3.白い街


 目の前にいる仮面の人は見るからに怪しい。

 絶対に普通の人ではない。とは、思う。こちらに接する態度そのものは柔らかくて、声はまあまあ優しい感じ──だけど、そんなことで絆されたり、ましてや信用したりはできない。絶対無理。


 あと、名前の発音が難しい様子ではいるのに、言葉自体は流暢だ。

 エセ日本語遣いの芸能人の方が下手だろうと思えるくらいに、言葉はすらすらと出ている。聞き取る分にも問題はない。


 とはいえ。そんなことを、今こうやって考えたところで仕方がない。開き直って立ち上がると、屈んでいた仮面の人も立ち上がった。


 並んで立てば、結構な高身長だとわかる。すらりとしていて背まで高いとか、それはもうチートなのでは。

 尻を軽く叩いて土を払う間に、仮面の人はまた一歩後ろに下がって元の位置に立ち直した。


 土を払った手に落としていた視線を持ち上げる。

 すると、仮面の人の向こう側は、違う景色になっていた。

 いや、景色ではない。そこにあったのは、黒だ。暗がりともまた違う。のっぺりと塗りたくられたような漆黒。そこには何もないかのような、壁ともまた違う黒が広がっている。まるで、タイトル画面の黒背景のような。

 無意識のうちに後ずさりかけたが、今度は転ばなかった。

 仮面の人がゆっくりと緩やかに腕を広げる。芝居がかった仕草だというのに、あまりにも自然な動きにも見えた。矛盾たっぷりの感想だけど、それ以外に表現のしようもない。

 まるで、どこかで見たことがあるような。

 そんな気すらしてしまう。


「――ようこそ、傍観者プレイヤー。親愛なる傍観者よ。我々は、"君"を歓迎しよう。この世界で、君は"唯一の存在"だ。なんびとたりとも君を阻む事など出来ない、唯一無二の存在さ。――さあ、開かれたこの世界を始めてくれ。勿論、君の手で閉じてくれても構わない。我々はずっと待っているからね。終わりを迎えるまで、幾度でも閉じてくれて構わないとも。君は、何度でもやり直せる。我々は、繰り返すだけさ」


 仮面の人は詰まることもなく、まるで決まり文句のように、すらすらと言葉を紡ぎ出した。強い風に飛ばされるかのように、仮面の人の背後に広がっていた黒色が薄れて消えていく。それは、さらさらと砂が流される様子に似ている。


 再び見えてきたのは、さっきまでと同じ光景――ではなく。見渡す限り何もない草原だと思っていたのに、仮面の人の向こう側には街のようなものがあった。高い塀に囲まれたその姿は、ゲームで見かけるものに似ている。


 あれ?


「……プレイヤーって」


 つまり?


「そう。君の事だよ、ヤヨイ。君が、その手でこの世界を目覚めさせた」

「え、ちょ、ちょっと待ってよ」

「セーブがしたい時は、私に話し掛けてくれるといい。ロードの時も然りだよ」

「いきなりゲームっぽいこと言い出すのやめて!?」


 私が大声を出すと、仮面の人は小さく頷いて黙ってくれた。わかりにくいけど、口許が笑っている。少なくとも、機嫌を損ねた訳ではなくて良かった。


 現時点でこの人がいなくなったら、もう何のヒントもない。いや、信用している訳でもないけど。さっきはちょっと落ち着いた気がしたものの、全然全くちっとも、そんなことはなかった。


 セーブって? つまり、ここがゲームの中だってこと?


 そんな非現実的なことがあって堪るか。しかし、そうじゃないと説明がつかない気もする。気もするけど、説明がついたところでメンタルが追いついて来ない。片手で頭を覆いながら、目を閉じて集中してみる。でも、五感で捉えるすべてが嘘というか夢というか、そんな気はしなかった。


 自分の感覚だけでは正直不安だから、頬をつねってもみたけど目が覚めない。そもそも、痛い。普通に、ただ痛い。


「ええと……」


 世界を始めてくれ。っていうのは、ゲームをスタートさせてくれってことで。

 世界を閉じてくれ。っていうのは、ゲームを終わらせてくれってことなのかな。


 そうなると、何となく意味がわかる。

 いや、ちっとも理解はできないけど。わからないでもないという感じだ。しかも、仮面の人が言った言葉を当て嵌めていけば、の話でしかない。この人が嘘をついていたり、意味のない言葉を言っていたりしたら、もう前提が崩れてしまう。


