4-3【冥府の番犬】
まるで狼を思わせる模様を見せる金属塊。
狼というものに否応なしに反応してしまったアデーレは困惑の表情を浮かべる。
「あ、あの、これは一体……?」
思わずエスティラに対し質問を投げかけてしまうアデーレ。
だが困惑する彼女とは違い、エスティラは金属に浮かぶ狼の模様を興味深げに眺めていた。
「あら、アデーレでも知らないことはあるのね」
「それはまぁ。お嬢様はご存じなのですか?」
珍しい様子のアデーレを前にして気分がいいのか、エスティラは彼女の方を振り返りにこりと笑う。
「当然よ。これは【冥府の印】っていう珍しい鉱石の結晶よ」
「冥府、ですか?」
「そ。あなたも知っているでしょう、冥府にはケルベルスという三本首の番犬がいるって。それにちなんでるのよ」
エスティラの説明を受けた後、改めてアデーレは金属塊を見る。
ケルベルス。
呼び方は若干違うが、それは生前の良太も知るケルベロスと同一の存在だ。
エスティラの言う通り死者の国である冥府の門番と言い伝えられており、かの国の神に仕える眷属である。
「本来は地下深くの交渉で見つかるものなのだけれど、ここで発掘されたということは当時ここに住んでいた誰かの所有物なのかしら」
「十中八九その通りでしょうなぁ。私もこのようなものが見つかるとは驚きましたよ」
ダニエレが冥府の印を机に戻し短く笑う。
それに合わせるようにして、机に置かれた印から七色の光が怪しく輝いたように見えた。
これが一体どういうものなのか。この場にアンロックンがいれば詳しく説明してもらえただろう。
しかし今はそんなガイドもいない状態だ。
二人は珍しいものとありがたがっているようだが、アデーレには印の狼が自分を睨んでいるように見えてしまっていた。
どことなく落ち着かず、印から目を逸らすアデーレ。
「それにしましても、エスティラさんは印のことをよくご存じで」
「ええ。うちの鉱山で発掘された冥府の印が本家にありまして。それでお父様から教えていただきましたのよ」
「それはそれは。さすが鉱山王バルダート家ですな」
ダニエレの口から発せられる分かりやすい世辞。
それを分かっているのだろう。エスティラも分かりやすい作り笑いを見せていた。
既に蚊帳の外となっているアデーレとロベルトは互いに顔を見合わせ、目立たぬよう肩をすくめる。
「ところでエスティラさん。あなたはこんな話をご存じで?」
しばらくの愛想笑いの後、ダニエレが冥府の印を撫でながら言葉を続ける。
「これはとある溶鉄鉱山の話でして、ある鉱員の若者が偶然にも冥府の印を掘り出したそうです」
「それなら周囲は相当喜んだでしょうね。溶鉄鉱よりも価値のあるものを掘り出したのですから」
「ええ。そりゃあもう大喝采だったとか」
突然の話に顔色一つ変える様子のないエスティラ。
溶鉄鉱は確かに多く採掘されている燃料だ。それと比べれば希少な金属の方が高いに決まっている。
それにアデーレの目から見ても、冥府の印はインテリアとして楽しむ以外に価値があるとは思えない。
おそらくは富豪相手に売られることがほとんどの代物なのだろう。
「そして冥府の印を掘り出したその日、鉱員たちはいつもより早く仕事を切り上げ、お宝発見の祝杯を挙げたそうです」
なかなか勿体ぶる話し方だと、多少のじれったさを覚えるアデーレ。
しかし、ダニエレは徐々に声のトーンを落とし、この先の不穏を演出し始める。
「鉱員たちは印を見つけた若者を取り囲み、ごちそうや酒を一晩中たらふく喰らっての大騒ぎ」
「しかし」と言葉を区切り、ダニエレは更に話を続ける。
「日の出を迎え鉱員たちが目を覚ました時、そこに冥府の印と若者の姿はなかったのです」
「あら、随分と厚顔無恥ですわね。あれだけ祝われておいてお宝を持ち逃げなんて」
それについては同意だと、アデーレは気付かれぬよう小さくうなずく。
だがこういった話は珍しいことではない。
