3-7【顔の傷】
凍てつく嵐の如き戦士が去り、荒れた通りに正常な冬のロントゥーサ島の空気が戻る。
地面に突き立てられたフラムディウスを冬の風が撫でる。
「ありがとうございます……ありがとうございます……っ」
ヴェスティリアが身を挺して守ろうとした家族の両親が、子供を抱きしめながら何度も頭を下げる。
だが今回、彼女の力だけではこの家族を救うことは出来なかっただろう。
敵対しているとはいえ、結果的に魔獣を倒したのはベルシビュラなのだから。
そんな事実が複雑な感情を生み出し、ヴェスティリアの胸中で渦巻く。
初めての苦戦と敗北に近い結末は、彼女にとって初めての無念を抱かせる経験となった。
(本当に、私はお礼を言われる立場なのかな)
肩を落としつつ、家族の姿を見つめるヴェスティリア。
その時、両親の間に立っていた少女が彼女の方に歩み寄る。
「ヴェスティリアさま」
そう言って、少女がヴェスティリアのスカートを軽くつかむ。
両親が慌てて制止しようとするが、ヴェスティリアは大丈夫だと首を横に振る。
スカートを握る少女は、どこか心配した面持ちでヴェスティリアを見上げている。
「どうしたの?」
ヴェスティリアはその視線が気になり、彼女の目線に合わせるためその場にしゃがみ込む。
彼女の動きに合わせ、少女もスカートから手を離す。
その手を今度は遠慮がちに、ヴェスティリアの頬へと寄せていった。
小さな手が頬に触れると、少女の体温が冷えた肌に伝わっていく。
聖火を司る巫女のはずなのに、自らの体温がここまで下がっていたのかと内心驚くヴェスティリア。
そんな彼女をよそに、少女は小さく口を開く。
「痛くない? 大丈夫?」
少女の言葉に最初は首をかしげるヴェスティリア。
だが少女と同じように自身の頬に触れてみると、手袋越しに熱い液体の感触を覚える。
「あっ」
白い手袋に染み込んだ鮮血の赤。
自分でも気付かないうちに怪我を顔に負っていたらしい。
それをずっと見ていたせいで、少女はどこか不安げだったのだろう。
特にこれまでヴェスティリアが傷ついた姿を見たことがない人ほど、こういった状況は印象深く映るものだ。
血で汚れた手袋を脱ぎ、少女の頬に手を寄せるヴェスティリア。
「うん。平気だよ」
彼女はそう言いつつ、少女の不安を晴らすように優しく微笑んだ。
その言葉を素直に受け取ったのだろう。少女は少しだけ表情をやわらげた。
そのとき、遠くから多くの人が駆け寄ってくる足音が聞こえてくる。
出動要請を受けた衛兵だろう、足音には金属がぶつかり合う音も混ざっている。
それを聞いたヴェスティリアは立ち上がり、手袋をはめなおし地面からフラムディウスを引き抜く。
ずっと傍にいた一家に一礼した後、彼らから少し離れて跳躍した。
そのまま人目のつかない路地裏まで移動したところで、彼女は変身を解除した。
汚れ対象が全て赤いオーラによって元の使用人制服へと戻される。
「お疲れ、アデーレ」
「うん……」
互いの健闘をねぎらう言葉も、今はどこか沈んで聞こえる。
今回の戦いは、アデーレのみならずアンロックンにとっても一つの転機となるものだった。
だが今は戦いの反省をするときではない。
先ほどまで戦っていた表通りに衛兵たちが集まる気配を感じるアデーレ。
彼女は手にしていたアンロックンをポケットに戻し、すぐさま路地から表通りへと飛び出した。
飛び出した先の傍には、最初に乗っていた転倒した馬車があった。
窓から中を確認すると、最後に確認したのと変わらない様子のダニエレ達の姿が確認できた。
「すみません、手を貸してください! ケガ人がいるんです!」
例え嫌な思いをさせられたとしても、ここで見捨てることは後々問題になる。
アデーレは少し離れた場所に集まる衛兵たちに手招きをし、救出の手伝いを募った。
その後は集まった衛兵たちにより現場の封鎖が行われ、ケガ人の救出や遺体の収容が行われた。
