第四幕【魔獣抗争】

4-1【別行動】

 結晶魔獣襲撃から一週間が経った。

 あれ以来町への襲撃は発生しておらず、件の結晶魔獣も姿を現さない。

 対処の難しい相手が出てこないのはアデーレにとってありがたい話だが、同時にこの平穏が彼女に不気味さも与えていた。


 そんなアデーレだったが、今は再び馬車に揺られて屋敷の外に出ている。

 ただし今回はダニエレのものではない。れっきとした主人エスティラが所有する馬車だ。

 内装はそれほど差はないものの、年頃の少女であるエスティラが乗るものなだけあり装飾が華やかだ。


 アデーレはエスティラの左隣に着席しており、彼女の向かいにはロベルトが着席している。

 ゆとりのある車内のため、膝が当たるような心配もない。


「例の発掘現場って意外と距離があるのね」


 窓の外を眺めながらエスティラがつぶやく。

 現在馬車はロントゥーサ島内陸部の荒地を進んでいる。

 この先にはダニエレが招集したチームの拠点が用意されており、そこでは廃墟周辺の発掘作業が行われている。

 今進んでいる道もチームが円滑に移動を行えるよう早急に整備されたもので、荒地をそのまま進むよりはマシといった路面状態だ。


 時折石を踏んで大きく揺れる馬車。

 その振動に表情で不快感を表しながらも、エスティラは口数少なく外の風景へと目をやっていた。


 この辺りに来ることが初めてなので、きっと物珍しいのだろう。

 アデーレはそう考えつつ、そっとアンロックンの入ったポケットに上から手を添える。


 現在のアデーレには、魔獣以外の懸案事項が一つ残されていた。




 それは今から五日ほど前のこと。


「えっ、しばらく会えなくなるっ!?」


 夜も更けた頃、自室でアンロックンを手にしたアデーレが珍しく驚きの声を上げた。

 すぐさま口をつぐみ周囲を見渡すが、隣室や廊下から人の反応はない。


 気配がないことを確認したアデーレは、ため息の後再びアンロックンと向き合った。


「急な話でごめんね。ちょっと依り代から離れる必要が出てきちゃって」

「それは……まぁ神様にもいろいろあるんだろうけど」


 自らの手の中でカタカタと音を立てるアンロックンを、アデーレは心配そうに見つめる。

 今日までこういったことはなかったため、否応なしに不安を掻き立てられてしまうのだ。

 そんなアデーレに対し、アンロックンは安心させようとしているのか明るく笑って見せる。


「ちょっとね、例の結晶の魔獣に対抗する方法を知ってそうな子に会ってこようと思って」

「知ってそうって、それってやっぱ同じ神様ってことだよね」

「そうそう。僕の姪っ子なんだー」


 他の神様を親族として語るアンロックンの姿に、アデーレは思わず苦笑を浮かべる。

 だが実際西方主教の神々は血縁者として言い伝えられるものだ。


 例えばアンロックン……ヴェスタは主神ジュビデイルの姉に当たるとされている。

 最初の頃にジュビデイルの力を宿す雷神の鍵を有していたのも、そういった血縁関係があったからだとアデーレは予想している。

 要は弟に対し力を貸せと姉が言ってきた。そう考えると何とも庶民的ではないか。


 そんなアンロックンが言う姪となると、主神やそれに並ぶ神々の子供ということになる。

 さすがに全ての神をアデーレは把握していないが、きっと自分でも聞いたことのある名前なのだろうと考えた。


「でも力を借りるには少し時間が掛かるだろうからさ。しばらくの間アデーレに鍵を預けておこうと思ってね」


 アンロックンがそう言うと、テーブルの上の二つの光が出現する。

 それらが消失すると、そこには普段ヴェスティリアとして扱う竜神の鍵と雷神の鍵が置かれていた。


「僕がいない間は、これを使って君一人で戦ってもらいたいんだ」


 アンロックンの言葉に促されるように手を伸ばし、二つの鍵を握るアデーレ。