「聞きたい事はないのかい、ヤヨイ」


 考え込んでいたところに涼やかな声が届いた。相手がこうも落ち着いていると、こっちも少し冷静になれそうだ。泣いて喚いたところで助けは来ない。たぶん。

 そういう都合の良い展開こそ、非現実的だと思う。渡る世間は何とやらだ。私だって見知らぬ他人を、ほいほい助けたりしない。


 名指しされたら、ちょっと困るけど。さすがに名指しで助けを求められて、無視して立ち去れるほどの無神経さはない。たぶん。


 私が沈黙していると、察してくれたらしい仮面の人がまた口を開いた。


「君が戸惑うのも無理はない。唐突に物語が始まれば、誰であっても困惑してしまうものだからね。しかし、我々には方法がないんだ。ヤヨイ。我々の不躾で不器用な招待を、どうか許して欲しい」


 相変わらず、仮面の人は決まり文句のように言う。決まり切ったセリフを言うだけのような、妙な安定感があった。それこそ、「おはよう」とか「ただいま」みたいな、意識しなくても言えるような感じだ。


 聞きたいことはたくさんあるのに、いまいちどう聞けばいいのかがわからない。

 まるで面接みたいだ。そういうテンプレも作ってくれたらいいのに。まあ、授業中でも、わからないことがわかりません、レベルだったけど。


「あの」

「何かな?」


 仮面を外して下さい。

 とは、流石に言えない。


 こうやって正面で向き合っていると、本当に仮面の威圧感がすごい。見慣れていないというのと、非現実さが混ざっているせいかもしれない。

 そもそも相手の顔が見えていない状態で会話するなんて、通常というか日常ではまず有り得ない。 マスクをつけて接客するだけで、威圧感があるとか接しにくいとかクレームが入るご時世だ。サングラスあたりでギリギリセーフな気がするのに、仮面というのはレベルが高すぎる。いや、サングラスでギリギリアウトかな。

 少なくとも、私にはハードモードすぎた。


「……セーブって、出来るんですか?」

「勿論さ。チュートリアルが終わればね」

「えぇ……」


 いきなりゲームっぽいことを言うのは、本当にやめて欲しい。聞いたのは、私だけど。夢なら覚めて欲しい。いっそ夢だと言われた方が納得できる。頬をもう一度つねってみたけど、痛いだけで無駄だった。


 痛い分だけ損をした気分だ。掌全体で頬を擦るように撫でながら、仮面の人を見る。嘘をついているようには見えないけど、表情が見えないから嘘をつかれたところで判断できない。


 まあ、いい。とにかく、迷っても仕方がない。チュートリアルがあるというのなら、それを終わらせれば済む。済む、だろう。たぶん。済んで欲しい。願望でしかない。


「じゃあ、ここはゲームの世界なんですか?」


 何という間抜けな質問だろう。だけど、そうでなければ、説明がつかない。いや、そうであったとしても合理的な説明はつかないけど。


 "チュートリアル"や"セーブ"を担当しているということは、本当にサポートキャラなのだろう。ヘルプも兼ねているかもしれない。


「それには答える事が出来ないな」


 しかし、シンプルだと思った問いには答えてくれなかった。設定されていない質問には答えられないとか、そういうあれなのかな。そう考えると一気にゲームっぽい気がして来た。いや、ゲームにしてはリアルだけども。

 仮面の人が片手を持ち上げると、そこには白い石があった。拾う動作はなかった。本当に何処からか唐突に現れたように見える。白い石は掌に収まるサイズだけど、仮面の人の細指には少し重たそうだ。

 仮面の人が笑った、ような気がする。相変わらず口許しか見えないけど、たぶん笑った。と、同時に


「さあ、チュートリアルを始めよう」


 そんな言葉と共に無造作に石を投げられた。声を上げる間もない。慌てて両手で頭を覆ったが、特に掠めた様子もなく後ろに石が落ちた音だけ聞こえた。


「え、ちょっ」


 意味がわからずに後ろを振り返り、再び前を向くと、また石を投げられた。両腕で頭を覆ったまま、今度は反射的に屈み込んだ。空気を切るような音をして耳元を掠めた、気がする。