貴金属の鉱山では持ち逃げを阻止するために私兵が雇われることが常識だし、そういった行為に及んだ者はその場で殺されることだってあり得るという。
これについては使用人の間でも起こり得ることだ。
だが、ダニエレの話はこれで終わるわけではないようだ。
彼は再び冥府の印を手にし、エスティラに差し出すような仕草を見せる。
「鉱員たちは逃げる若者を発見し、彼の後を追いました。ですがね……」
狼の模様が怪しく光り、ダニエレがにやりと笑う。
何故かアデーレには周囲の作業音が遠ざかり、この場だけが静寂に包まれたように感じられた。
「若者は彼らに捕まる直前、突如としてその場に倒れてしまったのです」
「倒れた? 転んだのではなくて?」
「いいえ。彼の心臓が止まってしまったのです、捕まる直前にね」
自分に向けられた冥府の印を見つめながら、エスティラが小さく相槌を打つ。
それを見てダニエレは彼女が恐怖しているとでも思ったのだろうか。
今度は満足げな表情を浮かべつつ、冥府の印を軽くなでた。
「鉱員たちが確認した時には、既に若者は絶命していました。特に持病もない健康体の若者が急死したと知り、鉱員たちは相当驚いていたそうです」
淡々と若者の死について語るダニエレ。
生前の現代医療を知っているアデーレからすれば、若者はこの世界の医学ではまだ判明していない病気にり患していたと納得できる話だ。
「一体何が若者の命を奪ったのか。ある鉱員が若者が持つ冥府の印を見たとき、恐怖で腰を抜かしてしまいました」
「冥府の印を……?」
「ええ」
ダニエレがゆっくりとうなずき、不気味な笑みを浮かべながらエスティラを見る。
その顔に不快感一つ見せないエスティラだったが、アデーレは彼女がほんの少しだけ後ずさる動作に気付く。
アデーレからしても、今のダニエレの顔は馬車でわいせつ行為に及ぼうとしたときのそれを想起させてくる。
そんな周囲の様子を気にするような素振りを、ダニエレが見せることはなかった。
「その時鉱員が見た冥府の印が、人間の首に噛みつく狼の顔に変わっていたそうですよ」
気温はそれほど低くないのに、自らの腕に鳥肌が立つのを感じてしまう。
陳腐な話に恐怖心を抱いたとでもいうのだろうか。
いや、あくまでダニエレの表情に嫌悪感を抱いただけだ。
そう思いつつ、アデーレは小さく息を呑んだ。
机に置かれた冥府の印から目が離せないのは偶然だ、と。
「つまり若者は冥府の印に殺されたと? 悪さを働いたから?」
「さて、どうでしょうねぇ。だが冥府の印、そして冥界の番人が悪事を働くものを見つけ出した時、果たしてどうするでしょうかねぇ」
乾いた笑いを口にするダニエレ。
エスティラに向けるその視線は、まるで彼女が若者と同じ末路を辿ると予言しているかのようだ。
それほどまでに彼女を侮辱したいのか。
腹立たしさを覚えつつ、平静を保って二人の様子を伺う。
だがどうしても視線の端に映る冥府の印が気になって仕方がない。
ダニエレの話など所詮は怪談噺。与太話のそれに過ぎない。
そもそも事実かどうかも怪しい内容だ。
それでもアデーレが狼の顔を気にしてしまうのは、やはりベルシビュラを想起させることが一番の理由だろう。
冥府とは、命すらも凍り付く極寒の地だと言い伝えられている。
そして全ての熱を奪う力を持つ、狼の戦士ベルシビュラ。
彼女にケルベルスの姿を重ねてしまうのは、きっと自然なことなのだろう。
「……とまぁ、そんな昔ばなしです。どうですかね、エスティラさん」
「そうね。あなたのような方ならば、冥府の印に触れても安全ということは分かりましたわ」
「はは。つまり清廉潔白であれ、ということですなぁ」
――何を言うか、このスケベジジイ。
そんな事を心の中で毒づくアデーレ。
つまるところ、悪事を働こうとケルベルスの模様が裁きを与えることはないということなのだ。
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