命を落としたのは馬車の御者のみではあったが、突然の魔獣の出現によって多くのケガ人が出ていたようだ。
アデーレが戦ったあの場所に人が少なかったのは単純に運がよかったらしい。
傍から見れば魔獣の襲撃に巻き込まれた形になったアデーレも、衛兵に保護された後屋敷へと戻ることとなった。
知らせを受けていた屋敷の人々はアデーレを出迎え、彼女の無事を喜んだ。
その日の夜。
魔獣の襲撃に見舞われたアデーレはエスティラの計らいで休みを与えられていた。
しかし使用人が屋敷内で自由に振る舞えるわけではなく、自身の寝室で暇をつぶすのが関の山だ。
そのためアデーレは私服の地味なドレス姿で椅子に座り、借りた恋愛小説を読んでいた。
バルダート別邸の一般使用人に割り当てられる寝室は、全て屋根裏部屋に集められている。
ただし屋敷自体極めて大きいため、使用人二名につき一部屋という割り当てである。
室内には共用のチェストと丸テーブル。そして椅子とベッドが二つずつという最低限の家具という内装だ。
実は現在、アデーレはこの部屋を一人で使わせてもらっている。
もちろん偶然こういった割り当てになっただけであり、いずれ新しい使用人が来た時はその人物が同室だ。
「……はぁ」
途中まで読んだ小説を閉じ、テーブルの上に戻すアデーレ。
元々恋愛小説というジャンルにそれほど興味がないということもあるが、日中の出来事が彼女の頭から離れずにいた。
ヴェスティリアの時に出血していた頬に触れる。
変身解除した際にこの傷も塞がっていたため、ある程度の怪我ならば治療することも可能なのだろう。
それもまたこれまで傷ついたことがなかったため、今回初めて知ったことだった。
ベルシビュラという敵対する戦士に続き、これまで姿を現したことのない魔獣の出現。
立て続けに起きる出来事を受け、アデーレはこれまでにない危機感を抱かずにはいられなかった。
(これが全部、大きな事件の予兆なんじゃ……)
沸き立つ不安をかみしめ、アデーレは天井を見上げる。
そんな彼女の耳に、部屋のドアをノックする控えめな音が届く。
「あ、はい」
立ち上がりながら声をかけ、ドアの方へ歩み寄るアデーレ。
ゆっくりとドアを開いてみると、仕事終わりなのだろう制服姿のメリナが立っていた。
「こんばんは。ちょっと話でもしない?」
「ああ、はい。ちょうど今暇だったんです」
笑顔を浮かべるメリナを快く招き入れるアデーレ。
友人の寝室に入る際も、メリナの所作は清楚で優雅だ。
アデーレが十歳の頃、メリナは既に使用人としてバルダート家に仕えていた。
彼女がいつから使用人をやっているのかは分からないが、少なくともアデーレは十六歳。
最低でも六年以上はこの仕事を続けているということになる。
下積みを一年続けるだけでも過酷とまで言われる使用人という仕事。
それを長年勤めているのだから、アデーレから見ても尊敬に値することである。
アデーレはもう一つの椅子をテーブルから引き、メリナに座るよう促す。
「ありがと、アデーレ」
その椅子に腰を据え、再びアデーレに向けて笑顔を見せるメリナ。
その落ち着いた様子から、アデーレは彼女がこちらを気遣っているのだということをすぐに察した。
そんな彼女に促されつつ、アデーレも先ほどまで座っていた椅子に腰を下ろす。
「それにしても、本当怪我がなくてよかったよ。また魔獣に襲われたって聞いてすごく怖かった」
「ああ……すみません、心配かけてしまって」
「アデーレが謝ることじゃないよ。ただ運が悪かっただけ」
そこで言葉を区切り、「それより」と言葉を続けるメリナ。
「私としては、あなたがダニエレ教授の馬車にいたことも気掛かりだよ」
その時、アデーレは場の空気が一瞬だけ凍り付いたかのように感じてしまう。
先ほどまで見せていたメリナの笑顔が消え、アデーレに向け心配に満ちた眼差しを向けていた。
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