 鍵とアンロックンを見比べるその表情には、不安の色があらわになっていた。


 当然だ。これまでヴェスティリアとして協力して戦ってきた間柄なのだから。

 それが突然一人で戦ってもらうとなれば、それなりに経験を積んだアデーレでも心配に事欠かない。


 握る手に力が入り、二本の鍵がこすれ合う音を立てる。


「不安かい?」

「それは……当り前だよ。一人で命を懸けて戦うなんて初めてなんだから」

「そうだね。でも大丈夫、普通の魔獣ならアデーレ一人でも勝てる。君は強いんだから」


 率直な激励に、恥ずかしさを誤魔化すように苦笑いを返すアデーレ。

 しかしアンロックンの言葉を返せば、普通でない魔物には対処できないことを意味している。

 その相手は当然結晶の魔獣だ。


「でもアンロックンのいない間にあの結晶魔獣が現れたら……」


 最大の懸念はそれだ。

 通常の魔物よりも強く、更にはヴェスティリアの力に耐性を持つ結晶魔獣。

 そもそも今回のことはその魔獣に対抗するための準備だ。

 今の自分達では手も足も出ないことを証明しているようなものであり、単独での遭遇は間違いなく命に係わる。


 鍵を手にした左手を、自らの頬に寄せる。

 そこは先の戦いで傷を負った場所だ。

 鮮血で染まった手袋や、心配そうに自分を見つめる子供の姿が脳裏に浮かぶ。


 アンロックンも、それについては当然承知の上だった。


「心苦しいかもしれないけれど、その時は君自身の身の安全を優先するんだ」

「それって……見捨てろってこと?」

「君が周囲の人を救いたいという気持ちは分かる。だけどアイツが出てきたときは、自分のできる範囲を考えて行動しないと」


 自分のできる範囲。

 つまり、手の届かない人が出た場合、それは見捨てなければならないということだ。


 アデーレ自身、あの時ベルシビュラが現れなければ家族を守れなかった可能性すらある。

 アンロックンがいたとしても、その状況を覆すことが出来なかった。

 もしかしたら今回アデーレと別行動をとるのも、そのことに対しアンロックンなりに思うところがあったのかもしれない。


 彼……女神ヴェスタもまた、かつて人を守るために戦った竜神なのだから。


「今までのままでいるには、僕らが強くならなきゃいけないんだよ」

「ロックン……」


 これまでの自分たちがどれほど優位な立場にあり、そして楽な状況にあったのか。

 今の力では手に負えない魔獣が出現したことで、アデーレは自分たちの甘さを直視せざるを得なかった。

 このまま変わらず戦い続ければいいのだと、勝手に思い込んでいた自分を恥じた。


 どんな魔獣にも負けない力を持つヴェスティリアを、心配そうに見つめる女の子。

 あれは本来、見せてはならない姿だったのだ。


 どんな危機的状況であっても、守るべき人々を安心させられる存在でなければならないのだ。


「分かった。私も善処するよ」


 アンロックンを握る手に力がこもる。

 わずかな恐怖と決意が加わり、その手がわずか震えた。




 そんなやり取りから五日。

 警戒していた結晶魔獣どころか、通常の魔獣すら出現しない日々が続いていた。

 だがスカート越しに触れるアンロックンは今も声を発することはなく、ただの錠前としてポケットの中に納まっている。

 そして受け取った鍵もまた、表には見えないよう首に下げている状態だ。


 果たしてあの結晶魔獣は一体しか存在しないのか。

 もしくはただ単に運がいいだけなのか。

 それを知る術はなく、アデーレもどこか遠い目で外の風景を眺める。


 小高い丘になった荒地の先に水平線が見える。

 空は厚い灰色の雲に覆われ、鉛のように重苦しい色を見せていた。

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