3-8【メリナの信念】

 今回の出来事をアデーレはある程度濁して周りに説明していた。

 たまたま巡り合わせたダニエレの厚意で馬車に乗せてもらい、送ってもらっていた最中に魔獣の襲撃を受けた、と。

 わいせつな行為や気掛かりな言動は一切口外することなく、全てアデーレの胸に留めている。


 使用人である以上、目上の相手に関することを軽々しく話すことは許されない。

 何より今回のことをエスティラが知れば激怒することは間違いないだろう。

 例えある程度の思慮が働く彼女であっても、今回の出来事は女性として決して許容できないはずだ。


 しかしそれが使用人同士ともなれば話は別だ。

 何より今目の前にいるのは、アデーレとも長い付き合いがあるメリナである。


「アデーレ、正直に話して。本当は馬車で何かあったんでしょう?」

「それは……」

「顔見ればわかるよ。何か隠してるんだなってことくらい」


 ポーカーフェイスや誤魔化すことについて、アデーレはそれなりに自信があるタイプだ。

 エスティラの前で表情が変わりやすいのも、過去の彼女とのギャップから色々と思うところがあるためである。


 だがメリナからすれば、アデーレの誤魔化しているときの仕草や反応は既に把握しているということだろう。

 何より今の彼女の眼差しは、友人としてではなく同業の先輩としての強い意志が感じられた。


 過去の経験から、この状態のメリナに誤魔化しは通用しないとアデーレも理解している。


「大したことではないんです。手を握られたり、脚を触られただけですから」


 わずかな沈黙。

 それが気まずくなり、アデーレはそっとメリナから目を逸らす。


 同じ使用人ならば、事実を誤魔化したことはメリナも理解してくれているはずだ。

 だがそれは使用人としての話だ。

 友人、ひいては一人の女性である彼女が、友人の受けた行為に怒りを覚えないはずがない。


「やっぱり。そういうことね」


 小さくつぶやき、ため息をつくメリナ。

 言葉の端々に感じる怒りは、間違いなくダニエレに向けられたものだろう。

 しかしこういった状況を望んではいなかったアデーレにとっては、少々肩身が狭い話だ。


 特にメリナの方は本気でアデーレを心配しての発言だ。

 対するアデーレは、前世の記憶と人格を継承した特殊な精神性を持っている。


 双方の間に存在する意識の齟齬そご

 それがどうしてもアデーレには申し訳なく感じられてしまうのだ。


「メリナさん、このことはお嬢様やみんなには……」

「大丈夫。そこはアデーレの気持ちを優先するよ」


 自分より経験豊かな使用人であるメリナならば、その辺りの事情を汲み取ってくれるという信頼は元からあった。

 それでも彼女の言葉を受け、ほんの少しだけ救われた気持ちを抱くアデーレ。


 それでも果たして、メリナはアデーレのことをどう見ているのだろうか。

 齢十六歳の少女が、何倍も年の離れた老人にわいせつな行為を働かれたという事実。

 逃げ場のない密室でその様な行為に見舞われたら、同年代ならば恐怖で仕事を続けられなくなる可能性だってある。

 アデーレのように気丈に振る舞える女性もいるだろうが、彼女の場合はやはり前世の人格というものが大きく作用している。


 何はともあれ、少なくともメリナはアデーレの事が気掛かりでならなないのだろう。

 無理をして二人きりに慣れる場所で話を切り出したのも、そういった思いからに違いない。


 果たして自分はどうメリナに接すればいいのか。

 そんなことをアデーレが考えていると、向かいに座っていたメリナが静かに立ち上がる。


「メリナさん?」


 一体彼女は何を思ったのか。

 そっとアデーレの傍に寄り、その場でしゃがみ込むメリナ。

 そして、アデーレの膝に置かれていた右手を自身の両手で包み込み、自らの胸元に寄せた。


 右手を通じて伝わるメリナの体温に、アデーレはわずかに緊張してしまう。


