かされた仮面の人の左手が握っていたのは、白い石ではなくて銀色の剣だったからだ。

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