3-6【窮地のヴェスティリア(後編)】
結晶の破裂とは違うその破壊音を聞き、ヴェスティリアが目を見開く。
自分の予想とは違うことが背後で起きていることを察し、すぐさまその場で振り返る。
そこにあった光景に彼女は目を見開く。
左腕を失った結晶魔獣がよろめき、倒れないよう右腕で自らの体を支える姿。
本体から失われた左腕はフラムディウスを解放し、バラバラの破片になりながら宙を舞う。
そして先ほどまで結晶魔獣が立っていた場所に膝立ちになる人物。
憤怒の表情を浮かべる銀狼の仮面。
両腕で槍を構え、地面に突き立てるベルシビュラの姿がそこにあった。
(まさか上から? でも何でこのタイミングでっ)
自身とも、そして魔獣とも敵対する者と自らを名乗ったベルシビュラ。
敵の敵はという言葉もあるが、状況がより逼迫したことに違いはない。
それでもヴェスティリアは後ろにいる家族が避難する余裕を確保するため、その場に立ちふさがる。
「魔獣一匹に随分と苦戦していたみたいだね」
カチカチと音を立てながら口を動かし、ベルシビュラの右腕にある腕輪が喋る。
今回も人間の方が自ら声を発するつもりはないらしい。
その間にベルシビュラは立ち上がり、地面に突き立てた槍を引き抜く。
魔獣の方は、突如現れた二人目の敵を前にしてたじろぐ様子を見せていた。
「ベルシビュラ。どうやらこの結晶はエネルギーを吸収する性質を持っているらしい」
腕輪の言葉に応えるようにベルシビュラがうなずく。
「まあ、僕らには無意味な特性だよ」
「えっ?」
腕輪が放った一言に、思わず驚きの声を上げるヴェスティリア。
そんな彼女をベルシビュラは気にも留めず、槍の穂先を向け魔獣へと突進する。
しかし魔獣も臨戦態勢を取り、残った右腕を振るいベルシビュラへ牽制を仕掛ける。
右腕の一撃を槍でいなし、ベルシビュラがそのままの勢いで突き立てる。
穂先が結晶魔獣の胴体を捕らえ、先端が突き刺さる。
しかし魔獣もすぐさま右手で槍の柄を掴む。
「……やるねぇ」
魔獣に槍を掴まれたことで槍を刺し込むことが出来なくなるベルシビュラ。
その様子を見て、腕輪が忌々しそうにつぶやく。
そんな中ヴェスティリアは、現状がこれまでと違うことに気が付く。
フラムディウスが食い込んだ時とは違い、槍が刺さった部分からエネルギーを吸収している様子がない。
槍を突き立てたときの運動エネルギーを得た可能性はあるが、それ以上の反応が一切見られないのだ。
目の前の光景に釘付けになっていたヴェスティリア。
そんな彼女の傍に、結晶魔獣から解放されたフラムディウスが突き立てられた。
彼女はすぐさまそちらに手を伸ばし、久方ぶりの柄を握る。
「ロックン、平気?」
「ああ。でもさすがの僕も色々驚かされっぱなしだよ」
「そりゃあね。それよりアレは……」
槍を止められ、結晶魔獣を睨むベルシビュラ。
反撃のための左腕を失い、更にはエネルギー吸収が不可能なため反撃を行えない結晶魔獣。
「ベルシビュラの力は凍り付くほどの冷気。だから魔獣も力を活かせないんだ」
「あっ」
イェキュブを凍り付かせるベルシビュラの姿を思い出すヴェスティリア。
極めて高い熱エネルギーを持つフラムディウスは、結果として結晶魔獣を強化させ自らが不利になる。
だが熱を奪うベルシビュラならば、結晶魔獣に与えるエネルギーは最小限だ。
逆に結晶魔獣のエネルギーを奪う可能性だってあり得る。
こうなると、狼の腕輪の言う通り結晶魔獣の力は無意味だ。
「さあ、ヴェスティリアに見せてあげようか。君の力を!」
腕輪の言葉に促されるように、柄を掴んでいた左手を放すベルシビュラ。
直後左手に霧がかかったかと思えば、それは狼の意匠が付いた鍵へと変化する。
形成された鍵を手にするベルシビュラ。同時に狼の腕輪の口が開かれる。
開かれた口に鍵をかざすと、口は閉じられ鍵に食いつく。