「辛かったよね、そんな勝手なことをされて。立場上ご両親にも話せないことだもの」

「え、ええ」


 そう語るメリナが沈痛な面持ちでアデーレの右手を見つめる。

 彼女の様子にアデーレは戸惑いを隠せずにはいたが、それでもその優しさだけは理解できる。


「私は仲良くなかったから分からないんだけど、こういうのってご両親の前で隠してても気付かれちゃうものでしょ。だから私くらいには話してくれていいから」

「はい……えっと、メリナさんって、ご家族とは」

「あーうん、ごめんね。何言おうか考えすぎて、余計なこと話しちゃったか」


 アデーレの手から自らの手を放し、口元に右手を寄せるメリナ。

 苦笑を浮かべるその様子が、やけに可愛らしく映ってしまう。


 ただ、アデーレはこれまでメリナの家族に関する話を聞いたことはなかった。

 務めて話すような内容ではないため当然と言えば当然だ。

 だが長い付き合いの中で一度くらいは話題に挙がっても良い話題でもある。

 アデーレが積極的に話をするタイプではなかったが、つまりメリナが今までこの話題を避けていたということになるのだろう。


「うちってとにかく家族仲最悪でね。今の仕事に就いたのも家にいるのが嫌だったからなんだ」

「そうだったんですか。じゃあ、ずっと実家には」

「帰ってないよ。シシリューア島にあるけど、この間もずっとお屋敷でね」


 メリナが自らの身の上を話しつつ立ち上がり、再び椅子の方へ戻る。

 しかし今度は座らずに、背もたれに手を置いてじっと床を見つめていた。


「ずっと使用人の仕事続けてきた。それで今日のアデーレみたいにつらい思いした子もいっぱい見てきたよ」


 アデーレが疑問に思っていたメリナが使用人の仕事を続けてきた理由。

 家族仲のことを聞かされた彼女は、前世における自分の境遇を思い出していた。


 祖父母の家に預けられるまでの間の最悪ともいえる家庭環境。

 そこから抜け出せず泥沼の生活を送ってきたあの日々。

 もしも夢を見出すきっかけを得られていなかったとしたら、今頃佐伯 良太として最悪の人生を送ってきたのかもしれない。


 メリナにとって、使用人とは良太にとっての夢なのだろうか。


 だがそれは違うとすぐにアデーレは思いを改める。

 使用人というものは、この世界では年端もいかない少女が就ける数少ない労働の一つだ。

 そして過酷な仕事内容と厳しい環境に耐え忍び、与えられるのは賃金と最低限の自由。

 それは自分がこの仕事に就いたからこそ分かることだった。


「だからね」


 言葉を区切り、メリナが顔を上げる。

 その視線は暗い窓の外へと向けられていた。


「アデーレをこの仕事に誘ったこと、少し後悔してる」


 ゆっくりとアデーレの方へと顔を向けるメリナ。


「魔女に襲われたり、女性として嫌な思いをさせたり。本当ならこんな目に遭うはずなかったんだよね」

「メリナさん……私は別に」

「ううん。ごめん、これだけは言わせてほしいの」


 メリナはアデーレの言葉を遮り、真っ直ぐ彼女の方に向き直る。

 その顔に浮かべる表情は、まるで戦う者の決意に満ちた熱いもののように感じられてしまった。


 これまでに見たことのないメリナの様子を受け、アデーレは思わず言葉を詰まらせる。


「アデーレやご両親の為にも、私は責任をもってあなたのことを守るから」


 そんなメリナの顔に少しだけ覚えがあった。

 自分が守りたいと願った、その時に感じる胸の高鳴り。

 それと同じものを、アデーレは別の人物の所作から感じ取ってしまっていた。


 生きるために使用人という仕事を続け、仕事に対し強い志を持つメリナ。

 これが、彼女の抱く信念というものなのだろうか。


「……私は、何があってもアデーレの味方だから」


 そう語るメリナの頼もしい表情。

 その姿にアデーレは、思わず見とれてしまいそうになっていた。

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