「だめだよ。ほら、立って。今度はお腹を狙うからね」

「いきなり何なんですか!? チュートリアルは!?」

「これがチュートリアルだよ」


 "チュートリアル"という言葉が、頭の中でゲシュタルト崩壊を起こしてしまいそうだ。平然と言い放った仮面の人が、また石を投げてきた。


 どうしても目を閉じてしまうが、やはり当たらない。もしかして、投げる振りをして遊んでいるのだろうか。

 ちょっとイライラして、顔を持ち上げたそのときだ。


 すぐ近くに、白い石を持った仮面の人が立っていた。

 そして、その石が額に――――


「……あれ?」


 ――当たらなかった。

 当たらない。確かに手はすぐ近くにあるというのに、石は当たらなかった。

 仮面の人の手から石が落とされる。膝あたりに落ちたはずなのに、石は身体をすり抜けてしまった。これでは、私がまるで幽霊のようだ。


 両腕で頭を守ったままの間抜けな格好で固まる私の前で、仮面の人がまた屈み込む。


「――言っただろう、ヤヨイ。"この世界"で君は、何者にも制される事のない唯一無二の存在だ、とね。君は、何度でもやり直せる」


 意味は、わからない。けど。まあ、確かにそうか。プレイヤーにまで被害が及ぶなんて有り得ない、ということか。そもそも、プレイヤーまで巻き込むなんて、どんなデスゲームだという話だけど。気軽に攻略サイトへ書き込んでいる場合ではない。


 そもそもゲーム内に引きずり込まれるなんて、誰が想像するんだ。


 それにしてもいきなり人に石を投げつけるとか、この人やっぱりどうかしてる。腕を下ろして物言いたげにしていると、仮面の人はまた笑った。


「君を傷つけられる存在は、この世界にはいないんだ。しかし、――ほら、君は違う」


 仮面の人は私の片手を取ると、その上に白い石を置いた。ずしりと重みのあるそれは、確かに存在しているのだと主張している。握り締めても硬くてザラザラした感触があって、石という以外に思いようがない。


 私に石は当たらないというのは、本当なのか。それとも、私を傷つけることが出来ないという意味なのか。

 あるいは、ここの全てが私に干渉できないという意味なのか。どれもこれも、実際のところは謎だ。


 石から視線を持ち上げると、仮面の人は小さく頷いた。


「――さあ、行こうか。私には、君に紹介しなければならない人がいる。彼はとても寡黙だから、最初は私が紹介する事になっていてね。彼自身に悪気はないんだ。だから、どうか気を悪くしないで欲しい」



 石を取った仮面の人は、そのまま極々自然な調子で私の手を引いて立ち上がった。あまりに自然な動きだったものだから、私も何となく従って立ち上がってしまう。


 触れていた手は、立ち上がったと同時に離れた。仮面の人が緩やかに手招きをしてから歩き出す。行き先は、あの街のようだ。街といっても、白い塀に囲まれていて、本当に街があるのかどうかは見えない。

 ただ、いくつかの屋根が覗いていて、グラフィック的には街だろうな、という感じだ。


 前を歩く仮面の人についていく。踏み締める地面の感覚も、足元を掠める雑草のくすぐったさも、疑いようがないほどリアルだ。

 石は当たらなかったが、仮面の人の手は触れられた。その感触だって、あまりにもリアルで、現実だとしか思えない。


 真っ白いレンガが積み上げられた高い塀というのは、今まで見たことのない光景だ。白い塀に、古そうな木製の扉がぽつんとある。金属のカンヌキが、外側につけられていて、これでは街の人を閉じ込めているみたいで、何かちょっと、街というより監獄感が出てきた。

 閉じ込めた、のだろうか。だったとしたら、何を、何のために、どうして、って感じだけど。


 扉の前まで辿り着くと、仮面の人が急に振り返った。ゆっくりと向き直ったかと思えば、胸元に手を当てて仰々しく一礼をしてくる。


「――自己紹介が遅れたね。私は、シュリュッセル・フリューゲル。君の案内役で、サポート役さ。分からない事は私に聞くといい。知る限りは答えよう」

「え、なに? シ? シルッシェ?」

「シュリュッセル・フリューゲルさ。言いにくければ、好きに呼んでくれて構わないよ」


 言えない。何なら噛みそうだ。お言葉に甘えて適当な愛称でも考えよう。ていうか、私はこんな名前の人に発音が難しいとか言われたのか。


 まあ、文化の違いだと思えば、何とかやっていけそうだけど。うん、そう思うことにしよう。


 頷きを返すと、仮面の人も頷いた。

 そして、再び扉に向き直るなり、ゆっくりと施錠を解いて扉を開く。見た目よりも重厚な音が響いて、何かが擦れる嫌な音がする。木材同士が当たって削れる音の後、開いた扉から手が離された。


 すると、レディファーストでもするように、仮面の人は身を引いて先を促してくれた。閉じ込められやしないかとひやひやしたが、仕方がない。大きく開かれた扉の向こう側を覗き込む。


 そこにあったのは、白一色に染まった街だった。

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