ベルシビュラはそれを鍵穴代わりにし、鍵を左に回す。
魔獣の体が白い
急激に温度が低下は空気中の水分まで凍り付かせ、それらは氷の粒子となって輝く。
「雪……いや、ダイヤモンドダストか」
テレビで見た北国の光景を思い出すヴェスティリア。
だがこれは、映像で見るような美しい自然現象などではない。
再び両手で柄を握り、結晶魔獣を突き立てた槍を天に向けて掲げる。
掲げられたことで靄から出てきた魔獣の体は、厚い氷で完全に覆われていた。
「さあ、やっちゃえベルシビュラ!!」
その言葉に促されるように、ベルシビュラは大きく膝を曲げ直上に跳躍する。
突き立てられた巨大な氷が大きな風切り音を立て、見上げるヴェスティリアからは彼女の姿が小さくなる。
やがてベルシビュラが上空で制止し、今度は全身を大きく縦に回転させ手にした槍を地面に向けて投げつける。
上昇の時よりも遥かに高速で落下する氷塊。
それは一瞬にして地面へと叩きつけられ、大量の破片を周囲にまき散らしながら粉砕された。
当然氷に閉じ込められていた結晶魔獣もバラバラに砕け散り、原形をとどめないほどの細かい破片へと姿を変えてしまう。
残されたのは、地面に深々と突き刺さったベルシビュラの槍だけだった。
「危ないっ!」
飛散する破片がヴェスティリアへと迫るも、手にしたフラムディウスから赤いオーラが周辺に放たれる。
オーラによって放たれた全ての破片がその場で蒸発し、結晶魔獣の破片だけが力なく地面へと散らばった。
残された槍の傍に飛び上がっていたベルシビュラが着地する。
彼女の脚を守る固いブーツに踏みつけられた破片は、粉みじんに粉砕されてしまった。
ヴェスティリアが苦戦を強いられた結晶魔獣を、相性があったとはいえ圧倒してしまったベルシビュラ。
「さて」
地面から槍を引き抜いた彼女が、今度はその穂先をヴェスティリアへと向ける。
まるで、次に凍り付くのはお前の番だと言わんばかりに。
「分かってるよね。僕らは君と敵対してるってこと」
「……ええ」
彼女との戦いを望まないヴェスティリア。
しかし、ベルシビュラが向ける殺意は凍てつく空気となり、彼女の肌に突き刺さる。
魔獣との戦いの後だろうと、ベルシビュラはヴェスティリアを見逃すつもりはないらしい。
意を決したヴェスティリアは、重苦しい空気の中フラムディウスを両手で構える。
果たして激戦の後の消耗した体でベルシビュラを退けることが出来るのか。
ヴェスティリアの頬を、一筋の汗が流れる。
「だめっ!!」
その時、ヴェスティリアの背後から声が放たれる。
更に彼女が振り返る間もなく、その脇を抜けて小さな影が目の前に立ちふさがる。
それは、先程助けた家族の子供だった。
茶髪を二つのおさげにした、年齢一桁ほどと思われる幼い子供だ。
その子は両手を広げ、怯えた表情を浮かべながらもベルシビュラを見つめていた。
すぐさま慌てた様子の両親が飛び出し、子供を強く抱きしめる。
それでもその子はその場から動こうとしなかった。
「だめだよっ。ヴェスティリアさまをいじめないでっ!」
激戦を経て弱っている彼女を見過ごせなかったのだろう。
今にも泣きそうな顔をしながら、子供なりの舌足らずな言葉で槍を収めるよう懇願する。
「ふぅ」
仮面の隙間から洩れる白い息。
それは声というよりは、声色すらうかがえないため息だった。
ベルシビュラは穂先を下ろしてヴェスティリアに背を向ける。
その後は背後を一瞥することもなく跳躍し、建物の向こうへと姿を消した。
(……見逃してくれた)
冷酷に敵を粉砕するベルシビュラが、子供の訴えを受けてその場を退いた。
その光景を目の当たりにしたヴェスティリアは、ただ茫然と彼女の消えた先を見つめることしか出来なかった。
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